004 【文芸ぁ 中世文学:方丈記:正法眼蔵:平家物語:徒然草
 文学全般には古典文学・歴史文学から外国文学を含め、文学館・資料館などがあります。小説全般は、ミステリー、SF、探偵小説から歴史小説まで、またそれらについての書評や随筆、作家・小説家一覧、歴史博物館・記念館など幅広く収録されています。 また、ここには著名な国文学者・民俗学者もご掲載いたしました。 どうぞ、ごゆっくりご覧ください。
なお、ここには上代文学から近世文学(江戸時代)までの日本文学書を個々に掲載いたしました。近現代文学書(明治以降)は 「06近現代文学」 カテゴリをご覧ください。

中世文学 山家集.1190 水鏡.1195 古来風体抄.1197 無名草子.1201  長秋詠藻.1204
新古今和歌集.1205 近代秀歌.1209 方丈記.1212 無名抄.1212 金槐和歌集.1213 古事談.1215
発心集.1216 続古事談.1219 愚管抄.1220 住吉物語.1221 閑居友.1222 海道記.1223
建礼門院右京大夫集 拾遺愚草.1233 新勅撰和歌集.1235 小倉百人一首.1235 宇治拾遺物語.1242 続後撰和歌集.1248?
十訓抄.1252 正法眼蔵.1253 古今著聞集.1254 百錬抄.1259〜 続古今和歌集.1265 風葉和歌集.1271
続拾遺和歌集.1276 弁内侍日記.1278 うたたね.1279 沙石集.1283 中務内侍日記.1292 吾妻鏡(東鑑).1300
新後撰和歌集.1301 とはずがたり.1306 平家物語.1309 玉葉和歌集.1312 続千載和歌集.1318 続後拾遺和歌集.1326
徒然草.1330 増鏡.1333? 神皇正統記.1339 風雅和歌集.1348 菟玖波集.1356 新千載和歌集.1359?
曽我物語.1361 河海抄.1362 新拾遺和歌集.1364 太平記.1368 承久記.1374? 新後拾遺和歌集.1383
風姿花伝.1400 義経記.1411 申楽談儀.1430 三国伝記 新続古今和歌集.1439 正徹物語.1450
ささめごと.1463 吾妻問答.1467 花鳥余情.1472 竹林抄.1476 水無瀬三吟百韻.1488 閑吟集.1518
歎異抄/          
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中世文学
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  日本の中世文学史 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本の中世文学史は、およそ鎌倉時代から安土桃山時代までの日本文学の歴史である。 源頼朝が鎌倉幕府を開き、政治の中心が上方から東国へ移ったが、京都は文化的中心であり続けた。鎌倉時代には藤原定家らによって華麗な技巧に特徴がある『新古今和歌集』が編まれた。また、現代日本語の直系の祖先と言える和漢混淆文が生まれ、多くの作品が書かれた。鴨長明の『方丈記』吉田兼好の『徒然草』などがこれにあたる。『平家物語』は琵琶法師により、室町時代には『太平記』が太平記読みにより語られた。
 
 
  中世文学   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  一般的に、鎌倉幕府が成立した1192年から、江戸幕府の開かれた1603年までが中世文学の時代である。鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・安土桃山時代に相当するこの時代は、打ち続く戦乱の時代であった。ジャンルを問わず中世文学全般に無常観が広く浸透しているのは、こうした戦乱の影響に他ならない。一方で、軍記物語、連歌、説話など、多種多様なジャンルが成熟した時代でもあった。
 
 
  大阪大学古代中世文学研究会   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本研究会は、大阪大学名誉教授・伊井春樹先生の御指導のもと古代・中世の文学を研究対象とする大阪大学大学院の院生・修了生を中心に、他大学の大学院生・教官等を交え構成され、研究活動を行ってまいりました。
 
 
  市古貞次 「新島守と秋霧」 『中世文学点描』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  昭和初年の中学校の国語教科書には、たいてい「増鏡」と「神皇正統記」の一節が載っていた。それもどの教科書も言いあわせたように、「増鏡」では「新島守」、「神皇正統記」では巻末近くの後醍醐天皇が秋霧におかされて崩御されるというあたりであった。
 
 
  中世文学 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ビーケーワン
 
 
  中世文学 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ジュンク堂書店
 
 
  国文学 中世 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  五十嵐書店 online
 
 
  中世の文学全般 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中世の文学全般 <書籍>
 
 
  古典文学研究 中世文学 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  翰林書房
 
 
  古代中世文学論考 第12集 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  剣による国土平定の伝承と物部氏/是善と道真―死別の後―/催馬楽と和歌/他、選りすぐりの論文9編を掲載。  セブンアンドワイ
 
 
山家集.1190
  山家集 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  山家集(さんかしゅう)は、平安末期の歌僧西行法師の家集。成立年は不詳、源平争乱の最中か直後だと思われる。俊成・良経・慈円・定家・家隆ら五人の家集とともに六家集の一に数えられ、山家和歌集、西行法師歌集の別名がある。西行生前の撰を後人が増補したと見られ、西行の自撰なる『山家心中集』や、『西行上人集』との関連が注目される。
 
 
  ノート:山家集 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  これは全く、山家集の紹介というより西行の伝記ですな。あまりに見苦しかったからノートに移し、少しだけだが家集について加筆した。
 
 
  Title 山家集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  年のうちに春たちて雨の降りければ春としもなほおもはれぬ心かな雨ふる年のここちのみして・・・
 
 
  山家集索引   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「あ」 39 春 158 上人 心中  青葉さへみれば心のとまるかな散りにし花の名残と思へば 〜
 
 
  西行基礎資料2   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  こちらでは歌集・歌合ごと(『山家集』 『聞書集』 『残集』 『西行法師家集』 『山家心中集』 『御裳濯河歌合』 『宮河歌合』より)に、桜の歌を抜き出しましたが、「それは桜ではないよ」、という歌が含まれている可能性もありますし、比較的広く捉えている部分もあると思います。まだ校正もしておりませんので、その点もご了承くださいませ。
 
 
  西行  さいぎょう    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  藤原北家魚名流と伝わる俵藤太(たわらのとうた)秀郷(ひでさと)の末裔。紀伊国那賀郡に広大な荘園を有し、都では代々左衛門尉(さえもんのじょう)・検非違使(けびいし)を勤めた佐藤一族の出。父は左衛門尉佐藤康清、母は源清経女。俗名は佐藤義清(のりきよ)。弟に仲清がいる。
 
 
  山家集雑歌を読む   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『西行の生涯とその歌』から始まって10年。昨年からのシリーズ『山家集雑歌を読む』を今年、2009年も続けます。無常・哀愁歌群を読んでいきます。
 
 
  西行 千人万首附録   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『山家集』より、特に秀歌を多く含む歌群を抜萃して掲載する。歌本文は、主として和歌文学大系21所収の『山家集』(西澤美仁校注)を参考とし、『西行全集』(久保田淳編)などを参照して作成した。
 
 
  『山家集』西行 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  見る人に花も昔を思ひ出でて 恋しかるべし雨にしをるる
 
 
  西行法師 伝・自筆  伊丹の歌碑めぐり   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西行法師 元永元年(1118)〜文治六年(1190)   せっつの国のあしでふいたそまつな小屋のさびしさは、冬にこそたずねるのにふさわしいのです。 さいぎょうほうし (冬の歌)
 
 
  山家集(さんかしゅう) - Yahoo!百科事典    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西行(さいぎょう)の家集。3巻。歌数は系統によって異なるが、陽明文庫本は1552首、六家集板本は1569首。四季、恋、雑(ぞう)に部類されているが、雑の部には何次かの増補の跡がみられる。巻末には百首歌(ひゃくしゅうた)1編を付載する。
 
 
  山家集 異本  室町時代末期写 水野家旧蔵本   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  國學院大學図書館 デジタルライブラリー
 
 
  さんかしゅう【山家集】 学習百科事典 キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉(かまくら)時代につくられた西行(さいぎょう)の家集(いえのしゅう)(個人(こじん)の歌集)。成立(せいりつ)年代・編者(へんじゃ)ともはっきりしないが,西行(さいぎょう)の歌約(やく)1600首がおさめられている。
 
 
  新潮古典文学アルバム 10 新古今和歌集・山家集・金槐和歌集 <書籍>  藤原定家/撰 他    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  詠うことが生きる歓びだった時代、艶めく慕情に焦れる女歌人、幽玄の美を確立する定家、出家漂泊の西行、悲運の鎌倉将軍実朝、中世初期に華開いた歌の饗宴。
 
 
  新訂 山家集 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  芭蕉に偶像として尊敬された歌僧西行(1118−90)の姿が,見事に浮き彫りにされた歌集.古来,幾千の歌人が歌いふるした花も,月も,恋も,彼の胸の琴線に触れて,新しい響きとして歌い出される.
 
 
  山家集 新訂 (岩波文庫 黄 23-1) (文庫)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  芭蕉に偶像として尊敬された歌僧西行(1118-90)の姿が,見事に浮き彫りにされた歌集.古来,幾千の歌人が歌いふるした花も,月も,恋も,彼の胸の琴線に触れて,新しい響きとして歌い出される.
 
 
  《新潮日本古典集成》山家集 <書籍> 西行/著    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  月と花を友としてひとり山河をさすらう人生詩人、西行――深い内省にささえられたその歌は祈りにも似た魂の表白。千五百首に平明な訳注を付した待望の書。
 
 
水鏡.1195
  水鏡 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『水鏡』(みずかがみ)は、皇円が著した『扶桑略記』から抄出した歴史物語。成立は鎌倉時代初期(1195年頃)と推定される。作者は中山忠親説が有力だが、源雅頼説などもあり未詳。いわゆる「四鏡」の成立順では3番目に位置する作品である。内容的には最も古い時代を扱っている。 神武天皇から仁明天皇まで57代の事跡を編年体で述べている。73歳の老婆が、長谷寺に参籠中の夜、修験者が現れ、不思議な体験を語るのを書き留めたという形式になっている。
 
 
  水鏡・全巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HTMLファイル(読み仮名付き。水鏡・全巻)/HTMLファイル(読み仮名なし。水鏡・全巻)
 
 
  水鏡 [Maxi]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  荒々しいヘヴィさと、壊れそうな繊細かつ純粋な美しさがぶつかりあったCocco。唯一無二的{麗しい毒の魔力}が宿ったマキシ。作詞、作曲を本人が担当。魅力が十二分に凝縮されている。
 
 
  水鏡 の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  水鏡 の動画 - Google
 
 
古来風体抄.1197
  古来風体抄 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古来風体抄(こらいふうていしょう)は、鎌倉時代初期に成立した歌学書。初撰本(1197年成立)と再撰本(1201年成立)がある。 初撰本は後白河院の皇女である式子内親王(1149年−1201年)が、公卿で歌人の藤原俊成(1114年−1204年)に依頼して執筆されたものとされる。
 
 
  古来風体抄 上   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  やまとうたのおこり、そのきたれることとをいかな。千はやふる神代よりはじまりて、しきしまの國のことわざとなりにけるよりこのかた、そのこゝろをのづから六義にわたり、そのこと葉萬代にくちず。
 
 
  古来風体抄 下   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歳月のあらたまりかはる、花もみぢにつけても、歌のすがたことばはおもひよそへられ、そのほどしな%\もみるやうにおぼゆべき物なり。
 
 
  古来風躰抄 二巻    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  藤原俊成の歌論書。「ある高きみ山」から依頼されて、建久8年(1197)に完成した初撰本と、「かの宮」より依頼され、建仁元年(1201)5月にまとめられた再撰本とがある。
 
 
  古来風躰抄 ―こらいふうていしょう―   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  藤原俊成(1114-1204)の代表的な歌論書です。初撰本・再選本があり、前者は建久八年(1197)、後者は建仁元年(1201)の完成。初撰本は俊成自筆本が冷泉家時雨亭文庫に存在します。再選本の伝本の一つに「依式子内親王仰、被進之」とあることなどから、後白河院皇女式子内親王の依頼により執筆されたものと考えられています。
 
 
無名草子.1201 
  無名草子 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無名草子(むみょうぞうし)は鎌倉時代初期の古典で、文芸評論書としては最古。『無名物語』、『建久物語』などの異名がある。女性の立場から述べる王朝物語評論。 通説では藤原俊成女(越部禅尼)が作者とされる。 建久7年(1196年)から建仁2年(1202年)頃の成立。
 
 
  無名草子   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『無名草子』「男性論」:「源氏物語」の主人公光源氏には四つほど嫌なところがあるが、その理想的性格は述べるまでもない。夕霧は雲居雁への恋を貫いたことはすばらしいが、落葉の宮を晩年に妻としたことは意外である。…
 
 
  <無名草子>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ここでは「無名草子」の中の源氏物語論をえるるん訳で紹介します。 当時の人々がどう源氏物語をとらえていたのかがわかる、面白い作品です。 相槌をうったり首をかしげたりしながら読んでくださいまし。  1.源氏物語について/2.女性論 その一/3.女性論 その二/4.男性論/5.折々の場面
 
 
  井戸端無名草子   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ここでは、十三世紀はじめ(1201年ごろ)、藤原俊成女によってかかれた「無名草子」を、ヘタレ現代語訳しています。 このお話は、桃源郷のような場所にふらりと迷い込んだ老尼と、そこで暮らしている数人の女房たちが、座談会形式で、いろいろネタ出ししてかたりあうというものです。
 
 
  無名草子  山岸徳平訳注   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  小説的手法と流麗な文体とを駆使して、華やかな王朝の諸作品を多面的に解釈批評する本書は、確然たる批評精神にささえられて、王朝の美意識と根底思潮を浮彫りにする完成度の高い物語評論である。言及された散逸物語を解明するための文献的価値も高い。斯界の権威の厳密な校訂と注釈を得て、信頼できる数少ない教本を提供する。
 
 
  無名草子 金子彦二郎 校註   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  東山の麓 / 檜皮葺の家 / 尼の出自 / 世の中の哀れにめでたきものの数々 / 源氏物語の各巻短評 / 源氏物語の女性短評 / 源氏物語の男性短評 / 源氏物語の印象的場面
 
 
  無名草子 その壱 「源氏物語」について 序〜巻々の論   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「それにしても、この『源氏物語』を作った紫式部は本当にすごいわね。 現世だけじゃなく、前世の徳が相当あったのでしょう。仏に祈願した効き目かもしれないわね。 源氏以前の物語って、『宇津保』『竹取』・・・それに『住吉』くらいでしょ。 それなのにこんな傑作をいきなり作り出すなんて、本当にすごいわ。」…
 
 
  無名草子 <関連書籍> 全17冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無名草子 <関連書籍> 全17冊 amazon.co.jp
 
 
  無名草子 注釈と資料 - 注釈と資料 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  天理図書館蔵本を底本とした本文と、ことばの引用・類似関係を重視した脚注からなる。関連する平安〜鎌倉の物語評論二二編の注釈をも併せて載せ、さらに解説、作中書名・人名事典、研究文献目録を付す。教科書はもちろん、研究用としても充実した内容を備える。
 
 
長秋詠藻.1204
  長秋詠藻 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)は、藤原俊成の歌集、家集。3巻。六歌集の一。和歌729首、長歌3首をおさめる。俊成の自選により1178年(治承2年)、守覚法親王に謙譲された。俊成が皇太后宮大夫であったので、皇太后宮を長秋宮というのにちなんで命名。
 
 
  長秋詠藻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西行、西住などいふ上人どもまうできて、対花思西といふ心をよみしに散る花を惜しむにつけて春風の吹きやる方にながめをぞする…
 
 
  長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう) - Yahoo!百科事典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  藤原俊成(しゅんぜい)の家集。1178年(治承2)、出家直後の65歳のときに自撰(じせん)され、仁和寺(にんなじ)守覚法親王に進献された。479首を収載。上巻が百首歌、中巻は四季・賀・恋、下巻は雑(ぞう)・釈教・神祇(じんぎ)の構成となっている。
 
 
  千載和歌集・長秋詠藻・熊野懐紙 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  藤原氏の嫡流である近衛家に歴代集積・収蔵されて来た貴重な飼料や文献は、今日、陽明文庫と命名され保存されている。この文庫の内から特に国文学に関係深いものを選び、専門家諸氏の解説を得て写真製本として公刊。
 
 
  長秋詠藻 西行和歌全集 <書籍> 覆刻日本古典全集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  長秋詠藻 底本は元禄三年板「六家集」本である。西行和歌全集 山家和歌集 底本は元禄三年板「六家集」本である。 山家集拾遺 底本は異本山家集である。 追而加西行上人和歌
 
 
新古今和歌集.1205
  新古今和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/8.新古今和歌集
 
 
近代秀歌.1209
  近代秀歌.1209   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/近代秀歌.1209
 
 
方丈記.1212
  方丈記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)によって書かれた中世文学の代表的な随筆。 鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけた。鎌倉時代、1212年(建暦2年)に記されたとされるが、原本は残っていないと見られる。
 
 
  方丈記 (Wikibooks)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古典文学>日本の古典>方丈記 『方丈記(冒頭)』鴨長明 本文:ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。…
 
 
  方丈記の部屋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このページは,方丈記を楽しんで勉強してもらうために作ったものです。主に,学校での授業を中心に考えています。 授業の為の予習・復習に使っていただけるといいでしょう。
 
 
  鴨長明 方丈記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。…
 
 
  方丈記ワールドへ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  方丈記ワールド求めて、日野へ向かいました。外環石田から東へ、奈良街道を越えてさらに東へ行くと、上のような石碑と案内板のあるところに出ます。… 鴨長明は日野山の中腹、渓谷の大岩の上に草庵を結び『方丈記』を執筆したそうです。 「方丈記ワールド」へいざ出発!
 
 
  鴨長明と「方丈記」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鴨 長明の 「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてやすむ」(『新古今和歌集』)の「瀬見の小川」は、糺の森の南の方に鎮まる河合神社の東に今も清らかな流れをたたえている。『風土記』山城国の下鴨神社の神話のくだりに「石川の清川」とあるのを瀬見の小川と詠んだものと思われる。
 
 
  方丈記を書いた男   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  京都の下鴨神社に入るとすぐ、鴨長明(かものちょうめい:1155〜1216)縁の河合神社というものが見えてくる。その中には、鴨長明が、晩年に住んだ方丈庵(ほうじょうあん)のレプリカが建てられている。
 
 
  方丈記 外国文図書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  "ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(中略)朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。"
 
 
  鴨長明方丈記を味わう   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鴨長明というのは平安時代の末期の歌人で京都賀茂下社の禰宜の出身で和歌所に勤めました  和歌、琵琶などの名手ですが名文でも有名で「方丈記」を残しました 和歌所をやめ京都日野山に小さな庵を建て「方丈記」を書きました 名文を味わってみましょう  
 
 
  方丈記 〔古典に親しむ〕   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ゆく河の流れ/安元の辻風/福原遷都/養和の飢饉/元暦の大地震/処世の不安/出家遁世/方丈の庵/早暁の念仏
 
 
  『方丈記』より 五大災厄   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『方丈記』といえば、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。」云々という、冒頭の名文は有名ですが、この短い古典の全文を読まれた方は少ないのではないでしょうか。
 
 
  方丈記 図書カード:No.975   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  作品データ/作家データ/底本データ/ファイルのダウンロード/関連サイトデータ
 
 
  方丈記(校註日本文学大系)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  序 / 安元の大火 / 治承の辻風 / 福原遷都 / 養和の飢饉 / 元暦の大地震 / 大原野の住家 / 方丈の宿り / 日野山の生活 / 閑居の思い / 跋
 
 
  方丈記 ほうじょうき - 鎌倉時代初期    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  方丈記は、鴨長明(1155-1216)が書いた随筆文学です。400字原稿用紙25枚程度の短編で、枕草子・徒然草とならんで日本古典文学の三大随筆にあげられています。  この作品について/画像&資料について/もっと知りたい/文学史年表に戻る/貴重資料画像に戻る/電子図書館トップに戻る
 
 
  方丈記(ほうじょうき) - Yahoo!百科事典    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉初期の随筆。一巻。鴨長明(かものちょうめい)作。1212年(建暦2)3月成立。書名は長明が晩年に居住した日野の方丈(一丈四方、すなわち約3.3メートル四方)の草庵(そうあん)にちなんだもの。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観を表白する流麗な文章に始まり、五つの大きな災厄がまず記述される。
 
 
  鴨長明 『方丈記』 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  長明が求めたことは、ただ「閑居の気味」という、このひとつのことだけである。閑居して、その気味を感じてみたい。それだけのことである。長明はそのことを実現して、やっと「空蝉(うつせみ)の世をかなしむ」ことができた。そうすれば「観念の便り、なきにしもあらず」であった。
 
 
  方丈記(全) <書籍> 編者: 武田友宏   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  世の中すべてが大きく転換する無常のさまを直に見つつ、混迷の中を生きた長明が書き記した日本古典の傑作『方丈記』。原文も通釈も総ルビ付きだから、この美しい文体が誰にでもすらすら読める。コラムや図版も満載。
 
 
  方丈記 <書籍> 鴨長明/著 川瀬一馬/編   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  失意の鴨長明が、日野の山奥、方丈の草庵に隠遁し、世の変遷と心の不安のなかに、自らの救いを求めようとする心境を自伝的に綴った、わが国随筆文学史上の不朽作。参考資料として、長明真跡の方丈記巻首、方丈庵遺跡を口絵に、現代語訳、解説、年譜、語彙索引を付す。
 
 
  方丈記 <書籍> 鴨長明/著 武田友宏/編   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『方丈記』が書かれたのは、まさに源平の戦いの頃、武家の社会へと価値観が大きく変わり、天変地異が次々起こる不安な時代であった。著者の鴨長明は、葵祭で有名な下鴨神社の将来を約束された神官の子として生まれた。だが、ついにその座に就くことなく山里の小さな庵に隠棲し、混迷する都のさまを見つめつつ、この世の無常と身の処し方とを綴った。
 
 
  方丈記 全訳注 <書籍> 著者: 安良岡康作    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鴨長明が隠棲した、京都市日野山の、方丈の庵の跡に立つ時、人は、そこの生活が、いかに苛酷なものであったかを思わぬ者はないであろう。彼は、日野山における孤独と寂寥と窮乏に堪え、自己の生涯の帰結をこの庵の生活に求めて、その中に、深い「閑居の気味」を見いだしている。
 
 
  新訂 方丈記 <書籍> 鴨 長明 / 校注: 市古貞次   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  人の世の無常を感じ出家遁世した長明(一一五五?―一二一六).が,方丈の草庵でもなお「汝すがたは聖人にて心は濁りに染めり」と自責せずにはいられない.この苦渋にみちた著者の内面と,冷静な目によって捉えられた社会とが,和漢混淆・対句仕立ての格調ある文章で描かれる.長明自筆といわれる大福光寺本のすべての影印と翻字を付した.
 
 
  『方丈記』より 五大災厄   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『方丈記』といえば、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。」云々という、冒頭の名文は有名ですが、この短い古典の全文を読まれた方は少ないのではないでしょうか。
 
 
無名抄.1212
  無名抄 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『無名抄』(むみょうしょう)は、鴨長明による鎌倉時代の歌論書(和歌に関する理論および評論の書)。正確な成立年は不詳であるが、建暦元年(1211年)10月以降、鴨長明没の1216年までに成立したと考えられている。別名『長明無名抄』『無名密抄』など。約80段からなる。全1巻。6種類以上の諸本が存在するが、その違いは後の人による付加部分の違いに由来する。 歌論としては、幽玄論、題詠論、本歌取りなどの技術論などを記述している。
 
 
  無名抄の部屋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このページは,無名抄を楽しんで勉強してもらうために作ったものです。主に,学校での授業を中心に考えています。 授業の為の予習・復習に使っていただけるといいでしょう。  無名抄/鴨長明/おもて歌のこと/出で映えすべき歌のこと
 
 
  無名抄に見る峠   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  この段では、和歌の歌風の歴史を通して近代の和歌の意義、長明自身の考え方を表している。抜き出した部分を口語訳すると、 「...してみると、この新しい歌風を会得するということは、和歌の作法を心得た人が、さらに名人の境地に進み、奥義に到達したあとに、初めて可能なことである。」となる。
 
 
  無名抄 古文(国語の勉強)ホーム   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無名抄 古文(国語の勉強)ホーム - 用語集
 
 
  歌論 無名抄、後鳥羽院御口伝と新古今和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歌林苑を主催した俊恵(1113〜1191年)の門下で歌を学んだ鴨長明(1155〜1216年が著した随筆的歌論書。80段ほどの歌論、故事由来、逸話など挙げています。俊恵との会話の中でそれぞれの歌の善し悪しを述べたり、俊成、寂蓮、隆信、俊成卿女、宮内卿のエピソード、三体和歌での様子、せみの小川の歌、新古今の秀歌三首(このうちの一首は無名抄のみにあり、切り出されたものと考えられております。)などがあります。
 
 
  無名抄 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無名抄 [単行本]  鴨 長明 (著) 川村 晃生, 小林 一彦
 
 
  無名抄総索引 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鴨長明の歌論書「無名抄」についての初めての語句総索引。日本古典文学大系を底本に、本文は歴史的仮名遣いによる平仮名表記、文番号を付記し、主要五本との校異を記した。
 
 
金槐和歌集.1213
  ⇒金槐和歌集.1213    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「004 【文芸ぁ 中世文学:方丈記:正法眼蔵:平家物語:徒然草」 ⇒金槐和歌集.1213
 
 
古事談.1215
  古事談 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『古事談』(こじだん)は、鎌倉初期の説話集。村上源氏出身の刑部卿源顕兼(源顕房5代目の子孫、1160年-1215年)の編。建暦2年(1212年)から建保3年(1215年)の間に成立。 顕兼は、長年刑部卿を務める一方で、藤原定家や栄西らとも親交があった教養人であり、有職故実にも精通していた。 奈良時代から平安中期に至るまでの462の説話を収める。王道后宮・臣節・僧行・勇士・神社仏寺・亭宅諸道の6巻からなり、巻ごとに年代順で配列。
 
 
  続古事談 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  続古事談(ぞくこじだん)は鎌倉初期の説話集。編者不詳。跋文によれば建保7年(1219年、同年承久と改元)4月23日成立。全六巻のうち、現存本は巻三を欠く。185話収載。 構成は『古事談』を範とし、「王道后宮・臣節・(欠巻)・神社仏寺・諸道・漢朝」の各巻からなる。うち漢朝部は『古事談』に無い。所収の説話伝承は『中右記』、『長秋記』、『中外抄』、『富家語』などを出典とし、日記・故実書の利用は『古事談』に似ているが、文体は和文(仮名文)で儒教の教訓性を持つ説話が多い。
 
 
  『続古事談』第二 第六話(四二)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  伊尹流に祟る怨霊となった藤原朝成さんの話 その壱
 
 
  『古事談』 貞盛預言將門謀叛事   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  將門參入仁和寺式部卿宮敦實親王御許,從者郎等五、六人云爾.出御門時,貞盛復參入,不帶郎等.於是,入謂親王曰:「恨手下無兵.若攜郎等,今日當殺將門.此將門者,它日天下患者必彼夫也!」後果如其言
 
 
  『古事談』を読み解く <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  書籍紹介: 文学・歴史はじめ様々な分野から、一線に立つ20人が渾身の書き下ろし。加えて益田勝実著「古事談鑑賞」を収録。古事談の内奥に切り進み、本質を解き明かしたはじめての書。先行の主要研究文献を一覧できる文献目録付。
 
 
  新日本古典文学大系41 古事談・続古事談 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ふるき人のさまざまのものがたり-。記録にはない情報や秘話を織り込みつつ叙述される、600を超えるはなしの数々。天皇・貴族たちの人間的側面を描き、ことがらの裏面を穿ち、古代から中世への架橋となった説話集。
 
 
発心集.1216
  発心集 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  発心集(ほっしんしゅう)鎌倉初期の仏教説話集。『方丈記』の作者として知られる鴨長明(1155−1216)晩年の編著。建保四年(1216)以前の成立。「長明発心集」とも。仏の道を求めた隠遁者の説話集で『閑居友』、『撰集抄』などの説話集のみならず、『太平記』や『徒然草』にまで影響を及ぼし、これがいわゆる説話の本性というべきものである。 流布本は八巻102話であるが、現存しない三巻本が最も原型に近いと考えられ、そのほか五巻62話の異本もある。
 
 
  發心集 序・第一   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ほとけのをしへたまへる事あり、「心の師とはなるとも、こゝろを師とすることなかれ。」と。まことなるかな、此こと。人一期のあひだに思ひとおもふわざ、あくごうにあらずといふ事なし。
 
 
  鴨長明『発心集(ほっしんしゅう)』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『発心集(ほっしんしゅう)』全巻の原文全文および現代語訳を紹介します。教材研究や授業プリント作成などにご利用いただけます。
 
 
  「「発心集」研究の学生さんへ - 文学よもやま    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このブログは何の検索語でたどったのか、わかるようになっていて「発心集」で検索が多く、卒論でやってみようかという学生さんに少しだけ、お話ししておきます。
 
 
  新潮日本古典集成》方丈記 発心集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  痛切な生の軌跡、深遠な現世の思想――中世を代表する名文『方丈記』に、世捨て人の列伝『発心集』を併せ、鴨長明の魂の叫びを響かせる魅力の一巻。
 
 
  方丈記・発心集・歎異抄―現代語訳 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  楽に読める大活字の現代語訳。上段に現代語訳、下段に原文を収録。各章段の主題・素材などに即してタイトルを付し、時に小見出しを設けて内容を示している。 --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。
 
 
  貞慶『愚迷発心集』を読む―心の闇を見つめる [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  徹底した自己凝視を経て求道、発心の祈りへ。鎌倉時代の名僧、解脱上人貞慶はいかに悩み、何を信ずるに至ったか。流麗な現代語訳と詳細な解説で、現代に通ずるその精神に触れる。略年譜付。
 
 
続古事談.1219
新注 古事談 単行本
  続古事談 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  続古事談(ぞくこじだん)は鎌倉初期の説話集。編者不詳。跋文によれば建保7年(1219年、同年承久と改元)4月23日成立。全六巻のうち、現存本は巻三を欠く。185話収載。 構成は『古事談』を範とし、「王道后宮・臣節・(欠巻)・神社仏寺・諸道・漢朝」の各巻からなる。欠巻部分は「僧行・勇士」であったとする説が強い[1]。うち漢朝部は中国古典・史書などからの引用であり、『古事談』には無い。  脚注/外部リンク
 
 
  続古事談とは - はてなキーワード    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  説話集。六巻、巻三がなくなった。編者未詳、1219年成立。 「古事談」を模して作られ、王道后宮・臣節・神社仏寺・諸道・漢朝の各編に分かれるが、大半は貴族社会の説話に絞める。   
 
 
  続古事談(ぞくこじだん)とは - コトバンク   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の説話集。6巻 (1巻欠) 。著者不詳。建保7 (1219) 年成立。『古事談』にならい,王道后宮以下の項目を設け,『台記』『今鏡』などに取材した貴族社会を主体とした説話を収めている。
 
 
  続古事談の現代語訳を教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  原文は・・嘉承元年の夏、世の中さわがしくて、東西二京に死ぬる者多かりけり。そのなかに御所の御筆結ひ能定、病つきて七日といふに死にけり。 ・・
 
 
  「続古事談」: 現代語訳を教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  六波羅の太政入道、福原の京建てて、みな渡りゐて後、ことのほかにほど経て、古京と新京といづれかまされると言ひ、定めをせんとて、古京に残りゐたるさもある人ども、みな呼び下しけるに…
 
 
  古事談・続古事談 (新日本古典文学大系 41) 単行本 - Amazon.co.jp   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  内容: ふるき人のさまざまのものがたり-。記録にはない情報や秘話を織り込みつつ叙述される、600を超えるはなしの数々。天皇・貴族たちの人間的側面を描き、ことがらの裏面を穿ち、古代から中世への架橋となった説話集。
 
 
  新注 古事談 単行本 - Amazon.co.jp   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  内容: 歴史の秘話や意外なこぼれ話を収めた、鎌倉時代成立の短篇物語集を全文収録。
 
 
  続古事談 単行本 - Amazon/co/jp   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  内容: 伴信友本(小浜市立図書館蔵)を底本として翻刻。底本の原形が再現できるように配慮した頭注つきの本文の他に、解説、関係説話一覧表、人名索引等を収める。
 
 
  YouTube - 第3問 続古事談-4   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  YouTube - 第3問 続古事談-4
 
 
愚管抄.1220
  愚管抄 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  愚管抄(ぐかんしょう)とは、天台宗僧侶の慈円著による、鎌倉時代初期の史論書。全7巻。承久の乱の直前、朝廷と幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)ごろ成立したが、乱後に修訂が加えられている。 神武天皇から順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捕らえ、末法思想と「道理」の理念とに基づいて、仮名文で述べたもの。慈円は朝廷側の一員であるが、源頼朝の政治を道理にかなっていると評価している。
 
 
  愚管抄から   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  慈円『愚管抄』(岩波古典体系本p251〜252)の10行ほどを、まず、引用する。ここでも、読みやすさを重視して表記する。引用中グリーンは、すでに本文中で引用していた箇所をしめす。
 
 
  愚管抄完成   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  承久2年(1220年)、慈円(じえん:66歳)が歴史書「愚管抄(ぐかんしょう)」を完成させた。慈円は藤原忠通の子であり、摂政関白を務めた九条兼実の弟である。比叡山延暦寺の最高職に4度も就いた高僧中の高僧であり、和歌にも優れていたという。
 
 
  愚管抄 慈円著     TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  第一巻 漢家年代 皇帝年代記(神武−後醍醐)/第二巻 皇帝年代記(朱雀−後堀川)/第三巻 歴史(神武−一條)/第四巻 歴史(一條−後白河)/第五巻 歴史(後白河−後鳥羽)/第六巻 歴史(後鳥羽−順徳)/第七巻 附録(人生観)
 
 
  愚管抄 第四巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  一條院ハ七ニテ位ニツカセ給テ。廿五年タモタセヲハシマシテ。卅二ニテ寛弘八年六月廿二日カクレサセヲハシマシケリ。六月十三日ニ御譲位。十九日御出家。御戒師慶円座主ナリケリ。
 
 
  愚管抄(巻第五)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  この内乱たちまちにおこりて、御方(みかた)ことなくかちて、とがあるべき者ども皆ほど/\に行はれにけり。死罪はとゞまりて久(ひさし)く成(なり)たれど、かうほどの事なればにや、行はれにけるを、かたぶく人もありけるにや。…
 
 
  愚管抄関係の画像    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  愚管抄関係の画像
 
 
  朝日将軍木曽義仲   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  木曽義仲軍の乱暴狼藉は「平家物語」の捏造である。「玉葉」の風聞である。  かやうにてすぐる程に、この義仲は頼朝を敵(かたき)に思ひけり。平氏は西海(さいかい)にて京へ帰り入らんと思ひたり。…
 
 
  『愚管抄』と『吾妻鏡』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『吾妻鏡』についての史家の見解は、編纂の時期、北条氏の政権がすでに確立していて、編者はその庇護をうけているために、史実の見解をことさらに歪曲して、北条氏の事迹を正当化することにつとめている点が少なくないということに一致している。
 
 
  『ひらがな愚管抄巻七巻』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  今仮名にて書くこと高きやうなれど、世の移りゆく次第と[を]心得べき様(やう)を、書きつけ侍る意趣は、惣じて僧も俗も今の世を見るに、智解(ちげ=知恵の理解)のむげに失せて学問と云ふことをせぬなり。…
 
 
  七.「愚管抄」に見る追捕乱暴   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  七.「愚管抄」に見る追捕乱暴(愚管抄巻第五より) 七.一 義仲軍の挙兵から入京まで
 
 
  『愚管抄』〜歴史の真相と物語〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  武士の台頭がいよいよ活発となっていく契機となった保元の乱(1156年)の勃発する前年に慈円は誕生し、『愚管抄』そのものは承久の乱(1221年)を目前に成立したと言われている。 慈円は摂関家出身で、延暦寺の僧の最高位である天台座主となった。
 
 
  慈円著『愚管抄』: 里山のフクロウ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  加藤周一は『日本文学史序説』において、平安朝文化最後の知識人たちの、新時代に対する反応を、次のように整理しています。「定家は文化を擁護し、建礼門院右京大夫は失われし時をもとめ、鴨長明は退いて観察し、慈円は日本語ではじめて「歴史」を書く」。各々の編纂・著作は、『新古今和歌集』『建礼門院右京大夫集』『方丈記』そして『愚管抄』と続く。
 
 
  第27回 −愚管抄 1.神皇正統記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『神皇正統記』を説く場合、必ず引き合いに出されるのは、『愚管抄』である。それはまことに、『正統記』の特色を、浮彫りにしてくれる史観である。その著者・著作の時・著述の動機・その訴える思想内容などは、非常に興趣深いものであるが、今はこれを詳論するのが目的ではないので、ごく大まかに一瞥するにとどめる。
 
 
  『愚管抄』慈円 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  慈円をどう読むか、ずっと課題だった。あの晦渋な文体をどう読むかではなく、慈円の意図をどう読むかということである。 日本人として、日本の歴史を読む者として、この課題はまことに大きいものがある。
 
 
  愚管抄 ―我が国三大史論書のひとつ― 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  史論。七巻。歌人で天台座主をつとめた慈円(じえん)(1155〜1225)著。承久二年(1220)成立。 神武天皇から順徳天皇までの歴史の大要を説き、著者の史観を述べたもの。歴史の推移を導く「道理」を説いている。
 
 
  『平治物語』『愚管抄』『百錬抄』の六波羅行幸等の記述一覧   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  六波羅行幸から合戦に至る“日付の違い”を、それぞれ『平治物語』『愚管抄』『百錬抄』について一覧表にしてみた。 ちなみに『愚管抄』の合戦の日付を“行幸翌日”としたのは、愚管抄第五巻にある六波羅行幸の早朝、清盛が信頼に「名簿」を差し出していること。…
 
 
  院政期社会の言語構造を探る 慈円ーーまめやかの歌よみ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  俊成の指導のもと、九条家で定家と和歌の技を競ったライバルに慈円と良経がいる。次に二人のプロフィールと作品(エクリチュール)を紹介しておこう。
 
 
  不朽の名著「愚管抄」の著者・僧慈圓が第三代門主を務めた青蓮院を訪ねた   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  知恩院から青蓮院に向かった。 青蓮院が最も隆盛を極めたのは、平安末期から鎌倉時代にかけてである。その頃の門主は不朽の名著「愚管抄」の著者で知られる慈圓(慈鎮和尚、じちんかしょう、藤原兼実の弟)であった。
 
 
  愚管抄 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国初から承久の乱にいたる日本歴史の大概を叙しながらも,単なる編年史ではなく,「道理」の理念を中心思想とする独自の史観に基づいた哲学的著作として,史学史上また思想史上異彩を放つものである.ことに保元以降鎌倉前期の世態については,天台座主たる著者慈円が自ら体験したところをありのままに録したものである.
 
 
  愚管抄 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  愚管抄 (岩波文庫) [文庫]
 
 
  愚管抄を読む [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中世の僧慈円の主著に歴史思想の本質を問う平清盛全盛の時代、比叡山に入り大僧正天台座主にまで昇りつめた慈円。摂関家出身で常に政治的立場をも意識せざるを得なかった慈円の目に映った歴史の道理とは?
 
 
  愚管抄の創成と方法 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中世の代表的歴史書であり、 承久の乱前後における公家と武家の関係を、 歴史の叙述に重点をおき論じた思想書でもある『愚管抄』の著述目的を解明するものである。 (1)愚管抄への道 (2)愚管抄の形成 (3)愚管抄の展開結論・初出一覧・あとがき・索引 (人名・書名)
 
 
  『愚管抄』の〈ウソ〉と〈マコト〉 (書籍)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中世のはじめに書かれた慈円の歴史書『愚管抄』は、どのように「虚」を構えることによって、現実の歴史を超え出て、あるべき未来の歴史のビジョンを打ち出すことができたのか。 多分に「虚構」をまじえた、その「主体」のあり方と「叙述」のメカニズムを解明し、『愚管抄』の「文学」的な価値を計測する。
 
 
  愚管抄の研究 その成立と思想 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  思想としての歴史。細密な史料の読みから、慈円が愚管抄によって語ったのは、思想的構造体としての歴史であり、その思想が優れた歴史哲学であることを証明した研究。 慈円が語ったのは思想構造体としての歴史であり、その思想が優れた歴史哲学であることを証明する。
 
 
住吉物語.1221
  住吉物語(すみよしものがたり)とは - コトバンク   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代前期の擬古物語。作者,成立年未詳。2巻。平安時代,『源氏物語』『枕草子』以前に同名の物語があったが散逸。現存作はその改作か。左衛門督の姫が継母の奸計を避けて家出し,住吉の尼のところに身を寄せるが恋人に迎えられて帰京,幸福な生活に入り継母は報罰を受ける。
 
 
  住吉物語 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『住吉物語』(すみよしものがたり)は鎌倉前期の擬古物語。1221年ごろ成立したものと考えられる。作者未詳。全2巻。   参考文献/外部リンク
 
 
  住吉物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  姫君は継母の策略から逃れるため、都を離れ住吉に隠れ住んだ。少将は中将に昇進したが、いとしい姫君の行方をずっと捜している。見つからないので中将は初瀬にこもって、姫君が見つかるように祈願した。 春秋が過ぎて旧暦九月位に初瀬にこもって七日目という日、一晩中、念仏して明け方に少しウトウトした夢に、身分の高そうな女が顔をそむけて座っていた。…
 
 
  住吉物語について - 物語談義   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  後の時代に改作されたもの。地名+物語ですが、伊勢物語や大和物語と違って歌物語でも短編集でもありません。 一人の姫君が難を逃れて京を離れ、住吉に隠れ住んでいたところ初瀬の夢告げで居場所を知った恋人が探しに来て・・・という内容。 歌で主人公たちが気持ちを表すのは、伊勢物語や源氏物語と同じです。 1、姫君住吉へ逃亡 / 2、中将、夢で姫に会い住吉へ
 
 
  『住吉物語』 の描写時代 (PDF)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  現存『住吉物語』の共通祖本の成立を、「寛和二、三年頃、大斎院選子の文学サロンにおいて」と推定された稲賀敬二氏の御論を、稿者はまさに膝を打つ思いで読んだ…
 
 
  住吉物語 の通販商品一覧(71件) - Yahoo!ショッピング   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  住吉物語の基礎的研究/住吉物語・石川 透 編/『住吉物語』の世界 [本]/住吉物語 石川透・・など。
 
 
  住吉物語のあらすじを教えてください 少将は結局だれがすきだったんですか?? - Yahoo!知恵袋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  実母を失った継子の姫君に求婚者が現れ,結婚の幸福が得られそうになるとそのつど継母が妨害する。たまりかねた姫君は実母の乳母(尼)を頼って住吉へ身を隠す。求婚者(少将)はほうぼうを探した末に住吉へ参籠して夢告を得,姫君と再会,ともに都へ帰って幸福な結婚生活を営む。…
 
 
閑居友.1222
  閑居友 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  閑居友(かんきょのとも)は仮名文で書かれた鎌倉初期の仏教説話集。識語に「閑居之真友、発心之良媒」とあり、命名の義と思われる。承久4年(1222年)春成立。二巻32話からなり、先行の説話集に無い話だけを収める。高貴な女性某のために、求道のあるべき姿を示した書。先行する『発心集』の影響を受けて、その欠陥を改め、思想を継承・補完することが意図と、作者は言う。 作者は、古来慈鎮和尚ではなく研究の結果、彼の兄の孫の天台僧証月房慶政上人。
 
 
  前田家藏傳爲相筆本閑居友を見て   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  前田侯爵家の傳爲相筆閑居友上下二帖が、尊經閣叢刊戊寅歳配本として、本年四月二十日附けで複製せられた。たま&#12339;&#12341;先日藤井乙男先生の御宅へ參上したところ、「見たか」と云つて本を見せて下さつた。…
 
 
  閑居友―会・文庫所蔵重要文化財 [単行本(ソフトカバー)]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  慶政の著した「閑居友」の影印本。1985年発行の再刊。太田晶二郎による「閑居友雑録」も併録。〈ソフトカバー〉
 
 
  宝物集 閑居友 比良山古人霊託 新日本古典文学大系 (40) [ハードカバー]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中世仏教説話集.『宝物集』は,様々な証話・和歌をあげて往生極楽を勧説したユニークな仏教概説書.求道譚・遁世譚を共感を込めて語った『閑居友』.うら若い女房にとり憑いた天狗が語り出す『比良山古人霊託』.
 
 
海道記.1223
  海道記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  海道記(かいどうき)は、貞応2年(1223年)成立と考えられる紀行文。内容は貞応2年(1223年)4月4日、白河の侘士なる者が京都から鎌倉に下り、17日鎌倉に着き、善光寺参りの予定をやめて、さらに帰京するまでを描いている。中世三大紀行文(ほかに『東関紀行』、『十六夜日記』)のうちの一つ。作者未詳。 作者は、近世、寛文4年に本書が『鴨長明海道記』として、慶長2年の細川幽斎の跋を加えて上梓されているが、没年から鴨長明説は否定されている。
 
 
  海道記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  白河の渡り中山の麓に閑素幽栖の侘士あり。性器に底なければ、能をひろひ藝をいるゝにたまるべからず。身運は本より薄ければ、報ひをはぢ命をかへりみて、うらみをかさぬるに所なし。…
 
 
  海道記 <関連書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  海道記 <関連書籍>
 
 
  東関紀行  海道記 <文庫>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「東関紀行」は承久役後21年,「海道記」は同役後2年,当時政治の中心地であった鎌倉へ下向した両著者の東海道紀行である.前者が各地の風物・故事を淡々と叙しているのに対して,後者はほとんど全紙面にその人生観を披瀝している特色も興味が深い.本版は,東関紀行は群書類従本,海道記は前田侯爵家蔵古写本を底本とした.
 
 
  海道記全釈 笠間注釈叢刊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  海道記全釈 笠間注釈叢刊
 
 
  東関紀行・海道記/玉井幸助   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  東関紀行・海道記/玉井幸助  岩波文庫
 
 
建礼門院右京大夫集
建礼門院右京大夫集
  建礼門院右京大夫 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - 没年未詳)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。父は藤原(世尊寺)伊行。母は大神基政の娘で箏の名手である夕霧。 承安3年(1173年)高倉天皇の中宮建礼門院平徳子に右京大夫として出仕。藤原隆信、平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たという。… 家集に資盛との恋の歌を中心とする「建礼門院右京大夫集」がある。
 
 
  建礼門院右京大夫集 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)は鎌倉初期に成立した歌数約360首(他人との贈答を含む)の私家集。世尊寺流藤原伊行女、右京大夫(1155年? - ?)の自撰。 作者は承安2年(1172年)より右京大夫の女房名で中宮時代の建礼門院(平徳子)に出仕したが六年足らずで辞し、のち後鳥羽上皇とその生母七条院に合わせて二十年以上仕えたが、昔が忘れがたいという本人の希望で勅撰集には「建礼門院右京大夫」の名で称された。
 
 
  建礼門院右京大夫集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (原文) またの年の春ぞ、まことにこの世のほかにきゝはてにし。そのほどの事は、ましてなにとかはいはん。みな、かねて思ひしことなれど、だゞほれぼれとのみおぼゆ。あまりにせきやらぬ涙も、かつはみる人もつゝましければ、なにとか人もおもふらめど、心ちのわびしきとて、ひきかづき、ねくらしてのみぞ、心のまゝになきすぐす。…
 
 
  「建礼門院右京大夫集」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  数多くある日本の古典の中で何が一番好きかと聞かれたら、私はためらうことなく、「建礼門院右京大夫集」 と答える。これは、平安末期の平家全盛時代に、建礼門院という女御につかえた 右京大夫という女性の私家集(和歌集)である。右京大夫が 生涯においてもっとも愛した平資盛(たいらのすけもり)を壇の浦の源平の戦いで失った悲しみと、資盛へのさめやらぬ夢を中心に歌日記風に綴られている。
 
 
  『建礼門院右京大夫集』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1作者 : 建礼門院右京大夫--本名不詳。生没年未詳。生年は保元二(1157)年ごろとも言われる。歌人。父は藤原伊行(これゆき)、母は夕霧尼。母は箏の名手であった。承安三(1173)年、高倉天皇の中宮徳子(後の建礼門院)に仕えた。建礼門院右京大夫の名はこのときの女房名に因むものと考えられる。この出仕期間は六年間であったが、この間に平賀盛との恋愛が始まっている。…
 
 
  『建礼門院右京大夫集』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1作者:建礼門院右京大夫/2成立:源平の戦いに死んだ作者の恋人平資盛を偲ぶ形見の記録として、動乱収拾後に作者の手で編まれたものであろう。/3内容と時代背景:内容は、種々にわたるが、題詠の習作に近いもの、他人との贈答歌、詞書が長い歌物語風のものなどである。
 
 
  建礼門院右京大夫集の部屋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このページは,建礼門院右京大夫集を楽しんで勉強してもらうために作ったものです。主に,学校での授業を中心に考えています。 授業の為の予習・復習に使っていただけるといいでしょう。  建礼門院右京大夫集について/建礼門院右京大夫集(本文)
 
 
  建礼門院右京大夫 - ザキーヤ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家に少しでも興味のある人なら、『建礼門院右京大夫集』をご存じのかたは多いと思う。 これは、『平家公達草紙』や『たまきはる』等と並んでありし日の平家の姿を知る上でまことに貴重な作品である。
 
 
  建礼門院右京大夫 - 熊野の歌   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ。生没年未詳)は平安末期〜鎌倉初期の女流歌人。平清盛の二女、高倉天皇の中宮、建礼門院に仕え、平家没落後は仏門に帰依しました。 平重盛の次男、平資盛(すけもり)に愛され、家集『建礼門院右京大夫集』には資盛との恋の歌が多くおさめられています。
 
 
  建礼門院右京大夫集  平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院右京大夫は、源平の争乱期を生きた女性です。 高倉天皇の中宮平徳子に仕えた宮廷生活、平資盛との恋、彼女の生きた証ともいえる『建礼門院右京大夫集』をひも解くと、もうひとつの平家物語といわれている意味がよくわかります。 そこに描かれている平家の公達の姿、宮廷の華やかな風景描写は、平家の時代の生の史料です。
 
 
  建礼門院右京大夫集 - 七夕恋歌   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  七夕・・・牽牛星と織女星が一年に一度逢うという星合の物語。 おそらく、右京大夫も小さい頃は恋物語に憧れ、そして、自らも恋人ができてからは自分の境遇を重ねてみたことだろう。 しかし、右京大夫にとって七夕は、逢う日ではなく、永遠の別れの日となる。 寿永ニ年、七月・・・平家一門は都を逃れて西へとむかっていった。
 
 
  建礼門院右京大夫集(3) - 古典をたずねて   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  右京大夫には資盛(すけもり)のほかに、もう一人藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)という恋人がいた。資盛との恋が純粋結晶とするならば、隆信との恋は大人の恋愛といえる。隆信は家集「藤原隆信朝臣集(あそんしゅう)を持ち、似絵(にせえ、肖像画)の開祖といわれ、教科書にもよく登場している後白河法皇像や源頼朝像の作者と伝えられている文化人であった (写真は隆信筆と伝えられる源頼朝像)。
 
 
  建礼門院右京大夫 - あのひと検索 SPYSEE   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - ?)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。
 
 
  糸賀きみ江訳註 『建礼門院右京大夫集』とか。   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院徳子の女房として平家一門の栄華と崩壊を目のあたりにした女性・右京大夫の追想の記。歌と管絃と恋に生きた宮仕えの春秋、最愛の人資盛を壇ノ浦に喪ったあとの悲嘆の日々…明暗の折々に詠まれた歌三百六十余首と詞書とが濃密に結び合う。『平家物語』の叙事詩的世界を抒情詩で描き出した日記的家集の名品を情趣豊かな訳と注解で味わう。
 
 
  建礼門院右京大夫集 (その一)  古典をたずねて   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古典としてはややマイナーだが、私が好きな古典に「建礼門院右京大夫集」がある。今回はこの家集(歌集) について3回に分けて述べてみたい。
 
 
  文芸の中の女性〜建礼門院右京大夫集 - 夢のもつれ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  タッキーのファンでもないのですが、大河ドラマの「義経」は毎週見ています。石原さとみちゃんの静御前とのやり取りは学芸会的な味わいがあってなかなか楽しめます。あの中で、中越典子が平清盛の娘、安徳天皇の母の建礼門院徳子を演じていますが、彼女は壇ノ浦で幼帝とともに入水しながら独り義経軍に引き上げられ、出家して洛北の大原寂光院で余生を送りました。
 
 
  夢のもつれ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  七夕八首:七夕伝説はご存知の方も多いでしょうが、天帝の娘で機織の上手な働き者の織姫とこれまた働き物の牽牛のお話です。天帝は二人の結婚を認めたんですが、夫婦生活が楽しいあまり、織姫は機を織らず、牽牛は牛を追わなくなってしまったんで、天帝は怒り、二人を天の川によって引き離してしまったわけです。しかし、七夕の日に会うことだけは許しました。… 歌の世界ではこの伝説を下敷きにしたものがたくさんあります。
 
 
  『建礼門院右京大夫集』解題 - 九州大学図書館蔵本について   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  九州大学附属図書館細川文庫所蔵『建礼門院右京大夫集』は、細川家旧蔵本で、縦二二・七センチ、横一八・一センチの粘葉装一冊本。表紙は薄黄色の地に草花と鳥の文様を織り出した緞子。
 
 
  建礼門院右京大夫 けんれいもんいんのうきょうのだいぶ 生没年未詳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  生年は仁平二年(1152)、久寿二年(1155)など諸説ある。 宮内少輔従五位上世尊寺流藤原伊行(これゆき)の娘。母は大神基政(おおみわのもとまさ)の娘、夕霧。父は三蹟の一人行成の六代孫で、自身も書家であった。母は筝の名手であったという(「中院右大臣家夕霧」の名で新勅撰集に歌を採られている)。兄弟に伊経・行家・尊円ほかがいる(尊卑分脈)。
 
 
  現代語で読む 建礼門院右京大夫集――惜春と鎮魂の譜 - 源平観戦日記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  右京大夫って、藤原隆信と平資盛の両方と付き合ってますよね。「誰」が明確に示されない古文だと、「あれ? これはどっちの男との話なんだ!?」と混乱することもしばしば。 現代語訳のない岩波版だとちょっと自信ないトコロもあったので、この本を購入しました。和歌の訳が読めるのもいいですねー。
 
 
  建礼門院右京大夫集 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  悲劇の中宮建礼門院に仕えて人の世の浮き沈みを目のあたりにし、自らは華やかな平安末期の宮廷にあって平家の公達らとの恋に心を燃やした女流歌人の情感あふれる歌集。長文の詞書と歌が一体となり一種の歌物語とも歌日記ともなっている。他にこの集と共通する世界や人物を描いた『平家公達草紙』を三種集めて併せ収めた。
 
 
  建礼門院右京大夫集 <学術文庫>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  建礼門院徳子の女房として平家一門の栄華と崩壊を目のあたりにした女性・右京大夫の追想の記。歌と管絃と恋に生きた宮仕えの春秋、最愛の人資盛を壇ノ浦に喪ったあとの悲嘆の日々……
 
 
  建礼門院右京大夫集 全訳注 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家興亡のなか歌と恋に生きた女の惜春の書中宮徳子に仕え、平家の公達と交流した宮廷での春秋。壇ノ浦に恋人資盛を失ってからの悲嘆の日々。情趣豊かな訳と懇切な注解で味わう「恋と追憶のモノローグ」。
 
 
  建礼門院右京大夫集/とはずがたり <新編 日本古典文学全集>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本書は、壇ノ浦で戦死した平資盛(すけもり)との悲恋を詠み込んだ私家集『建礼門院右京大夫集』と後深草院に愛されたがために、数奇な人生をたどることになった二条という女性の告白の記『とはずがたり』の二点を収載しました。
 
 
拾遺愚草.1233
  拾遺愚草   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  拾遺愚草(上中下) 整定本文/拾遺愚草(上中下) 翻刻資料
 
 
  拾遺愚草 藤原定家   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西行上人みもすその歌合と申して判ずべきよし 申しゝをいふかひなくわかかりし時にて度々か へさひ申しゝをあながちに申しをしふるゆゑ侍…
 
 
  拾遺愚草. 上,中,下 / 藤原定家 [撰]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  拾遺愚草. 上,中,下 / 藤原定家 [撰]   古典籍総合データベースTOPへ
 
 
  藤原定家 ふじわらのさだいえ(-ていか)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  応保二年(1162)、藤原俊成(当時の名は顕広)四十九歳の時の子として生れる。母は藤原親忠女(美福門院加賀)。同母兄に成家、姉に八条院三条(俊成卿女の生母)・高松院新大納言(祗王御前)・八条院按察(朱雀尼上)・八条院中納言(建御前)・前斎院大納言(竜寿御前)がいる。初め藤原季能女と結婚するが、のち離婚し、建久五年(1194)頃、西園寺実宗女(公経の姉)と再婚した。子に因子(民部卿典侍)・為家ほかがいる。寂蓮は従兄。御子左家系図
 
 
  藤原定家―拾遺愚草抄出義解  <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歌を歌として読むのに、作者の名前や背景などは第一義のことではない。遣われた詞のどこが、なぜ、面白いかというだけで充分である…。有心、幽玄の新古今時代を代表する天才的歌人・定家。古来、難解とされてきたその厖大な和歌から80首を選び、注釈がおのずと伝記を包摂する独自の方法で義解をほどこす。歌をその制作現場に戻して、1つ1つの言葉とその発想を分析し、味読する白眉の定家論。
 
 
新勅撰和歌集.1235
  9.新勅撰和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/9.新勅撰和歌集
 
 
小倉百人一首.1235
  小倉百人一首   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  百人一首(和歌)の部:縦書きの楷書体(ルビ付)と歌人の挿絵で楽しむ百人一首。/歌留多(かるた)の部:百人一首かるたの遊び方や札の覚え方など。
 
 
  小倉百人一首について   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  百人一首は、鎌倉時代、京都の小倉山に住んでいた歌人の藤原定家が、百人の人の最も代表的な和歌を一首ずつ選んだものです。 天智天皇から順徳院までの、約600 年間の代表的な歌人の秀歌が、年代順に配列されています。それらの百首は、すべて「古今集」 ・「新古今集」など十の勅撰和歌集から選ばれたものです。… 百首のうち、恋の歌が四十三首もあり、季節では秋の歌が十六首で一番多く選ばれています。なお、百人のうち女性歌人は二十一人、僧侶は十五人です。
 
 
  小倉百人一首   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「71伝承遊び・昔遊び」/百人一首
 
 
宇治拾遺物語.1242
  宇治拾遺物語 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)は、13世紀前半頃に成立した、中世日本の説話物語集である。『今昔物語集』と並んで説話文学の傑作とされる。編著者は未詳。 題名は、佚書『宇治大納言物語』(宇治大納言源隆国が編纂したとされる説話集、現存しない)から漏れた話題を拾い集めたもの、という意味である。全197話から成り、15巻に収めている。古い形では上下の二巻本であったようだ。
 
 
  宇治拾遺物語 - Wikisource   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  底本は、明治三十四年十二月廿四日發行「國史大系」第十七卷としている。其の本曰く「流布印本を原本にして、「宇治拾遺物語私註」及び本社所蔵一本によって増補をした」とされる。
 
 
  宇治拾遺物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  高校時代、宇治拾遺物語の序と巻第一を現代語訳したものです。 序 : 宇治拾遺物語が、どのようにして出来たのか
 
 
  宇治拾遺物語 巻1   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1 道命阿闍梨と五条道祖神  2 平茸の暇乞い  3 こぶ取り爺  4 伴大納言の夢占  5 隨求&#38465;羅尼の僧  6 師時玉茎検知  7 龍門聖と猟夫  8 易占千両を出す  9 心誉僧正の霊験  10 秦兼久の通俊批判  11 一生不犯と皮つるみ  12 稚児のそら寝  13 落花を惜しむ稚児  14 小藤太、聟を見舞う  15 鮭盗人の弁明  16 老尼、地蔵を見る  17 龍泉寺の百鬼夜行  18 芋粥
 
 
  「宇治拾遺物語の部屋」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ようこそおいで下さいました。 このページは,宇治拾遺物語を楽しんで勉強してもらうために作ったものです。主に,学校での授業を中心に考えています。 授業の為の予習・復習に使っていただけるといいでしょう。  作者AND作品に関する文学史へ/「児のそら寝(児とかいもちひ」へ/「絵仏師良秀」へ/「竜門の聖」へ/「篁の知恵」へ/「袴垂と保昌」へ/「のちの千金の事」へ/「頭の雪」へ
 
 
  宇治拾遺物語  《宇治拾遺物語上》/《宇治拾遺物語下》   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  昔。なりむらといふ相撲ありけり。時に国々の相撲ども。上あつまりて。相撲節まちける程。朱雀門にあつまりて。すゞみけるが。其辺あそび行に。大学の東門を過て。南ざまにゆかんとしけるを。大学の衆どもゝ。…
 
 
  宇治拾遺物語 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の代表的説話集。所収説話一九六話、うち今昔物語と共通説話も多いが、霊験譚・法力譚など仏教説話のほか、雀亀報恩譚や人間滑稽譚など民話風な説話も多い。宮内庁書陵部蔵写本を底本とする。
 
 
  宇治拾遺物語 - 新編日本古典文学全集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『宇治拾遺物語』は鎌倉時代初期の説話集で、『今昔物語集』と同じジャンルに属している。歴史的な説話集の流れとしては『日本霊異記』、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』の順になる。
 
 
  陽明文庫蔵 重要美術品 宇治拾遺物語絵巻 <書評詳細>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歴代の近衞家当主により守られてきた陽明文庫秘蔵の文化財の中から、美術的・文学的価値を有する『宇治拾遺物語絵巻』を取り上げ、原本の全部分をフルカラーで影印。探幽をはじめとする狩野三兄弟による美しい絵画表現、特別に誂えられた多種多様な唐紙に記された近衞家による流麗な書を充分に堪能することが出来る。
 
 
続後撰和歌集.1248?
  続後撰和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/10.続後撰和歌集
 
 
十訓抄.1252
  十訓抄 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  十訓抄(じっきんしょう、じっくんしょう)は鎌倉中期の説話集。編者は未詳、菅原為長、六波羅二臈左衛門入道(湯浅宗業)説がある。建長四年(1252年)成立。 平安朝を中心に本朝・異邦の説話280余を収め、先行説話集に題材を求めたものが少なくない。仏典「十善業道経」に発想し、「十訓」こと十ヶ条の教誡を掲げ、古今和漢の教訓的な話を通俗に説く。儒教的な思想が根底を流れる。年少者の啓蒙を目的に編まれ、その後の教訓書の先駆となった。三巻/十編。
 
 
  「十訓抄の部屋」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ようこそおいで下さいました。 このページは,沙石集を楽しんで勉強してもらうために作ったものです。主に,学校での授業を中心に考えています。
 
 
  十訓抄(じっきんしょう)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  第一 人に恵を施すべき事/第二 傲慢を離るべき事/第三 人倫を侮らざる事/第四 人の上を誡むべき事/第五 朋友を選ぶべき事/第六 忠直を存ずべき事/第七 思慮を専らにすべき事/第八 諸事を堪忍すべき事/第九 懇望を停むべき事/第十 才芸を庶幾すべき事
 
 
  十訓抄 - 仔犬の散歩跡   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1.人に恵を施すべき事/2.傲慢を離るべき事/3.人倫を侮らざる事/4.人の上を誡むべき事/5.朋友を選ぶべき事/6.忠直を存ずべき事/7.思慮を専らにすべき事/8.諸事を堪忍すべき事/9.懇望を停むべき事/10.才芸を庶幾すべき事
 
 
  十訓抄 - 高校古文こういう話   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  イラストレーター柴田純子のブログです。高校生が学習する古文の漫画訳を中心に作っていきます。
 
 
  宇治拾遺物語・十訓抄 - 文藝散歩   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本の中世に生きた人間の多様な人生模様 人生色々・男も色々・女も色々  「宇治拾遺物語」と「十訓抄」は説話文学と呼ばれ、説話集のなかでもとりわけ人に親しまれてきた。  小林保治・増古和子・浅見和彦[校訂・訳]  日本の古典を読む15 小学館
 
 
  十訓抄とは 古文自動翻訳研究センター   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  十訓抄は、「じっきんしょう」もしくは「じっくんしょう」と読み、鎌倉時代中期に書かれた説話集である。人が生きる上で大切にしなければならないことを10個の項目に分けて、それぞれ説話を引き合いに出して説く内容である。
 
 
  十訓抄:解説と原文(一部) - 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉中期の教訓説話集。三巻。 六波羅二畉険厂隋覆蹐はらじろうざえもん)入道の作とされるが未詳。建長四年(1252)成立。 幼少年用の啓蒙書として和漢の説話約二百八十編を以下の十の徳目に分類して収めている。
 
 
  新古今和歌集とエピソード  増鏡、古今著聞集、十訓抄、平家物語     TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  十訓抄 : 建長四年(1252年)に、成立した十か条の教訓をそれぞれのエピソードを踏まえて説いたもの。 新古今和歌集の関係者のエピソードなどが盛り込まれています。
 
 
  『十訓抄』は、建長四年に、京都に精通する鎌倉武士によって書かれたと知り、驚いています!!   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  odayruiko 『十訓抄』を見るよう勧められて図書館に行く。私の古典逍遥は本文より成立や作品の背景。『十訓抄』も解説が貴女に必要と。全く関心なかった古典。それが成立年を見ただけで驚愕。建長四年は宗尊親王下向の年。しかも、作者は京都に精通する鎌倉武士らしいという。となれば俄然・・・
 
 
  新編日本古典文学全集 (51) 十訓抄 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の説話集ですが、若者向けの心得を書いたもので、けっこうおもしろい。実話をもとに、こういうことをするとどうなるか、が分かりやすく書かれている。… 源氏物語には、決して書かれない、貴族の裏話が沢山つまっている書物を、完全現代語訳で読める、おすすめ本です。
 
 
正法眼蔵.1253
  正法眼蔵 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  正法眼蔵(しょうぼうげんぞう 正法眼藏)は、禅僧が執筆した仏教思想書である。正法眼蔵という言葉は、本来、仏法の端的すなわち肝心要のことがらを意味する。… 日本曹洞宗の開祖である道元が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著であり、日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。道元は、中国曹洞宗の如浄の法を継いだが、さらに道元独自の思想深化発展がなされている。
 
 
  正法眼藏    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  辨道話:佛如來、ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。
 
 
  随筆「正法眼蔵」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  道元禅師の主著、「正法眼蔵」を題材にした随筆集を書きたいと思ったのは、小著「心の旅の案内書」を書いていた最中の頃でありました。  第一章 現成公案(げんじょうこうあん)/第二章 摩訶般若波羅蜜/第三章 仏性(ぶっしょう)/第四章 身心学道(しんじんがくどう)/第五章 即心是仏(そくしんぜぶつ)/第六章 行仏威儀(ぎょうぶつゐいぎ)
 
 
  正法眼蔵について   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曹洞宗開祖 道元禅師の著された「正法眼蔵」とは、道元禅師が32歳から54歳までの23年間に弟子や大衆に説示した教えを集めたもので、一般には95巻としてまとめられています。日本曹洞宗のもっとも重要な根本教典であると同時に、日本の生んだ最高の哲学書ともいわれます。
 
 
  『正法眼蔵随聞記』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  宝暦8(1758)年に開板された、いわゆる「面山本」を電子化したものです。和辻哲郎校訂「正法眼蔵随聞記」(岩波文庫)を参照し、オリジナルの形に戻しました。ただし、原文に付されたフリガナは割愛してあります。
 
 
  正法眼蔵〈一〉 道元著 (岩波文庫)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  道元(1200‐53)の主著。和文を主とし時に漢文をまじえて自己の宗教体験を述べ、座禅によって到達する正法の悟りをあらゆる面から説いた。(1)には『辧道話』を巻頭に、1巻「現成公案」―18巻「観音」を収録。脚注・補注を加え読解の助けとした。
 
 
古今著聞集.1254
古今著聞集 (上) (新潮日本古典集成) 単行本  
  古今著聞集(ここんちょもんじゅう)とは - コトバンク   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代中期の説話集。橘成季 (たちばなのなりすえ) 著。 20巻。跋文によると建長6 (1254) 年成立。約 720話を収め,神祇,釈教,政道忠臣,公事,文学,和歌などの 30編に分け,年代順に配列。 本文は出典元の記述の一部を掲載しています。
 
 
  古今著聞集 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古今著聞集(ここんちょもんじゅう)は鎌倉時代、13世紀前半の人、伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集。単に『著聞集』ともいう。20巻約700話からなり、『今昔物語集』に次ぐ大部の説話集である。建長六年(1254)10月頃に一旦成立し、後年増補がなされた。今昔物語・宇治拾遺物語とともに日本三大説話集とされる。 序には「江家都督清談之余波也」とある。さらに実録を補う事が意図であることを述べ、勅撰集の部類に倣ったその構成は実に整然としている。  1 概要 / 2 構成 / 3 特色 / 4 登場する実在の人物 / 5 脚 / 6 参考文献 / 7 関連項目 / 8 外部リンク
 
 
  狐の出てくる話   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  狐の登場する主な話を集めてみました。なぜキツネかって?いろいろ動物の出てくるお話はたくさんありますが、その動物の中で圧倒的に多いのが狐なのです。西洋の話もありますが、多くは日本の話です。どうして日本人は狐が好きなのでしょう。(ちなみに今もうちの息子が好きな「快傑ゾロリ」なんてベストセラーもあったりします)
 
 
  古今著聞集ぶらぶら   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  成季(なりすえ)は、従五位下の下級貴族でしたが多能の人で、詩歌・管弦・画図を得意と師、退官後、折りをみてはそれらにまつわる過去の説話を編纂しているうち、説話の収集が他の分野にもひろがっていったといいます。そして五十歳くらいまでにこの説話集を書き上げました。花鳥風月の話の他に、下級官人の失敗談、笑い話、機知に富んだ人の話、エロ話なども多いことから、この成季という人物は、ジョークや猥談好きで、才能も多岐にわたる好人物だったのかもしれません。
 
 
  七半 〜古今著聞集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  七半(しちはん)は、平安末期〜鎌倉初期に盛んに行われたゲームである。このゲーム、サイコロを2つ使って行われたらしいというまでは分かっているが、実際どのようなルールだったのか正確には分かっていない、というのが私の理解であった。 ところが・・・
 
 
  「古今著聞集」(PDF)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『古今著聞集』 母子猿: 豊ぶ 前ぜんの国の住人太郎入道といふ者ありけり。男なりける時、つねにをー佑韻蝓ある日、山を過ぐるに、大猿ありけれい弌¬擇膨匹づ个擦銅佑燭蠅韻襪曚匹法過たずかせぎに射てけり。…
 
 
  古今著聞集・養老の滝   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  次の文章を読んで後の問いに答えなさい。:昔・元正天皇の御時、美濃(みの)の国に貧しくいやしき男ありけり。]靴い燭詆磴鮖ちたりけるを、此の男、山の木草を⊆茲蠅董△修劉あたひを得て父を養ひけり。
 
 
  6 1062年『古今著聞集』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  〔本文〕:伊予の守源頼義〔みなものとよりよし〕朝臣〔あそん〕、貞任〔さだたふ〕・宗任〔むねたふ〕等を攻むる間、陸奥〔みちのくに〕に十二年の春秋をおくりけり。/〔大意〕:伊予の守源頼義(九八八〜一〇七五)朝臣が阿倍貞任(一〇一九〜六二)や宗任らを攻める時に、陸奥で十二年の年月を送った。…
 
 
  【古文】 大江山 (古今著聞集)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  【本文】:]太式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合 △△蠅韻襪法⊂式部内侍、歌詠みにとられて詠みけるを、 D衢蠅涼翡叱澄△燭呂屬譴法⊂式部内侍に、「丹後へ遣はしける/【現代語訳】:]太式部が保昌の妻として丹後に行く頃に、京で歌合せが △△蝓⊂式部内侍が歌詠みとして選ばれたので、 D衢蠅涼翡叱世冗談で、小式部内侍に「丹後に使いに出した
 
 
  古今著聞集 - 京都大学電子図書館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古今著聞集は、橘成季という人が編集したとされる、鎌倉時代中期の説話集です。 全20 巻・30編におさめられている説話集は、ほとんどが国内限定、しかも年代順に配列され ています。また、すべての説話は百科事典や古今和歌集のように、内容によって分類されています。
 
 
  古今著聞集 ここんちょもんじゅう - 鎌倉時代中期   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古今著聞集は、橘成季という人が編集したとされる、鎌倉時代中期の説話集です。 全20巻・30編におさめられている説話集は、ほとんどが国内限定、しかも年代順に配列されています。また、すべての説話は百科事典や古今和歌集のように、内容によって分類されています。収録した説話には明確な出典があるものも多く、綿密な編集意図のもとに成立した様子がうかがえます。
 
 
  【文学作品(書物)】 古今著聞集(ここんちょもんじゅう)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  【成立時期】 鎌倉時代 (1254 年) 【作者・編者など】 橘成季 (たちばなの なりすえ) 【種別・ジャンル】 説話物語(せつ わものがたり) ※説話(せつわ)…民衆の間に伝わる伝説や昔話、神話のこと 【内 容】 神祇(じんぎ)、釈教(しゃっきょう)、政道(せいどう)、文学などの説話をまとめている。 【特長など】 20巻 約700の説話を整然と配列している。
 
 
  古今著聞集 口語訳 古今著聞集の巻五… Yahoo!知恵袋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古今著聞集 口語訳 古今著聞集の巻五 和歌第六・百九十の花園の左大臣の家に〜 の訳を教えてください。
 
 
  古今著聞集―物語の舞台を歩く [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代中期に成立した「古今著聞集」の説話を、いろいろな視点から紹介。誌上散歩も楽しめる。
 
 
  古今著聞集 (上) [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古今著聞集 (上) (新潮日本古典集成) [単行本]  橘 成季 (編集), 西尾 光一, 小林 保治
 
 
  古今著聞集〈下〉 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  思わず笑いがこぼれる話から、目頭を熱くする話まで。貴族や武士、庶民が素顔をのぞかせ繰り広げる逸話を満載。人生の裏町を歩くがごとき興味の尽きぬ説話集。創立80年記念出版。
 
 
  古今著聞集総索引 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古典体系を底本に、自立語篇・付属語篇の二部構成とし、魅力的な説話集『古今著聞集』を解明!
 
 
百錬抄.1259〜
  百錬抄とは - コトバンク   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の歴史書。17巻。初めの3巻は散逸。編者・成立年ともに未詳。武家方の「吾妻鏡」と対照をなす、公家方の編年体による記録。冷泉(れいぜい)天皇から後深草天皇までを収録。
 
 
  百錬抄とは - Weblio辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歴史書。一七巻。編者未詳。鎌倉後期成立。公家の日記などの諸記録を抜粋・編集して968〜1259年までの歴史を漢文・編年体で記す。京都中心の記録で、武家方の「吾妻鏡」と対照的。現存本は巻三まで欠。
 
 
  百錬抄 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『百錬抄』(ひゃくれんしょう)は、公家の日記などの諸記録を抜粋・編集した歴史書。鎌倉時代後期の13世紀末頃に成立したとみられる。編著者は不詳。百練抄とも書く。書名は唐の詩人白居易の「百練鏡」に由来すると考えられ、当初は「練」の字が用いられていたが、江戸時代以後に「錬」の字が用いられるようになった。 17巻よりなるが完本ではなく、巻一から巻三までが欠けている。安和元年(968年)から正元元年12月(1260年1月)までは天皇紀の形をとる漢文の編年体で記されている。  関連項目
 
 
  百錬抄 - 和本・書道古書専門店   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  誠心堂書店 和本・書道古書専門店 : 百錬抄
 
 
  日本紀略 後篇・百錬抄 - 吉川弘文館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本大系は、昭和4年(1929)から35年の歳月を費やして完結した、58書目、4万6千ページに及ぶ膨大な叢書であり、完成記念版の刊行以来、何回かの全巻復刊を行なってまいりましたが、好評につきほとんどの書目が品切れとなり、ご迷惑をおかけいたしておりました。日本史研究の根本史料としての『国史大系』を手元に置き、研究を進めたいという読者の皆様のご要望も多く、2007年6月より全巻をオンデマンド版でご提供することといたしました。
 
 
  国史大系. 第14巻 百錬抄 愚管抄 元亨釈書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国史大系. 第14巻 百錬抄 愚管抄 元亨釈書 - 近代デジタルライブラリー
 
 
  『平治物語』『愚管抄』『百錬抄』の六波羅行幸等の記述一覧   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  六波羅行幸から合戦に至る“日付の違い”を、それぞれ『平治物語』『愚管抄』『百錬抄』について一覧表にしてみた。 ちなみに『愚管抄』の合戦の日付を“行幸翌日”としたのは、愚管抄第五巻にある
 
 
  国史大系 日本紀略 後篇・百錬抄 (新訂増補 新装版) 単行本 黒板 勝美 (著)      TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国史大系 日本紀略 後篇・百錬抄 (新訂増補 新装版) 単行本 黒板 勝美 (著)  - Amazon.co.jp
 
 
続古今和歌集.1265
  ⇒続古今和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「016 【文芸亜 勅撰和歌集(二十一代集)/梁塵秘抄/近代秀歌」 ⇒続古今和歌集
 
 
風葉和歌集.1271
  ⇒風葉和歌.1271   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「016 【文芸亜 勅撰和歌集(二十一代集)/梁塵秘抄/近代秀歌」 ⇒風葉和歌.1271
 
 
続拾遺和歌集.1276
  ⇒続拾遺和歌集    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「016 【文芸亜 勅撰和歌集(二十一代集)/梁塵秘抄/近代秀歌」 ⇒続拾遺和歌集
 
 
弁内侍日記.1278
  弁内侍 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  弁内侍(べんのないじ:生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。後深草院弁内侍(ごふかくさいんのべんのないじ)とも呼ばれる。父は藤原信実で、姉に藻璧門院少将、妹に後深草院少将内侍がいる。女房三十六歌仙の一人。 後深草上皇が東宮(皇太子)時代であった時から出仕し、1259年(正元元年)の譲位とともに職を退いた。有名な「弁内侍日記」はその前半期を記したもの。… 1276年(建治2年)に撰集された「現存三十六歌仙詩歌」にその名が見える。
 
 
  辨内侍日記 上   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  寛元四年正月廿九日、とみのこうぢどのにて御譲位〔後嵯峨〕なり。そのほどの事どもかず\〃/しるしがたし。いと\/めでたくて、辨内侍、今日よりは我君の世と名づけつゝ月日し空にあふがざらめや   寛元4(1246) / 寛元5(1247) / 宝治1(1247) / 宝治2(1248) / 宝治3(1249) / 建長1(1249)
 
 
  辨内侍日記 下   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  今年(*建長1)五節は、この御所はせばくて、冷泉どのへ十二日行幸ありて、十八日よりはじまりし。月はくまなくていとおもしろし。   建長1(1249) / 建長2(1250) / 建長3(1251) / 建長4(1252)
 
 
  岩佐美代子 「弁内侍日記」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  後深草院の女房、弁内侍。歌人、画家として知られる藤原信実の女。祖父隆信は藤原定家の異父兄に当り、新古今歌人であると同時に、高雄神護寺蔵平重盛像等の筆者と伝えられる似絵(にせえ)の大家である。母は未詳であるが、同腹と思われる姉妹に藻璧門院少将・後深草院少将内侍があり、「みなよき歌よみ」と『井蛙抄』にたたえられている。
 
 
  校注弁内侍日記 <書籍> 著 者:藤原信実女/今関敏子     TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  校注弁内侍日記 <書籍> 著 者:藤原信実女/今関敏子
 
 
うたたね.1279
  うたたね とは - コトバンク   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉前期の日記紀行文学。阿仏尼の推定18〜19歳時の著。若い貴族との恋に破れ,雨の夜中を出奔,桂女(かつらめ)に導かれて西山の尼寺に至り,剃髪。幾度か住居を変えたのち,養父平度繁(たいらののりしげ)に伴って遠江(とおとうみ)へ下り,1ヵ月滞在の後,帰洛するまでの2年ほどの回想である。
 
 
  岩佐美代子 「『うたたね』『十六夜日記』」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古来中世女流日記の代表としてよく知られて来たのは阿仏尼の『十六夜(いざよい)日記』であるが、同じ作者の『うたたね』も近年注目されている。本記は作者が若き日に貴人との恋に敗れ、自ら髪を削いで山寺にかくれ、更に転々として結局遠江(とおとうみ)に下るが、乳母の病の報に再び京に戻るという青春体験記で、情熱的な筆致から失恋事件後間もなくの成立と考える説が有力である。
 
 
沙石集.1283
  沙石集 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  沙石集(しゃせきしゅう、させきしゅう)は鎌倉中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150前後。無住道暁が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。… 僧侶の立場から経典を多く引用しているが、作者が博識であり好奇心に富んでいるため、単なる説教を脱化して興味津々たる文学作品となっている。
 
 
  「沙石集の部屋」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ようこそおいで下さいました。 このページは,沙石集を楽しんで勉強してもらうために作ったものです。主に,学校での授業を中心に考えています。
 
 
  『沙石集』第一巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  それ麁言(そごん=粗言)軟語(なんご)みな第一義(=真理)に帰し、治生産業(ちしやうさんごふ)しかしながら実相(=真理)にそむかず。しかれば狂言綺語(きやうげんきぎよ=小説など)のあだなる戯(たはぶれ)を縁として、仏乗の妙(たへ)なる道に入れ、世間浅近の賤しき事を譬(たとへ)として、勝義(=真理)の深き理(ことわり)を知らしめんと思ふ。
 
 
  「沙石集」のことわざ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  今日は、この説話集に出てくることわざをいくつか書き留めておきましょう。    (1)「牛羊{ごやう}の目を以て、他人を評量するなかれ」と言へり。/(2)世間のことわざにも、「にぎれる拳{こぶし}、笑{ゑ}める面にあたらず」とて、/(3)「習ひ先よりあらずは、懐念いづくんぞ存ぜん」と言へり。
 
 
  沙石集 (しゃせきしゅう)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代中期に成立した仏教説話集。全十巻、134の説話から成り、硬質な仏教説話のほかに、笑い話・昔話など卑近な話、滑稽(こっけい)な話題が多く含まれている。序文に「かの金(こがね)を求むる者は沙(いさご)を捨ててこれをとり、玉をみがく類(たぐひ)は石をわりてこれを拾ふ、よつて沙石集と名づく」とあるように、金や玉が隠れている「沙(すな)」や「石」のような書物、という意味を込めて「沙石集」と名付けられた。
 
 
  沙石集  《沙石集巻第四》   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無言上人事 : 或山寺ニ四人ノ上人アリテ。真如ノ離言ヲ観ジ。浄名ノ杜口ヲ学ントヤ思ケン。契ヲ結テ道場ヲ荘厳シ。万縁ヲヤメ。三業ヲ静テ。道場ニ入。四人座ヲ並ベ。七日ノ無言ヲ始ム。承仕一人ゾ出入シケル。
 
 
  無住道曉『沙石集』の紹介   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『沙石集』は全10巻ですが、今回紹介する第9巻は、嫉妬深い人・嫉妬が無い人、他にも愚かな人や因果の道理を無視して好き勝手するような者などを事例として挙げながら、我々人間の心にある闇、或いは逆に爽やかな部分を無住が指摘しています。
 
 
  社説:『沙石集』と『高僧伝』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  昨年の十二月に逝去された加藤周一氏の『日本文学史序説』を「再び転換期」と題された第四章まで読み進んで、鎌倉時代の大円国師無住が編んだ説話集の『沙石集(しゃせきしゅう)』に、ブラック・ユーモアと称すべき話のあることを知った。加藤氏の要約に従ってその話のあらすじを紹介するならば・・・
 
 
  沙石集ー1 - 伊山友梨華 ルーム   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  <現代語訳> 最近の数年で外国から帰国した僧の話で、ある人が語るには、唐に身分が低い夫婦がいる。 餅を売って生活していた。 夫は、道のほとりで餅を売った時に、人が袋を落としたのを取って見れば、銀の軟挺が六枚あった。
 
 
  沙石集ー2 - 伊山友梨華 ルーム   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  或る姫君、殿の許へおはすべきにてありけるを、乳母教へけるは、「やさしく尋常なることをば、物の姫君なむどのようにとこそ申せ、なにとなき事のみ、御口がましき御癖おはします事の、しかるべからず覚え侯ふに、殿の聞かせ給はむ時、いたく物な仰せられ侯ひそ。
 
 
  無住の『沙石集』 - 『白瑠璃の碗』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  時代はすこし後のことになりますが、無住のあらわした『沙石集』の記事をみてみましょう。
 
 
  『沙石集』 貞慶の大神宮参詣説話   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  突然、貞慶という人物が登場したように思われるかもしれませんが『沙石集』の〈第六天魔王譚〉の次の段には、「同じ神官の語ったこととして、故・笠置上人が、、、」という、書き出しで貞慶(笠置上人は貞慶の別名)の大神宮参詣が語られます。
 
 
  沙石集 「歌ゆゑに命をうしなふこと」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『沙石集』 臨済宗のお坊様、無住一円著。鎌倉時代の仏教説話集。1283年成立。10巻134編で構成されています。 人々を仏教に帰依させる目的で書かれました。
 
 
  沙石集 デジタルアーカイブ 詳細情報   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  沙石集 デジタルアーカイブ 詳細情報 - 国立国会図書館
 
 
  沙石集に学べ! 『沙石集』 随機施主分ノ事   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『沙石集(しゃせきしゅう)』は今から800年ほど前、鎌倉時代の仏教説話集だ。 こんな話が載っている。…
 
 
  沙石集:解説と原文(一部) - 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の仏教説話集。十巻。無住(むじゅう)著。弘安六年(1283)成立。 説話を方便として読者を正しい仏教理解へ導こうとするもの。和歌説話、笑話、動物説話なども多く、内容は多彩をきわめる。
 
 
  沙石集に挑戦してみませんか? - 受験の学習   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  沙石集の原文のネット公開情報(無料・登録不要)
 
 
  沙石集 しゃせきしゅう - 鎌倉時代後期・1279〜    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  沙石集は、鎌倉時代後期の仏教説話集です。全10巻。無住(1226-1312)という東国の僧が、1279(弘安2)年から4年ほどかけて書き上げました。 沙石集では、ほかの説話集に見られるような因果応報の話、美談・道徳的な話ばかりではなく、身近なこと・戯れごと・笑い話のようなものまでもが、仏教の教訓・教理を説明する材料として引き合いに出されています。
 
 
  無住道暁(むじゅうどうぎょう)と沙石集 - 清水中世史研究所   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『 歎異抄』『正法眼蔵随聞記』と並ぶ作品と考えられるのが『沙石集』である。その作者無住道暁と『沙石集』について記しておきたい。儀海の生まれた弘安2年(1279)から執筆が始り弘安6年(1283)に完成している。この頃吉田兼好が生まれたようである。
 
 
  沙石集を読む(五)・・・「正直の人宝を得ること」 - 静かなる細き声   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  沙石集のページのアクセス数が多いので(教科書にでも載っているのかもしれません)久しぶりに続きを書いてみます。
 
 
  古典文学探訪50 「沙石集」のネズミの嫁入りの話・「御伽草子」の「鼠の草子」    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  写真はネズミにゆかりのある大豊神社の本殿を撮ったものです。桜の花が風情を添えていました。 ネズミにまつわる日本の昔話として、有名な「ネズミの嫁入り」という話があります。…
 
 
  沙石集「歌ゆゑに命を失ふ事」 無住道暁 - 中学学習支援ブログ・ダブルドリブル   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  天徳の御歌合のとき、兼盛、忠見、ともに御随身にて左右についてけり。 / 天徳の歌合のとき、兼盛と忠見はともに警護役で歌合の左方と右方にそれぞれ加わっていた。
 
 
  沙石集 全2冊    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無住(1226‐1312)の著した説話集10巻.弘安2年に書きはじめられた.元来通俗を旨とした信仰勧化の書であるが,八宗綱要的に諸教の大意を理解させるところが巧みで,効果は完全に遂げられている.その点の魅力がまた,沙石集を弘く流布させた.著者は勧化の実際的効果を期している一方,いかにもその話そのものを楽しんでいるのである.
 
 
  沙石集 (上巻) [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  沙石集 (上巻) (岩波文庫) [文庫] 無住一円 (著), 筑土 鈴寛
 
 
  沙石集の語法論攷 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本書は、昭和五十二年から平成九年までに発表してきた、主として『沙石集』の文法・文体・表現に関する論稿十三編を収めたものである。
 
 
  内閣文庫蔵『沙石集』翻刻と研究 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  内閣文庫本が『沙石集』改訂の様相を伝える情報を豊富に含む伝本であることを証明する。
 
 
  沙石集 新編日本古典文学全集 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  無類の博識僧、無住が集めた、中世の庶民生活、修行僧の実態、地方の伝承説話など。人々の生き様が巧みな語り口によって描かれる。『徒然草』や、連歌、狂言、落語などに多くの題材を提供した。
 
 
中務内侍日記.1292
  中務内侍日記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中務内侍日記(なかつかさのないしにっき)は、鎌倉時代の宮廷文学作品。 著者は伏見院中務内侍こと藤原経子で、仮名文による日記である。 1280年(弘安3)伏見天皇の東宮時代から、1292年(正応5)に自らの病が重くなったことで里下がりするまでの13年に渡る宮廷生活の思い出を記したもの。 上下二巻構成。上巻は弘安3年から9年までの伏見天皇東宮時代、下巻は天皇時代の奉仕の思いでを記している。
 
 
  中務内侍日記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  伏見天皇に東宮時代より仕えた、藤原経子が著した日記文学。経子は藤原永経の女で、伏見天皇の東宮即位後、内侍として仕え、弘安十年(1287)天皇践祚に伴い掌侍に任ぜられている。伏見院中務内侍とよばれた。 日記の内容は、弘安三年(1280)十二月十五日の伏見殿御懺法の有様と、その夜に東宮が雪見をした記事に始まり、正応五年(1292)二月に病が重くなったため、御所を退出し里に下るまでの十三年間にわたるものである。
 
 
  中務内侍日記 / 中務内侍 [撰]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このタイトルで早稲田大学蔵書目録を検索/この著者/作者で早稲田大学蔵書目録を検索/内容等/キーワード/公開者 : 早稲田大学図書館
 
 
  玉井幸助 『弁内侍日記新注』自序   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  弁内侍は十三世紀の半ば頃、内侍として後深草天皇に仕えた人である。祖父藤原隆信は土佐派を開いた画家であり、かつ歌人でもあった。父信実も当時肖像画家として名高く、これまた和歌にすぐれていた。その上、姉妹二人がまた名高い歌人であり、ことに長姉藻壁門院少将は、当時の歌聖定家がその歌に感心して、自ら古今集を書写して贈ったというほどの名誉を担った人である。
 
 
  中務内侍日記 (有朋堂文庫版)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  序 : いたづらに明しくらす春秋は、たゞ羊の歩み(*空しく光陰を費すことを屠所に牽かれる羊に喩えた語)なる心地して、末の露もとの雫に、おくれ先だつ例〔「末の露本の雫や世の中のおくれさきだつためしなるらむ」〕(*いずれ消え行く果敢ない命の比喩)のはかなき世を、且おもひながらも得達(とくだつ)〔得脱の誤歟、人の煩惱を脱して菩提を得ること〕の縁には進まず、皆生々世々(*しゃうじゃうせぜ。永劫)に迷ひぬべき人間の八苦なるぞあさましき。
 
 
  校訂中務内侍日記全注釈 - 7net   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本日記研究の先達によって、文学作品としてマイナスの評価を与えられてきた当作品は、源氏物語・狭衣物語愛読者の創造した新しい文学として、玉葉集・風雅集に通底する、価値の高い作品であることを証明する。
 
 
  校訂 中務内侍日記全注釈 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本日記研究の先達によって、文学作品としてマイナスの評価を与えられてきた当作品は、源氏物語・狭衣物語愛読者の創造した新しい文学として、玉葉集・風雅集に通底する、価値の高い作品であることを証明する。
 
 
  彰考館蔵中務内侍日記 (和泉書院影印叢刊)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  彰考館蔵中務内侍日記 (和泉書院影印叢刊) 著者: 藤原 経子 / 岩佐 美代子
 
 
  水府明徳会彰考館蔵本 中務内侍日記―本文篇― (単行本)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  水府明徳会彰考館蔵本 中務内侍日記―本文篇― (新典社叢書 11)(単行本)  藤原 経子 (著)
 
 
  中務内侍日記・竹むきが記 (中世日記紀行文学全評釈集成)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  渡辺 静子 : 実践女子専門学校(現・実践女子大学)、東洋大学大学院終了、大東文化大学名誉教授。文学博士。専門は中世・中世日記文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
  彰考館本『中務内侍日記』総索引  著者:小久保崇明 若林俊英   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  彰考館本『中務内侍日記』総索引  著者:小久保崇明 若林俊英
 
 
  中世日記・紀行文学全評釈集成  中務内侍日記の画像 - TSUTAYA   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  中世日記・紀行文学全評釈集成  中務内侍日記の画像 - TSUTAYA
 
 
吾妻鏡(東鑑).1300
  吾妻鏡 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4)から1266年(文永3)までの幕府の事績を編年体で記す。成立時期は鎌倉時代末期の1300年頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。
 
 
  東鑑 目録   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吾妻鏡を読んでみませんか? 目次/索引/振出
 
 
  『吾妻鏡』の魅力   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  名著『日本中世史』で知られる原勝郎氏が「吾妻鏡が鎌倉時代史の貴重なる史料なることは苟も史学に志ある者の知悉する所たり」と述べたのは今から100年余り前のこと。それに先立つ『史学雑誌』創刊号(1898)でも史料解題の第一に星野恒「吾妻鏡考」が掲げられているから、史料としての『吾妻鏡』は日本の近代歴史学とともにあったと言えるだろう。
 
 
  『吾妻鏡』文献リスト(稿)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (影印複製)/(活字本)/(訓読・注釈)/(その他)/(索引)/(関連資料集)/(諸本・本文研究)/(国語学的研究)/(国文学的研究)/(思想史的研究)/(タイトルに吾妻鏡を冠する一般書)
 
 
  付2.1 室町時代の吾妻鏡   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吾妻鏡は金沢文庫にあった原本が、小田原の後北条氏の手に渡り、それが徳川家康の手に渡ったと思われやすい。100年ぐらい前はそう思われていた。しかし何十年も前からそれは否定されている。ではどういう経路をたどって我々の元へ伝わったのか。
 
 
  1.吾妻鏡の研究・明治時代   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HOME/頼朝以前/平安期の鎌倉/平安期の寺社/鎌倉七口切通/目次/兵の家各流/次ページ>>
 
 
  吾妻鏡 プロフィール - あのひと検索 SPYSEE   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
 
 
  吾妻鏡(マンガ日本の古典)<全3巻>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吾妻鏡(マンガ日本の古典)<全3巻>(竹宮惠子)
 
 
新後撰和歌集.1301
  新後撰和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/13.新後撰和歌集
 
 
とはずがたり.1306
  とはずがたり (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  とはずがたり(とわずがたり)とは、鎌倉時代の中後期に後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう)が綴ったとみられる日記および紀行文。 誰に問われるでもなく自分の人生を語るという自伝形式で、後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、後深草院や恋人との関係、宮中行事、尼となってから出かけた旅の記録などが綴られている。二条の告白という形だが、ある程度の物語的虚構性も含まれると見る研究者もいる。
 
 
  原文を見る−『とはずがたり』−   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ここでは『とはずがたり』の重要部分について、主として次田香澄氏の講談社学術文庫版『とはずがたり.全訳注(上)(下)』に従って、原文と次田香澄氏による現代語訳を紹介し、あわせて「私の立場からの補足」、「私の考え方」を付加します。
 
 
  後深草院二条『とはずがたり』 :熊野旅行記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『とはずがたり』は、後深草院(1243〜1304。第89代天皇)の女房で愛人でもあった後深草院二条(中院大納言源雅忠の娘。1258〜?)がその生涯を回想して綴った日記文学作品。
 
 
  『とはずがたり』後深草院二条 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大傑作。ただし、これは事実をしるした日記のようなものなので、はたして傑作とか作品などと言ってよいかとなると、困る。けれどもやはり大傑作。とにかく、すさまじい。
 
 
  とはずがたり(上) [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の宮廷内の愛欲を描いた異彩な古典後深草院の異常な寵愛をうけた作者は14歳にして男女の道を体験。以来複数の男性との愛欲遍歴を中心に、宮廷内男女の異様な関係をなまなましく綴る個性的な手記
 
 
  とはずがたり(下) [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  愛欲生活の破綻に続く諸国行脚の回想記録.後深草院の変態的な愛欲による快楽と苦悩の果てに行き詰った作者は遂に出家.かねて憧れていた西行を慕って東国及び西国へ行脚.歌と信仰に新しい自己を求める.
 
 
  とはずがたり―マンガ日本の古典 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  後深草院の後宮に入った女房二条が、三十六年間にわたるみずからの半生を綴った日記・紀行文学。鎌倉中期の宮廷で燃えあがる灼熱の恋と罪の呵責の相剋―。苦しみの果てに自己を確立し成長していくひとりの女性の姿を叙情豊かに描く。平成九年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。
 
 
  平家物語  (流布本 元和九年本)総目次   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本、平家物語(流布本 元和九年刊行)は、デジタルテキストの作成者荒山慶一氏のご厚意により、掲載させていただくものである。荒山氏は、あたかも未踏峰の高山に登る如く「平家物語」という難関を踏破された。ただただ頭が下がるばかりである。
 
 
平家物語.1309
  平家物語 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。 保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。和漢混淆文で書かれた代表的作品であり、平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとしている。
 
 
  平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大好きな平家物語、そう、言わずとしれた「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、、、」の、語り物。滅びの美学です。 平家と源氏の勇壮な合戦の部分も、わくわくする読みどころですが、脇を固める、女性達、公家の方々の悲劇なども、重要な部分です。登場人物達は、中には野人もいるけど、武術に長け、かつ和歌などを詠んで、過ごしていたゆかしい方々も大勢います。そんな人たちが、戦の露と消えて行かなければならなかった悲劇も、ご紹介していきましょう。
 
 
  平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語の冒頭部分です。暗記した記憶がある方も多いのではないでしょうか。ここではその冒頭部分の解説に挑戦してみましょう。  原文/読み方(現代仮名遣いで)/意味/解説
 
 
  平家物語歴史館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ホームページ/歴史観ご案内/館内ご案内/平家物語クイズ/平家物語関連情報  香川県高松市朝日町3丁目  午前9時〜午後5時30分(年中無休) 
 
 
  MEISEI  平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  明星大学所蔵『平家物語』/外観/コラム/挿絵で見る平家物語/画像検索
 
 
  ★原典 平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  原典 平家物語の魅力/DVDのご紹介/出演者のご紹介
 
 
  平家物語 : 浄土宗   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (1) 謎と無常、美と浪漫に満ちた物語 ついに語り始められる!  (2) 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす 平大納言時忠卿、暴言事件 まるで紅衛兵!少年密偵、都を闊歩する事態!  (3) 人道相国の御娘、后に立たせ給ふ  (4) 美しき白拍子たちの悲劇
 
 
  コラム 〜平家物語〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語全十二巻は、大きく分けて三つの柱から構成されています。 第一部は、権力を掌中に収めた平清盛を中心とする平家隆盛のありさまです。 第二部は、平家討伐の旗揚げをした源頼朝、木曽義仲と平家軍との合戦。 そして、第三部は、平家滅亡跡の戦後処理と人間模様についてです。
 
 
  天草本平家物語 卷一   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  序 : 同友龜井文學士が一年有餘の努力を經て還原を完うせられし天草本平家物語抄將に單行世に出でんとす。實に大正十年植松文學士將來せる所の東洋文庫藏複製本に據る。斯道にありては慶幸のきはみとすべく予自身においても喜悦かぎりなし。
 
 
  平家物語全文現代語訳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  この物語は十三世紀初頭に生まれ、琵琶法師たちによって語り継がれて流布した口伝の実話物語です。 語られている内容は平安末期の治承(1177)から寿永(1185)年代前後にわたっています。 登場する人物「の総数は千人を越えており、それぞれが背負っている宿命と戦いながら生き抜いた様が克明に描かれています。
 
 
  三分で読める平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  この世に永遠なるものなどございましょうか。強勢を誇る者もやがては滅んでゆきます。なかでも今から八百年位前に権勢を誇った平清盛という武士は、日本と中国のにも並びなき大悪人でありました。 平清盛は父忠盛の後を継いで天皇家と縁を持ち、人臣を極めたのでありますが、一方で悪業も繰り返しました。
 
 
  朗読 平家物語 祇園精舎   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語巻第一より「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」です。「祇園精舎の鐘の声」ではじまる有名な平家物語冒頭部分です。
 
 
  平家物語(へいけものがたり)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語はいくつかのお話にわかれています。 その中で「祇園精舎」(ぎおんしょうじゃ)というお話のはじめの方をしょうかいします。
 
 
  平家物語 - 写真で巡る都の春秋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  祇園社(八坂神社)/妙心寺 東林院 沙羅双樹の落花/沙羅双樹 純白の花  平治の乱を制した平家は、後白河法皇の絶大なる信頼を背景に、自らの勢力を拡大し、一時は、日本国60余州の半分を制しました。
 
 
  ★NPO法人 原典「平家物語」を聴く会   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  原典「平家物語」DVD/関連リンク集
 
 
  平家物語  『平家琵琶にみる伝承と文化』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『平家物語』を楽しむ主婦の覚え書きです。『平家物語全注釈』をもとに、巻1から興味がおもむくままに書き綴ることと、本と史跡の紹介が中心です。 ご一緒に『平家物語』を楽しみましょう。
 
 
  「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語は登場人物や戦いの数が多くてわかりにくい。それを手品のようにわかりやすい構造に整理してしまうのがこの新書である。平家物語の読み解きに悩んでいる人にとって救世主。素晴らしい。
 
 
  平家物語 の画像 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語 の画像 - Google
 
 
  平家物語 の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平家物語 の動画 - Google
 
 
  平家物語 <CD>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元・宝塚歌劇団トップスターであり筑前琵琶奏者の第一人者でもある上原まりが平家物語にまつわる女性11人を演奏と歌(語り)でつづった作品。
 
 
  新・平家物語 <DVD>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  週刊朝日連載の吉川英治作「新・平家物語」を「楊貴妃」の依田義賢、成澤昌茂と辻久一が共同脚色し同じく溝口健二が監督にあたる大映カラー天然色映画。撮影は「天下を狙う美少年」の宮川一夫が担当、色彩は画家和田三造が監督した。
 
 
  平家物語ハンドブック   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「平家物語」のすべてがわかる小事典  小林保治 編/執筆者 大津雄一、大森北義、小林保治、志村有弘、鈴木孝庸、関口忠男、高津希和子、武田昌憲、野中哲照、松林靖明、三田明弘
 
 
  平家物語・高野本・全巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  作者データ/底本データ/書名:高野本(東京大学文学部国語研究室所蔵。笠間書院刊行の影印本参照)
 
 
  覚一本『平家物語』復刻版のご案内   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本書は高良大社所蔵、覚一本『平家物語』(重要文化財・旧国宝)を、行数、字数等そのままに飜字し、更に印影版を添えた新しい試みの復刻版です。
 
 
玉葉和歌集.1312
  玉葉和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/14.玉葉和歌集
 
 
続千載和歌集.1318
  続千載和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/15.続千載和歌集
 
 
続後拾遺和歌集.1326
  続後拾遺和歌集    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/16.続後拾遺和歌集
 
 
徒然草.1330
  徒然草 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  徒然草(つれづれぐさ)は、吉田兼好こと卜部兼好(うらべかねよし),兼好法師(けんこうほうし)が書いた随筆。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されている。 鎌倉時代、1330年8月から1331年9月頃にまとめられたとする説が主流であるが、数多くの説があり定説はない。中年期の兼好が著した事になるが、若い時代に書いた文章も含まれているという説もある。和漢混淆文と、仮名文字が中心の和文が混在している。
 
 
  吉田兼好 (wiki^tan)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吉田 兼好(よしだ けんこう、弘安6年(1283年)頃か -文和元年/正平7年(1352年)以後)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔卜部兼顕の子。本名は卜部兼好。卜部氏の嫡流は後の時代に吉田家、平野家などに分かれ、兼好は吉田家の系統であったことから江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。また、兼好と呼ぶこともある。
 
 
  徒然草   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「徒然草」は鎌倉時代末期に吉田兼好が執筆した243段からなる随筆で、「枕草子」「方丈記」とともに日本の三大随筆に数えられます。19歳頃から宮中に出仕していた兼好は、敬愛していた後二条天皇の崩御をきっかけとして出家しました。その後は仏道修行に専念しつつ、歌人としても活躍し、また1330年〜1331年頃に「徒然草」を執筆したと言われています。
 
 
  徒然草 - Yahoo!百科事典    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉後期の随筆。2巻。兼好著。成立年時不明。かつては1330年(元徳2)11月以後、翌年(元弘1)10月以前成立とする説が信じられたが、いまは疑問視されている。20代の起筆かとも、最晩年まで書き継がれたかともいい、執筆、編集の過程についてもさまざまに考えられており、決着をみていない。
 
 
  徒然草 (1) 日本文学大系   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  尾上八郎解題、山崎麓校訂 (校註日本文學大系3 國民圖書株式會社 1924.7.23)
 
 
  吉田兼好 徒然草について   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」あまりにも有名なこの序文で始まる『徒然草』は『方丈記』『枕草子』とならんで三大随筆のひとつとして、今でも多くのひとに読まれている文学です。
 
 
  新訳 もの狂おしくない『徒然草』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  現代語訳したもの/解説/原文
 
 
  徒然草 吉田兼好 [古典に親しむ]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  現代語訳
 
 
  吉田兼好の名言 - みんなの名言集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  如何をも捨て字と心に取り持ち手は、一事も成るべからず。  /  おのが分を知りて、及ばざる時は、速やかに止むを智といふべし。  /  何事も入りたたむさましたるぞよき。  /  心は必ず事に触れて来たる。  /  不安と心得むるのみ、まことにて遠はず。
 
 
  徒然草 NHK学園 - 生涯学習通信講座    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「古典は『徒然草』に始まり『徒然草』に終わる」ともいわれる兼好法師の随筆。 鎌倉時代に生まれ、20代で出家した兼好法師は仏道を修行しつつ閑居を楽しみ、人生についての思策を深めました。『徒然草』は鎌倉幕府が滅亡する政治動乱の時期にまとめられ、無常観をベースに、乱世に生きた知識人・兼好の優れた人間論となっています。 この講座では、『徒然草』(序段と243段)の中でも代表的な63段を深く学びます。
 
 
  超現代語訳 徒然草 - ツレヅレコントロール   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  一生のうちで古典文学に最も時間を割くのは、学校での国語の授業や受験勉強の時でしょうか。文法の学習や状況の読めない文字の羅列の前に、気がつくと別のページにある作家の顔写真に落書きをしていた人も多いことでしょう。もちろんそれとは逆に、全然面白くもない評論文の授業中、ふとページをめくった先にある古典文学の独特のリズムに、なぜかしら興味を持った人もいることでしょう。
 
 
  著者名:〔吉田兼好/著〕 角川書店/編 - Yahoo!ブックス   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  書籍紹介: 日本の中世を代表する知の巨人、兼好が見つめる自然や世相。その底に潜む、無常観やたゆみない求道精神に貫かれた随想のエキスを、こなれた現代語訳と原文で楽しむ本。現代語訳・原文ともに総ルビ付きで朗読にも最適。
 
 
増鏡.1333?
  増鏡 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『増鏡』(ますかがみ)は、歴史物語。成立は南北朝時代と推定される。作者は未詳だが、二条良基説や洞院公賢説、四条家関係者説などがある。いわゆる「四鏡」の成立順では最後に位置する作品である。内容的には最も新しい時代を扱っている。 現在のものは二十巻からなり、『弥世継』(現在亡失)を継承して、寿永3年(1183年)の後鳥羽天皇の即位から元弘3年(1333年)後醍醐天皇が隠岐に流され、京都に戻るまでの、15代150年の事跡を編年体で述べている。
 
 
  原文を見る−『増鏡』−   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ここでは『増鏡』の重要部分について、主として井上宗雄氏の講談社学術文庫版『増鏡全訳注(上)(中)(下)』に従って、原文と井上氏による現代語訳を紹介し、あわせて「私の立場からの補足」、「私の考え方」を付加します。
 
 
  「隠岐の後醍醐天皇」『増鏡』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (原文):隠岐の小島には、月日ふるままに、いとしのびがたう思さるる事のみ数そひける。いかばかりのおこなりにてかかる憂き目を見るらん、と前の世のみつらく思し知らるるにも、いかでその罪をも報いてん、と思して、うちたえ御精進にて、朝夕つとめ行はせ給ふ。法のしるしをも試みがてらと、かつは思すなるべし。みづから護摩などもたかせ給ふに、いと頼もしきこと、夢にも現にも多くなんありける。
 
 
  尾張徳川家本増鏡・全十七巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HTMLファイル(増鏡・凡例)/HTMLファイル(読み仮名付き。増鏡・全十七巻)/HTMLファイル(読み仮名なし。増鏡・全十七巻)
 
 
     古典文学探訪1 「増鏡」後鳥羽編    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「増鏡」は高校古典の教科書にはほとんど出てきません。「大鏡」と同様、歴史物語であり、いわゆる鏡物と言われるものの最後の作品です。 「増鏡」は鎌倉時代の皇族や公家の姿を描いたものであり、他の歴史物語と同じように語り手の存在があります。この場合は嵯峨の清涼寺に参詣に来た百才を超えた尼が、昔の話をするという趣向になっています。
 
 
  「増鏡」 の "増" というのは? - 教えて!goo   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  昔の歴史物語に「大鏡」、「今鏡」、「水鏡」、「増鏡」のようにあって、これらをまとめて「四鏡」と呼ぶようですが・・・
 
 
  新古今和歌集とエピソード 増鏡、古今著聞集、十訓抄、平家物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  増鏡は、後鳥羽院の天皇践祚(治承四年)から後醍醐天皇の隠岐からの帰京(元弘三年)の150年間を著した歴史書で、室町の南北朝時代に書かれた歴史書です。 以前の仮名歴史書である栄花物語、大鏡、今鏡、水鏡、弥世継(散逸)を受けた鎌倉時代を編年体で記し、大鏡などの様に嵯峨の清涼寺に参詣した聞き手と百歳を超える老尼の語り手を登場させたものです。
 
 
  四鏡 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  四鏡(しきょう)は平安時代後期から室町時代前期までに成立した「鏡物(かがみもの)」と呼ばれる『大鏡』・『今鏡』・『水鏡』・『増鏡』の4つの歴史物語(歴史書)。成立時期より前の時代の内容を扱っている。
 
 
  増 鏡 <文庫>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「増鏡」は後鳥羽院の降誕より,後醍醐天皇の元弘3年にいたる16代にわたる天皇に関することや,「新古今和歌集」以下8つの勅撰集の撰進の次第,皇室行事について詳述する.また出来事については,将軍実朝の暗殺,承久の乱,文永・弘安の元の来襲,正中の変,元弘の乱,北条氏の滅亡など鎌倉期における主要な事件を記述する.尾張徳川家本を底本とする.
 
 
  増鏡(上) [文庫]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『増鏡』の成立は南北朝時代に入ってからと思われるが、その内容は、鎌倉時代の宮廷・貴族の歴史を、また、皇室と北条氏との争いを物語風に記述したものである。鎌倉時代の宮廷・貴族の生活には、まだまだ王朝風の優雅さが広く行きわたって残っているが、その雰囲気を生き生きと語っているのが『増鏡』である。その意味で、根強く生き残った王朝精神、王朝文化を余すところなく描ききった王朝文学掉尾(とうび)の名作といえるであろう。(全3巻)
 
 
  増鏡(中) [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  著者紹介 : 1926年生まれ。1951年早稲田大学第一文学部国文学科卒業。国文学(中古・中世和歌史)専攻。立教大学教授を経て、現在、早稲田大学特任教授。著書に『中世歌壇史の研究』(3冊)、『平安後期歌人伝の研究』等がある。
 
 
  増鏡(下) [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  増鏡(下) (講談社学術文庫 (450)) [文庫]  井上 宗雄 (翻訳)
 
 
  増補本系増鏡・全二十巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HTMLファイル(増鏡・凡例)/HTMLファイル(読み仮名付き。増鏡・全二十巻)/HTMLファイル(読み仮名なし。増鏡・全二十巻)
 
 
神皇正統記.1339
  神皇正統記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  神皇正統記(じんのうしょうとうき)は、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書である。 神代から後村上天皇の即位(後醍醐天皇の死を「獲麟」に擬したという)までが、天皇の代毎に記される。執筆時期については、後醍醐天皇が崩御して、新帝・後村上天皇が即位した延元4年/暦応2年(1339年)の秋ごろであると言われている。後村上天皇に献上された書ではあるが、一部指摘がある。
 
 
  神皇正統記』を読む73   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  第十代、崇神(すじん)天皇は開化第二の子。御母伊香色謎(イカガシコメ)姫〈初めは孝元の妃として彦太忍信命(ヒコフト・オシマコト・ノ・ミコト)を生む〉、大綜麻杵命(オオヘソキノミコト)の女なり。
 
 
  山田孝雄校訂『神皇正統記』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本書の底本としては猪熊信男氏藏本を用ゐたり。これは徳富氏藏梅小路本の原本と思しく、現存諸本中完備せるもののうちにて、古くして且つ正しき點多しと認めたるによる。
 
 
  『神皇正統記』について - 一艸獨語 :   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「後醍醐天皇の建武中興は、假令囘天の偉業中道にして挫折したとは言へ、まがふべくもなき日本精神の勃興なるが故に、この精神の最も見事なる結晶として、北畠親房の『神皇正統記』が生れた。
 
 
  北畠親房と『神皇正統記』 - 大隅和雄   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本歴史のなかに、公家または貴族とよばれる人々が数多く登場する。公家・貴族ということばは、かつてそれが用いられはじめたときには、限定された明確な内容をもっていたのであろうが、時代を重ねるにつれてさまざまな意味が加わり、日本歴史を通観して公家とは何かと問われると、容易には答えられないことばになってしまった。
 
 
  『神皇正統記』北畠親 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  北畠親房が『神皇正統記』を書いたのは、常陸の筑波山麓にたつ小田城の板の間でのことだった。同じころ吉田兼好が『徒然草』を書いていた。二人の執筆の姿勢はまことに対極的で、親房は日の本を背負い、兼好は草の庵を背負っていた。14世紀になってしばらくのこと、内乱の時代の只中である。
 
 
  神皇正統記(北畠親房) - 世界遺産の吉水神社から   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  神皇正統記(じんのうしょうとうき) 南北朝時代に南朝の柱石であった北畠親房(きたばたけちかふさ)の著。親房は本書の初稿本を1339年(延元4・暦応2)常陸(ひたち)国(茨城県)小田城にあって足利(あしかが)方の軍と対戦中に執筆し、43年(興国4・康永2)常陸国関城でこれを修訂した。
 
 
  南北朝文化(『神皇正統記』、『太平記』、『梅松論』) エピソード   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  南北朝時代は、鎌倉時代から室町時代の過度期に当ります。社会的には、新興の悪党をどう秩序化する変動の時代といえます。安定期から安定期への過度期は、動乱の時代でもあります。 過度期とか動乱時代は、自己の存在を内省的に考える時代でもあります。その結果、歴史書や軍記物語が誕生します。過度期には、没落する者もいれば、成り上がる者もいます。
 
 
  神皇正統記 ―南朝の正統性を主張した北畠親房の歴史書―  古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  南北朝時代の歴史書。六巻(また二巻、三巻など)。北畠(きたばたけ)親房(ちかふさ)著。延元四年(1339)成立。興国四年(1343)修訂。 神代から後村上(ごむらかみ)天皇即位までの歴史を描いている。なかでも後醍醐天皇についての記述が一番多い。 神武(じんむ)天皇以来皇位が正しい理に従って継承し来ったという皇位継承論と、南朝こそが正統だとする南朝正統論が論述されている。
 
 
  神皇正統記 の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  神皇正統記 の動画 - Google
 
 
  神皇正統記 - ニコニコ動画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  神皇正統記は、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書。史書としての正確さや論理性はいささか不備があるものの、足利尊氏に小田の小城に追い詰められた中で書かれ、読まれた書であり、現代に於いても日本の国体(くにがら)について考える時、不可欠の書だと思います。
 
 
  YouTube - 神皇正統記2/2   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  YouTube - 神皇正統記2/2
 
 
  神皇正統記 <文庫>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  南北朝の動乱のさなか,南朝の重鎮北畠親房は天皇家の歴史とそれに伴う過去の諸政治形態を論述し,南朝の正統性と君主のあるべき姿を説こうとした.大きな歴史の流れの中で滅びゆく側に立つという立場上の制約がありながら,しかしその記述には立場を超えた公正さがある.『愚管抄』と並び中世を代表する史論といわれる.
 
 
  神皇正統記 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  南北朝の動乱のさなか、南朝の重鎮北畠親房は、天皇家の歴史とそれに伴う過去の政治形態を論述して、南朝の正統性と、君主のあるべき姿を説こうとした。大きな歴史の流れの中で滅びゆく側に立つという立場上の制約を受けながら、しかしその記述には立場を超えた公正さがある。『愚管抄』と並び中世を代表する史論といわれる。
 
 
  神皇正統記 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  岩波文庫を底本に、名著・古典籍を復刻刊行するシリーズ。「神皇正統記」を収録。※旧版からの復刻のため、一部読みにくいページがございます。
 
 
  神皇正統記評釈・全巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HTMLファイル(読み仮名付き。神皇正統記評釈・全巻)/HTMLファイル(読み仮名なし。神皇正統記評釈・全巻)
 
 
  神皇正統記 元元集 <覆刻日本古典全集>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ?皇正統記元元集 卷第一〜卷第七元元集卷第八 谷垣守自筆寫本複製 ?皇正統記の本文は猪熊本を底本とし應永本等によつて校訂する。卷頭に山田孝雄氏の北畠親房年譜略、諸本解説を載せる。元元集の底本は承應二年板本を用ゐ、正宗敦夫藏古寫本によつて校訂する。
 
 
風雅和歌集.1348
  風雅和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/17.風雅和歌集
 
 
菟玖波集.1356
  菟玖波集/1356   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/菟玖波集/1356
 
 
新千載和歌集.1359?
  新千載和歌集   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/18.新千載和歌集
 
 
曽我物語.1361
兄弟で密議をしたとの伝説が残る音止めの滝
  曽我物語 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曽我物語(そがものがたり)は、鎌倉時代初期に起きた「曾我兄弟の仇討ち」を題材にした軍記物語。作者不詳で、多くの異本があるが、中でも真名本曽我物語が最も古く良く取り上げられる。物語のあらすじについては「曾我兄弟の仇討ち」の項に詳しく記載されているので省略するが、この物語の成立には一人の女性が深く関わっている。 隠されていた史実を物語として世に広めたのは、物語にも登場する虎御前こと虎女だという。
 
 
  曽我物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  今現在、曽我物語の内容を知っている人は何人いらっしゃるでしょうか?歌舞伎ファンの方はご存知かもしれませんが、私は本当にお膝元で育っていながら全然知りませんでした。友人などにも聞いても知らない人がほとんど。(父はさすがに知っていましたが)ということで、父から聞いた話を元にここで曽我兄弟の仇討について語ってみたいと思います。
 
 
  曽我物語    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  領地争い : 伊豆の豪族、工藤祐隆には3人の子がいたが、長男の子である伊東祐親と三男の子である工藤祐経との間に領地争いが起こった。 工藤祐隆が工藤祐経に所領の大半を譲ったため、伊東祐親はこれを不満とし、策をめぐらし、祐経から所領を奪ってしまったのである。これをうらみに思った工藤祐経は、伊東祐親とその息子河津三郎祐泰の殺害を謀った。
 
 
  曽我兄弟   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  12世紀、平安末期の頃、東国では、地方豪族が土地を領有していました。自らの領地拡大に懸命な豪族も多く、いざこざ、争いが絶えませんでした。 豆地方では、工藤祐経(すけつね)と伊東祐親(すけちか)両家の領土問題も長年にわたっていました。…
 
 
  「曽我物語」の能   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  能の演目には「曽我物語」、「吾妻鏡」を典拠とし、曽我兄弟の敵討ちを題材とする“曽我物”と呼ばれる作品群が有ります。ここでは物語の進行に従って、それらの作品のあらすじを紹介します。  「切兼曽我」 (廃曲)/「調伏曽我」 (宝生流、金剛流、喜多流の現行曲)/「元服曽我」 (喜多流の参考曲)/「小袖曽我」 (五流の現行曲)/「夜討曽我」 (五流の現行曲)/「十番斬」 (廃曲)/「禅師曽我」 (観世流、宝生流、喜多流の現行曲)/「伏木曽我」 (廃曲)
 
 
  『曽我物語』のあらすじ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  平安時代の末期、伊豆の武士たちのあいだでは複雑な所領争いが繰り広げられていました。工藤祐経(くどうすけつね)は伊東祐親(いとうすけちか)に謀られて所領を奪われてしまいます。祐経はその報復に、伊東祐親、河津三郎(かわづさぶろう)父子を殺そうと刺客を放ちました。刺客の矢は河津三郎に命中し彼は落命しました。   エピソードその1/エピソードその2/エピソードその3/仇討ちの背景
 
 
  20 虎ヶ石と「曽我物語」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  善光寺からほど遠くない岩石町、武井神社の裏手に虎ヶ塚と呼ばれる一抱えほどの石があります。言い伝えでは「曽我物語」の曽我十郎の愛人であった虎御前の墓といわれ、傍らには虎石庵という小さな庵もありました。
 
 
  曽我物語 - 神奈川の歴史   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曽我物語は頼朝の主催する富士裾野の巻狩での仇討ちの物語ではなく、曽我兄弟の祖父・伊東祐親と烏帽子親の北条時政に踊らされたクーデターであった。   日本三大仇討ち/曽我兄弟の仇討ち/土肥実平の失脚/北条父子と源頼朝の思惑
 
 
  曽我物語・国民文庫本・全巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HTMLファイル(読み仮名付き。曽我物語・国民文庫本・全巻)/HTMLファイル(読み仮名省略。曽我物語・国民文庫本・全巻)/テキストファイル
 
 
  曾我兄弟の仇討ち (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。
 
 
  曽我物語 - ねずきちの ひとりごと   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  赤穂浪士といえば、いまでもたいていの人が知っているのだけれど、実は、戦前までは、日本三大仇討ち物語のひとつとして有名だった。 日本三大仇討ち物語というのは、(1) 赤穂浪士物語、(2) 曽我兄弟物語、(3) 伊賀越え物語、だけど、いまどきは、曽我兄弟と、伊賀越えは、ほとんど聞かれなくなってしまいましたね。 とくに曽我兄弟の物語は、江戸時代から人形浄瑠璃や歌舞伎、神楽、義太夫、村芝居の定番でした。
 
 
  曽我物語 - 奈良絵本データベース   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  所領をめぐる争いから、父親を殺された曽我十郎祐成・五郎時致兄弟が仇である工藤祐経を建久4年(1193)、源頼朝が富士山の西麓で巻狩を催した際に討ち果すまでの物語として有名な『曽我物語』を奈良絵本の体裁に仕立てたもの。その豪華な装丁から祝儀本であったと考えられる。『曽我物語』は真名本、大石寺本、仮名本の3種に大別され、さらに仮名本は古態を示す甲類と流布本の乙類に分かれる。
 
 
  『曽我兄弟 富士の夜襲』(その12)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  映画のことからだいぶ離れてしまった。曽我兄弟の仇討ちに関していろいろ調べていくと興味が尽きず、相当深入りしてしまったが、そろそろ締めくくりたいと思う。…  時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。
 
 
  浮世絵に見る曽我物語 - 小田原市   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  毎年5月には、小田原市内下曽我の城前寺(じょうぜんじ)で曽我兄弟の仇討ちの故事にちなむ「傘焼きまつり」が行われています。どうして傘を焼くのでしょうか?その理由もこのページの中(「曽我物語と浮世絵」)で紹介しています。  曽我物語と浮世絵 : 曽我の仇討ち/曽我物語の成立/浮世絵の曽我物
 
 
  曽我の雨〜曽我兄弟をめぐる女たち   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  〜歌舞伎十八番の内「助六由縁江戸桜」  1)兄弟をめぐる女たちの物語/2)「助六」はなぜ曽我の世界なのか
 
 
  「富士の巻狩と曽我兄弟の仇討ち」展   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  源頼朝は、今から811年前の建久4年(1193)5月に、白糸の狩宿に宿所を置き、多くの御家人を集めて現在の朝霧高原一帯で巻狩を催しました。 その巻狩の最中に、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が父の敵工藤祐経を討った「曽我兄弟の仇討ち」といわれる事件が起きました。  (1) 富士の巻狩/(2) 源頼朝の宿所(狩宿)/(3) 曽我兄弟の仇討ち/(4) 工藤祐経と曽我兄弟/(5) 『曽我物語』の成立と広まり/(6) 市内の伝承地
 
 
  伊東氏とその史跡・曽我物語 - 伊東市・伊東観光協会   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  伊東という地名は、平安時代からあった古い地名ですが、その伊東地名と密接につながるのが伊東氏の存在です。 伊東氏は、南家藤原氏の流れを汲む工藤氏の一族であり、藤原鎌足の八代の孫為憲が、木工助となったことから工藤氏をとなえるようになりました。 工藤為憲の子孫は、駿河や伊豆に土着して、武士となり、各地に広がって行きました。
 
 
  曽我物語 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曽我兄弟の敵討ちで有名な「曽我物語」。物語に沿って、兄弟の生涯や敵討ち事件など、物語にまつわる土地や舞台を訪ね歩く。
 
 
  曽我物語の成立 <三弥井研究叢書>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曽我御霊鎮魂の《語り》から、宗教・歴史・民俗・政治が複雑に絡みあいながら『曽我物語』の誕生に至る足跡を、実証的な方法を用いて解明を試みる。
 
 
河海抄.1362
  河海抄   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  阪本龍門文庫善本電子画像集  南北朝時代の四辻善成(よつつじ・よしなり、1326〜1402)の『源氏物語』の注釈書。 二〇巻。川瀬一馬氏は、巻三、四は補筆だが、全体として室町初期の写とする。
 
 
  「河海抄 巻一」  四辻善成 著   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「河海抄 巻一」  四辻善成 著  國學院大學図書館 デジタルライブラリー
 
 
  四辻善成 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  四辻 善成(よつつじ よしなり、嘉暦元年(1326年) - 応永9年9月3日(1402年9月29日))は、南北朝時代から室町時代中期にかけての公家・学者・歌人。号は松岩寺左大臣。父は尊雅王。祖父は四辻宮善統親王。順徳天皇は曽祖父にあたる。 順徳天皇の末裔で代々「四辻宮」を号した。妹に石清水社祀官・紀通清妻、智泉聖通がおり、その女良子が足利義満・満詮の生母となる。1356年(延文元年)源姓(順徳源氏)を賜り臣籍に下る。
 
 
新拾遺和歌集.1364
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太平記.1368
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