005 【文芸ァ 近世文学:奥の細道:雨月物語:東海道中膝栗毛
 文学全般には古典文学・歴史文学から外国文学を含め、文学館・資料館などがあります。小説全般は、ミステリー、SF、探偵小説から歴史小説まで、またそれらについての書評や随筆、作家・小説家一覧、歴史博物館・記念館など幅広く収録されています。 また、ここには著名な国文学者・民俗学者もご掲載いたしました。 どうぞ、ごゆっくりご覧ください。
なお、ここには上代文学から近世文学(江戸時代)までの日本文学書を個々に掲載いたしました。近現代文学書(明治以降)は 「06近現代文学」 カテゴリをご覧ください。

近世文学 三河物語.1622 竹斎.1623 きのふはけふの物語 醒睡笑.1623 犬子集.1633
仁勢物語.1639 新増犬筑波集.1643 堪忍記.1645 挙白集.1649 江戸名所記.1662 好色一代男.1682
出世景清.1685 好色五人女.1686 好色一代女.1686 男色大鑑.1687 武道伝来記.1687 日本永代蔵.1688
万葉代匠記.1690 世間胸算用.1692 西鶴置土産.1693 すみだはら.1694 農業全書.1697 傾城色三味線.1701
赤穂浪士物語.1701 奥の細道.1702 曾根崎心中.1704 本朝文選.1706 笈の小文.1709 冥土の飛脚.1711
国性爺合戦.1715 独ごと.1718 心中天の網島.1720 女殺油地獄.1721 折たく柴の記.1725 遊子方言.1770
雨月物語.1776 玉くしげ.1789 海国兵談.1792 玉勝間.1795 新花摘.1797 古事記伝,1798
父の終焉日記.1801 東海道中膝栗毛.1802 桜姫全伝曙草紙.1805 椿説弓張月.1807 浮世風呂.1809 浮世床.1813
南総里見八犬伝.1814 おらが春.1820 四谷怪談.1825 偐紫田舎源氏.1829 北越雪譜.1837 三人吉三廓初買.1860
弁天娘女男白浪.1862.          
← 004 【文芸】◆中世文学      006 【文芸Α暸ゞ畍渋緤験 → 
TOP >  a 文芸 > 005 【文芸ァ 近世文学:奥の細道:雨月物語:東海道中膝栗毛 >  
       
近世文学
  日本の近世文学史 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)は、およそ江戸時代の日本文学の歴史である。 享保年間(1716年 - 1735年)を境目に大きく前後半に分けられる。 お伽草子の流れを汲み仮名草子や井原西鶴らによる浮世草子がうまれた。松永貞徳らにより栄えた俳諧は、後に松尾芭蕉が現れ表現として大成させた。 後期には俳諧の与謝蕪村、小林一茶らが活躍した。
 
 
  掘惷畧ぁ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄時代を観るに、古への復帰は契沖等の古学復興に観ること出来る。異国文化の憧憬は儒学や洋学の勃興に之を認めることが出来、又自然に入って行く姿を芭蕉に観ることが出来、現実意識の自覚は、町人階級の勃興や西鶴や近松の芸術によって認める事が出来る。
 
 
  近世文学の背景   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近世文学は日本文学の中でもきわめて特殊なものとされている。そして特殊なるがゆえに毛嫌いされるという傾きもある。だが、一体過去の日本において特殊でない時代がいつあったであろうか。近世だけが特殊であるゆえに毛嫌いされるというのは、一体どういうことなのであろうか。
 
 
  日本近世文学会    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本会は昭和26年12月、日本近世文学研究を促進しその発展に資することを目的として設立された。 本会の活動は、研究発表大会の開催、機関誌『近世文藝』の発行、設立趣旨にそったその他の活動を以て柱とする。
 
 
  近世初期文芸研究会   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近世初期文芸/仮名草子集成/古浄瑠璃・説経節関係/室町物語(御伽草子)/仮名草子作品の古書価
 
 
  近世文学(1603〜1868)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近世に入ると印刷物の発達によって読者層が拡大し、いわゆる町人文学の時代といわれる庶民の文学が主流となりました。 封建制度のもとで長い太平の時代が続き、商業の発達により町人の繁栄、平民文化が開花した。しかし後半は経済的破綻がひどくなり、幕府も取り立てを厳しくすると、退廃的・享楽的なムードが人々の生活に漂っていた。
 
 
  東京大学総合図書館所蔵 「近世文学資料展」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近世文学とは、江戸時代の文学を指す。この時期には、韻文・散文・演劇のいずれにおいても、それまでにない多彩な様式の作品が生み出された。俳諧・狂歌・狂詩、あるいは仮名草子・浮世草子・読本などの近世小説であり、また浄瑠璃・歌舞伎である。和歌・連歌・漢詩文などの伝統的な雅文学も相変わらず盛んに作られたが、端的に江戸時代的な香りのする文学といえば、上記のような新形式の俗文学であることはまちがいない。
 
 
  近世文学 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  翰林書房
 
 
  近世文学 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ジュンク堂書店
 
 
  近世文学の展開 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本書は近世文学の史的展開を大学・短期大学などで講義・演習する際の教材として編集した。 各章にそのジャンルにおいての展開を概説し、各節でさらに詳述。 具体的な作品をあげ、年表も付した。  第1章 近世小説の展開/第2章 近世演劇の展開/第3章 近世俳諧の展開/第4章 近世和歌・漢詩・狂歌・川柳の展開/第5章 国学の展開/第6章 近代文学における近世文学の受容
 
 
  近世文学雑記帳 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  勉誠出版
 
 
  日本文学 >  近世文学 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  Infoseekディレクトリ
 
 
  新刊案内(近世文学・その他)<書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  新刊案内(近世文学・その他)
 
 
三河物語.1622
  三河物語 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  三河物語(みかわものがたり)は、大久保忠教(彦左衛門)によって書かれた、徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書である。 元和8年(1622年)成立。3巻からなり、上巻と中巻では徳川の世になるまでの数々の戦の記録が、下巻では太平の世となってからの忠教の経験談や考え方などが記されている。
 
 
  大久保忠教 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大久保 忠教(おおくぼ ただたか)は戦国時代から江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。徳川家臣・大久保忠員の八男。兄に大久保忠世、大久保忠佐、大久保忠為ら。幼名は平助。一時忠雄とも名乗った。通称の彦左衛門で有名。子に大久保忠名、大久保包教、大久保政雄らがいる。妻は馬場信成の娘。『三河物語』の著者としても知られる。
 
 
  三河物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「三河物語」と言えば1622年大久保忠教が書き、昔は講談、今は漫画で有名である。忠教は言わずと知れた大久保彦左衛門、天下のご意見番、三河岡崎に2千石の領地を貰った旗本である。関が原で家康のために活躍したものの、時代は平和になり忠義を尽くした武断派の武士は暇をかこつようになり、文治派の武士が出世するようになる。60過ぎてリタイア―してから「三河物語」を子孫のために書き表した。 1.母なる川ー矢作川ー/2.父なる教えー浄土真宗ー/3.尾張と三河
 
 
  新三河物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  宮城谷さんの日本を舞台にした歴史小説第二弾です。主人公は「三河物語」を著した大久保彦左衛門こと大久保忠教[ただたか]です。彼は「天下のご意見番」として演劇などに取り上げらていますが、無欲恬淡、奇行の人だったようです。
 
 
  「三河物語」 マンガ日本の古典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代のベストセラーが今蘇る : この「三河物語」は、中央公論社の「マンガ日本の歴史」(石ノ森章太郎:著)シリーズに続く第2弾の企画モノで、「マンガ日本の古典」として全32巻が刊行されました。
 
 
  <三河物語からみた桶狭間合戦>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (1)付城攻めを督励した義元本陣/(2)駿河勢殿軍の陣内の様子/(3)織田勢は善照寺砦にいなかった/(4)本陣ではない理由/(5)牛一はなぜ書かないのか/
 
 
  三河物語 [単行本]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  徳川はなぜ織田・豊臣の後を追わず300年栄えたのか?徳川武士道の義理と人情、主従の結束の固さの秘密を、“天下の御意見番”といわれた眼で語る。主従(労使)はどうやればいちばん長く“共栄・共生”ができるのか。維新以来、経営者・管理者に日本的経営の必読書となった幻の書。
 
 
  新 三河物語〈上巻〉 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  永禄三年。三河の長い夜が明けたとき、ひとりの男児が生まれた―幼き彦左衛門がみた、若かりし天下人の素顔。今川義元が桶狭間に斃れ、松平元康(のちの家康)は岡崎城に帰還する。今川の支配を脱した元康に立ちふさがったのは、寺内町に拠る門徒宗だった。忠義を尊ぶか、信仰に殉じるか。主君と家臣、友と友、父と子にいたるまでが敵対し、信念を懸けて戦った三河一向一揆を描く第一巻。
 
 
  新 三河物語〈中巻〉 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  長篠の戦いで信長に激賞された大久保忠世と忠佐。最強の敵・武田軍との死闘で数多の命が散りゆくなか、大久保一族の忠義が試される。
 
 
  新 三河物語〈下巻〉 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  家康の天下統一は目前となり、大坂城をめぐる最後の戦いを迎えた。だが、戦場での強さが求められる時代は過去のものとなっていた。―あらぬ罪を着せられ改易に追い込まれた大久保一族の哀しみが、彦左衛門の筆に命を吹き込む。家康の興亡とともに生きた彦左衛門が、『三河物語』を記すまでを描く感動の最終巻。
 
 
竹斎.1623
  竹斎 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  竹斎(ちくさい)とは江戸時代(徳川時代)初期の仮名草子。作者は、医師の富山道冶(とみやまどうや)である。 作者富沢道冶・生年不詳~寛永11年(1634年)は、伊勢国松坂の商家の出身で京都の名医曲直瀬玄朔について医学を修めた。本作品は、元和7年(1621年)頃の成立と推定されている。
 
 
  下り竹齋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  仮名草子。縹色紙表紙。原装。もと三冊本であったものを、中・下を合わせ、二冊本に改装。外題「絵入 下り竹斎 (中・下)」(刷題箋、もと中冊の題箋の「中」の字を擦り消し、上冊に貼られている)。
 
 
  竹斎(ちくさい) - Yahoo!百科事典    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸初期の仮名草子。富山道冶(とみやまどうや)作。上下二巻。1621年(元和7)から23年までの成立刊行。富山道冶(1584―1634)は曲直瀬玄朔(まなせげんさく)門下の医者。
 
 
  竹斎読書図 - 文化遺産オンライン   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  15世紀前半、京都・南禅寺の杲(こう)という僧が所持していた山水画に、当時の著名な禅僧たちが詩や序を寄せた詩画軸。筆者と伝えられる周文は、同じころ、足利将軍家に画家として仕えた相国寺の禅僧である。
 
 
きのふはけふの物語
  『きのふはけふの物語』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  むかし天下を治め給ふ人の御内に、傍若なる者どもあつて、禁中へ参、「陣にとらう」といひて、槍の石突をもつて御門をたゝく。 御局たち出あひ給ひて、「是は内裏様とて、下々のたやすく参るところにてはないぞ。 はやはや何方へも参れ」と仰せければ、「此家を陣にとらせぬといふ理屈のあらば、亭主罷り出て、きつと断を申せ」といふた。 織田の信長公、時々興に團子をきこしめす。…
 
 
  きのふはけふの物語 <書籍> 岡 雅彦解説    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  きのふはけふの物語 <書籍> 岡 雅彦解説 勉誠社文庫
 
 
醒睡笑.1623
  醒睡笑 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  醒睡笑(せいすいしょう)は庶民の間に広く流行した話を集めた笑話集。著者は茶人や文人としても知られる京(京都)の僧侶、安楽庵策伝。8巻1,039話の話を収録している。
 
 
  醒睡笑(せいすいしょう) ―江戸前期の一大笑話集―   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  咄本(はなしぼん)(笑話本)。八巻。浄土宗の説教僧・安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)著。元和九年(1623)成立。 京都所司代板倉重宗の求めに応じて1039話の笑話を収めたもの。42項に分類。近世笑話文学の先駆で後の咄本、落語に多大の影響を与えた。書名は「こしかたしるせし筆の跡を見れば、おのづから睡(ねむり)を醒(さ)まして笑ふ」ところから名付けられた。
 
 
  醒睡笑 <書籍> 鈴木棠三 校注   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「睡りを醒まして笑う」滑稽説話集の意味で、無類の話好き策伝が主として説教用に千余話を編集したもの。のち京都所司代板倉重宗に献呈、近代の落語に多くの材料を提供した最古の噺本として高く評価される。本書は製版本以前の形を示す良本、静嘉堂蔵本を底本に、噺の面白さと出典関係を示す詳注を施し、重要語句索引を付した。
 
 
犬子集.1633
  2. 犬子集 えのこしゅう   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  頼編。刊本、横本5冊。自序。原題簽、左肩無辺「犬子集 □(二〜五)」。内題「狗集」。初冊56丁、第2冊41丁、第3冊36丁、第4冊42丁、第5冊21丁。
 
 
  〔四五〕狗[こ]集 (犬子集)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  重頼撰の俳諧撰集。五冊。寛永一○年(一六三三)刊。重頼自序・『玉海集追加』貞室跋文などによると、貞徳門下の重頼と親重(立圃)が俳諧の撰集を企画して作品を集めていたが、両者はやがて不和になり、草稿を持っていた重頼が単独で出版したという。
 
 
  犬子集 《犬子集三巻第九》秋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  なけほうりたる皿やわれけん 膝のふし立もあからぬすまひ取 同 断をせぬや関のまもりめ  かちまけを見るはすまふの行事にて 
 
 
  犬子集(えのこしゅう) - Yahoo!百科事典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  俳諧撰集(はいかいせんしゅう)。17巻5冊。重頼(しげより)編。1633年(寛永10)刊。近世最初の俳諧撰集。初め親重(ちかしげ)、重頼の2人が貞徳(ていとく)の指導のもとに編纂(へんさん)に着手したが、編者間に意見の対立が生じ、重頼が1人で刊行した。
 
 
  近世文学資料類従 古俳諧編 1 犬子集 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近世文学資料類従 古俳諧編 1 犬子集 <書籍>
 
 
仁勢物語.1639
  浄瑠璃仁勢物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浄瑠璃仁勢物語 <碧翠亭> むかし松王と言ふ男ありけり。 心猛くまめまめしきさまにてありけるが、事に当たりて図らずもままならぬことなむ出て来たりける。
 
 
  仁勢物語 《仁勢物語上》   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  をかし。若き男。藝にもならぬ相撲を取けり。嬉しがる親にて。よく取ると思ひて。此子を外にて取らせんとす。さこそいへ。未だ取らせず。独子なれば。甘やかしければ。取るに勢なし。此子病み上りなりければ。相撲の力なし。・・・
 
 
  仁勢物語(にせものがたり) - Yahoo!百科事典    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  仮名草子。作者不詳。上下二巻。1638年(寛永15)から1640年までの成立刊行。書名の「仁勢」(似せ)が示すように流布本『伊勢(いせ)物語』125段のことごとくを逐語的にもじったパロディーである。雅語を俗語に置き換えたり、古典の世界を当時の世相、風俗に絡ませたりするなど、卑俗化することによって滑稽(こっけい)をねらっている。
 
 
  仁勢物語 (文芸文庫 日本古典文学 9)  <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  仁勢物語 (文芸文庫 日本古典文学 9) <書籍> excite book
 
 
  仁勢物語 犬百人一首 酒茶論 酒餅論 <書籍>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  仁勢物語 犬百人一首 酒茶論 酒餅論 <書籍> 勉誠出版
 
 
新増犬筑波集.1643
  新増犬筑波集.1643    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/新増犬筑波集.1643
 
 
堪忍記.1645
  堪忍記(かんにんき) - はてなキーワード   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  諸大名の藩主・石高・内情等を記し、批評したもの。写本、1冊。  【注】この『堪忍記』は、浅井了意の版本『堪忍記』とは別の、斎藤親盛(如儡子)の写本『堪忍記』である。
 
 
  如儡子の『堪忍記』 - fuakiの日記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  如儡子の『堪忍記』 は、仮名草子の中で有名な浅井了意の『堪忍記』とは別の本である。いずれも写本で、福井県立図書館の松平文庫本と、内閣文庫の和学講談所本・昌平坂学問所本の3点が現存する。
 
 
  浅井了意作、「堪忍記」の「もろこしの楊震といふ… - Yahoo! 知恵袋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  至急でお願いします。浅井了意作、「堪忍記」の「もろこしの楊震といふ人は、」からはじまる古文の現代語訳をご存知の方・・・
 
 
  浅井了意 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浅井 了意(あさい りょうい、慶長17年(1612年)- 元禄4年1月1日(1691年1月29日))は、江戸時代前期の浄土真宗の僧・仮名草子作家。父は東本願寺の末寺本照寺の住職。本名は不詳。号は松雲・瓢水子・羊岐斎。京都の出身。 父が本照寺の住職を追われ浪人し、容膝に師事して儒学・仏道・神道の三教に通じた。その後京都二条本性寺(真宗大谷派)の昭儀坊に住した。
 
 
  絵本堪忍記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  刊行年:文政10年刊 著者名:速水春暁斎
 
 
  堪忍記 上下2冊揃 近世文学資料類従 仮名草子編1・2   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  堪忍記 上下2冊揃 近世文学資料類従 仮名草子編1・2  著者名:近世文学書誌研究会 編
 
 
  近世文学資料類従〈仮名草子編 2〉堪忍記 (1972年) 近世文学書誌研究会   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近世文学資料類従〈仮名草子編 2〉堪忍記 (1972年) 近世文学書誌研究会
 
 
挙白集.1649
  挙白集/1649    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05和歌」/挙白集/1649
 
 
江戸名所記.1662
  江戸名所記【えどめいしょき】   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸初期の地誌。7巻7冊。伝浅井了意著。1662年刊。江戸地誌・名所案内で,80余の名所について絵入りで述べ,各名所ごとに歌を記す。江戸風俗資料としても貴重。以後,多くの名所記を生む。
 
 
  えどめいしょき【江戸名所記】 - Yahoo!辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  地誌。七巻。浅井了意著。1662 年刊。江戸の名所の歴史を述べ、そこにちなんだ古歌・発句、自作の狂歌などを付す。最初の本格的な江戸に関する名所記。
 
 
  『江戸名所記』に見る17世紀中頃の江戸の名所の特徴   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本研究の目的は,江戸という17世紀初頭から建設されていった都市において,どのような名所が形成されていったのか,その特徴を明らかにすることにある。名所は,古くは和歌を詠むときに用いる歌枕の場所を指していた。その後,狭義の意味を離れ,名高い場所を指すようになる。その時期が中世から近世にかけてといわれている。そこで17世紀初頭に成立した江戸という都市を対象に,成立した名所の特徴を調べた。
 
 
  史料リスト・江戸時代−地誌−   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  史料リスト・江戸時代−地誌−
 
 
好色一代男.1682
  好色一代男 (wiki^tan)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)は、江戸時代前期の代表的な文芸作品。井原西鶴の処女作である。8巻8冊。発刊は1682年(天和2年)、西鶴41歳の作品とされている。上方板の挿絵は、蒔絵師源三郎といい、また西鶴自筆ともいう。江戸板は菱川師宣筆。本作品は、一人の男性(世之介)の好色で自由気ままな人生を活写することにより、庶民男性の一つの理想的な生き方を描きだすことに成功し、大人気を博した。作品に描く世之介の人生を7歳から60歳までの54年間で切り取っている。
 
 
  好色一代男 井原西鶴   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  七歳 けした所が恋はじめ : 桜もちるに嘆き、月はかぎりありて入佐山、ここに但馬の国かねほる里の辺(ほとり)に、浮世の事を外(ほか)になして、色道(しきだう)ふたつに寝ても覚めても夢介(ゆめすけ)と替名(かえな)呼ばれて、名古屋三左(さんざ)、加賀の八などと、七つ紋の菱にくみして身は酒にひたし、一条通夜更けて戻り橋、・・・  巻一 〜 巻八
 
 
  好色一代男 : 角川映画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  但馬屋の一人息子・世之介は、父親の心配をよそに放蕩三昧。修行先でも金にまかせて女狂い。 ついに勘当された世之介は、頭を丸め放浪の旅に出るが、なおも懲りずに京都随一とうたわれた夕霧太夫を口説き落とす始末。 女体遍歴に命をかけた男・世之介の華麗な一代記。
 
 
  好色一代男 - goo 映画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄期を背景に世之介の女体遍歴を描いた井原西鶴の「好色一代男」の映画化で、「お姐ちゃんはツイてるぜ」の白坂依志夫が脚色し「恋にいのちを」の増村保造が監督した。撮影は「手錠にかけた恋」の村井博。
 
 
  好色一代男 1961年映画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸文学の最高傑作である井原西鶴原作の映画化。主人公世之介のあくなき女遍歴を通じて、香り高いエロティシズムの中に当時の庶民生活を描く。
 
 
  好色一代男  動画検索 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  好色一代男  動画検索 - Google
 
 
  DMM.com [好色一代男] - DVD通販   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  但馬屋のひとり息子・世之介は、父親の心配をよそに放蕩三昧。ついに勘当されて頭を丸め、放浪の旅に出るが、なおも懲りずに夕霧太夫とを口説こうとする。
 
 
  YouTube - カブキ・ロックス "好色一代男"   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  YouTube - カブキ・ロックス "好色一代男"
 
 
  『好色一代男』 井原西鶴 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴の俳諧はオランダ流と噂されていた。 最初は貞門風で、しばらくしてその煩瑣で平板な古風に飽いて、西山宗因の談林風に走った。さっそく寛文13年6月には生玉南坊で百人をこえる俳人を集めて萬句俳諧を興行した。その自序に、西鶴らの新風が巷間、阿蘭陀流とよばれていたとある。
 
 
  好色一代男(初版) - 早稲田大学図書館所蔵貴重資料   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴著、落月庵西吟跋。1682(天和2)年10月、大坂荒砥屋孫兵衛可心版。8冊、27.3×19.3cm。  /井原西鶴の小説『好色一代男』を取り上げる。
 
 
  好色一代男 (文庫)  井原西鶴 (著)  横山 重 校訂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  世之介は七歳にて性に目ざめ,漁色の生活をはじめ,十九歳にて勘当.三十五歳にして父の莫大な遺産を受け,これより諸国遊里の好色世界に遊ぶ.現世にあきたらず六十歳にして好色丸にうち乗り,女護島へと去って行く.西鶴の代表作であり,浮世草子の最初のものであり,好色本の開祖であり,また徳川文学の最高峰でもある.  
 
 
出世景清.1685
  出世景清 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『出世景清』(しゅっせかげきよ)は、近松門左衛門作の浄瑠璃。1685(貞享2)年、大坂竹本座で初演。5段の時代物。幸若舞曲の『景清』に取材し、平家滅亡後も生き延び、源頼朝を討ち怨みを晴らそうとする悪七兵衛景清の苦悩を描く。初めて近松が竹本義太夫のために執筆した作品である。それまでは、宇治加賀丞に作品提供していた。また、義太夫節を創始し、それまでの古浄瑠璃に対して、当流浄瑠璃を画したとされている。
 
 
  「出世景清」 〜作 品 解 説〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「竹本座」の竹本義太夫との提携第1作。これには次のようないきさつがからんでいる。 貞享元年(1684)、義太夫が大阪・道頓堀に「竹本座」を旗揚げして、近松の「世継曽我」を上演、好評を博す。義太夫と浅からぬ因縁を持っていた京の宇治加賀掾がこれを知り、翌2年正月、道頓堀に進出して井原西鶴の「暦」を上演する。これを迎え討つ義太夫は「賢女の手習並に新暦」(けんじょのてならい ならびにしんごよみ)を出して対抗…
 
 
  「出世景清」をかぶき的心情で読む   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「私があなたを愛するくらいに私を愛して」 : 歌舞伎と関係ない話から入りますが、ギリシア神話のお話です。その昔、クレタ島にはミノス王という王様がおりまして、そこの宮殿には通路が入り組んでいて、一度入ったら 絶対に出られないというので「迷宮」と呼ばれている場所があり、ミノス王はその迷宮の奥にミノタウロスという怪物を飼っておりました。
 
 
  「出世景清」 - 分け入つても分け入つても本の山    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  これで近松芝居を読むのは6つめだが、この劇作家の作法にようやく思い至る。 近松門左衛門の人形浄瑠璃は嬲(なぶ)りである。… なんのことはない、近松人形浄瑠璃の本質がすべて書かれているではないか。
 
 
  女殺油地獄,出世景清 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  女殺油地獄,出世景清 [文庫]  近松 門左衛門 (著), 藤村 作
 
 
好色五人女.1686
  好色五人女 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  好色五人女(こうしょくごにんおんな)は、江戸時代の浮世草子。井原西鶴作。5巻5冊。発刊は1686年(貞享3年)である。5つの独立した物語で構成されており、すべて当時世間に知られていた実話に基づく。各物語のタイトル(とモデルとなった事件)は次の通り。 ・姿姫路清十郎物語(お夏清十郎) ・情を入れし樽屋物かたり(樽屋おせん) ・中段に見る暦屋物語(おさん茂兵衛) ・恋草からげし八百屋物語(八百屋お七) ・恋の山源五兵衛物語(おまん源五兵衛)。
 
 
  西鶴『好色五人女』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  この作品は,『好色一代男』のような遊郭を舞台としたスキ者の運命ではなく,主として町人男女の姦通とその悲劇的結末を物語るものである。当時世間に騒がれた姦通スキャンダルを題材にしたものだという。要するに色事のプロではなく,パンピーが主人公であり,それだけ男女の業がより浮き彫りになっているともいえる。
 
 
  好色五人女 〜おせん〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  おせんは、大坂のとある商家の女中です。 十四の歳に百姓の家から奉公に上がりましたが、その割にスッキリとあか抜けた、よく気のつく賢い娘でした。 上からも下からも人望の厚い働き者だったので、数年の間に、おせんなしではこの家は成り立たない、と言われるまでに信用されるようになりました。
 
 
  好色五人女 〜おさん〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  おさんは、京都四条室町の、大経師の女房です。 大経師というのは宮中や幕府の表具や経師をほどこす職業の人で、暦の発刊も許された、特殊な御用職人です。 大経師の美人女房と歌われたおさんは、京の男たちの注目の的になるほど美しい女でした。
 
 
  八百屋お七『好色五人女』から   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「八百屋お七」については、『好色五人女』(井原西鶴)、『八百屋お七』(紀海音)、『天和笑委集』 『近世江都著聞集』にも載っていますが、諸説がいろいろあり事実関係はよく分からないようです。しかしながらここでは井原西鶴の「好色五人女」の中の「八百屋お七」について取り上げてみることにします。
 
 
  好色五人女卷一 姿姫路清十郎物語   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  戀は闇夜を晝の國 : 春の海しづかに寶舟の浪枕室津はにきはへる大湊なり爰に酒つくれる商人に和泉清左衞門といふあり家榮えて萬に不足なし
 
 
  『好色五人女』 - 元禄の文学と食卓の巻   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴の代表作には「好色」と名のつく一連作がありますが、現在私たちが使う意味での "好色"とは少々ニュアンスが違っていたようです。当時の日本には、今日使っているような "恋愛"や "愛"という言葉は一般化しておらず、男女の恋愛的な関係を表すには "色"や "情"といった言葉が多く使われていました。
 
 
  「好色五人女」 井原西鶴作/福島忠利訳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  お夏、おせん、おさん、八百屋お七、おまんの五人の女の命をかけた恋を描いた西鶴の実録ものの代表作。当時、親の目を盗んでの恋愛は不義密通の名で呼ばれ、これを犯した者は勘当され、それが自分の娘であった場合は、親はお上に訴えて打首、あるいは島流しにすべしという法令までできていた。
 
 
  現代語訳 好色五人女 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  恋しい男会いたさに放火した「八百屋お七物語」や身分違いゆえの駆け落ち「お夏清十郎物語」など、命賭けで恋に殉じた女達を描く『好色五人女』。老婆から艶めかしく多彩な男性遍歴が語られる『好色一代女』。絶筆にして最高傑作『西鶴置土産』の三篇を収録。元禄の粋が吉行と丹羽の名文で甦る最も贅沢な現代語訳西鶴集。
 
 
好色一代女.1686
  好色一代女 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  好色一代女(こうしょくいちだいおんな)は、井原西鶴作の浮世草子である。 都に住む当世男が、友人とともに、西嵯峨に行き、草庵の主である老女に会って、生涯の思い出話を聞くという趣向である。 その内容は、堂上家の姫君に生まれた一代女がその道を踏み外して、悦楽と苦悩とのないまぜになった売春生活のに次第次第に転落し、太夫から天神、私娼へと堕ちてゆく。いくたびかその境遇から這い上がろうとして、しかしみずからの性質から、失敗するというもの。
 
 
  好色一代女卷一 目次   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  老女のかくれ家 : 美女は命を斷斧と古人もいへり。心の花散ゆふべの燒木となれるは何れか是をのがれじ。されども時節の外なる朝の嵐とは。色道におぼれ若死の人こそ愚なれ。其種はつきもせず人の日のはじめ。  老女隱家/ 舞曲遊興/國主艶妾/淫婦美形/
 
 
  『好色一代女』の面白さ・可笑しさ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  清文堂出版社長の前田博雄氏から「当社は大阪の出版社、西鶴に関する本、それも西鶴の魅力を広く知らせるような本を出したいのだが…」という相談をうけたのは、もはや数年前のことになる。私も西鶴にかかわり続けてすでに四十年、大阪の出版社、それゆえに西鶴を、という前田氏の心意気に感じて、ただちに承諾してしまった。
 
 
  好色一代女  (貞享三年)刊 六冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴の浮世草子。談林派の俳諧師西鶴は、天和二年(1682)に『好色一代男』を出版して以来、陸続と浮世草子を出版するが、『好色五人女』出版の四ヶ月後、貞享三年(1686)の六月に、『好色一代女』を大坂の書肆岡田屋三郎右衛門から板行した。 洛西嵯峨の「好色庵」に隠れ住む六十五歳の尼の語る一代の懺悔物語。
 
 
  井原西鶴   「好色一代女」 - ジャックの談話室 :    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  私が一番、最初に読んだ井原西鶴の作品は、「男色大鑑」で、その次が「好色一代男」ですが、はっきりいって二作ともつまらなかったです。… で、そのあと「好色一代女」を読んだのですが、これはメチャクチャ面白かった。 「好色一代女」とはどういう女か? 簡単にいうと遊女(売春婦)です。 彼女は実に様々な売春稼業を遍歴するのですが、江戸時代の日本にこれほど多種多様な売春婦が存在したことに驚かされます。
 
 
  好色一代女:解説と原文(一部) - 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。六巻六冊。井原西鶴作。貞享三年(1686)刊。 一人の女の十三歳から六十五歳までの愛欲の生涯を描いた二十四章の物語。 公卿の娘として宮仕えした主人公が不義をして主家を追われた後、貧しい家を救うために、大名の側室や遊女となり、ついに私娼にまで転落してゆく生涯を描く。
 
 
  好色一代女 の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  好色一代女 の動画 - Google
 
 
  好色一代女 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  由緒ある家に生まれ、容姿・才芸にひいでた主人公は、大内に宮仕えする身から、最後、大坂玉造で巷を徘徊する惣嫁にまで落ちぶれてしまった。もう化粧で老をかくしても誰も見むきはしない。作者は、一人の女の遍歴するさまざまな売色的職業を描写することによって、元禄期の社会、そしてその中を生き抜いた女たちの実像に迫ろうとする。
 
 
男色大鑑.1687
  『男色大鑑』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  読み:なんしょくおおかがみ  1687年貞享4年正月刊行。8巻8冊本で、各巻5章全40話の短編小説集。
 
 
  西鶴の描く同性愛   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴の「浮世草子」を見ると、当時は衆道(同性愛)がかなり一般的だったらしい。『好色一代男』の世之介は、五十四年の生涯に、女三千七百四十二人、男七百二十五人と寝たことになっている。… さて、西鶴は『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』で衆道の様々な相を描き出している。その中には単に笑いを誘うユーモラスな作品もある。
 
 
  男色大鑑  《男色大鑑第八巻》目録   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  鼻ハ人の面の山なりと古詞に申伝へし。男女にかぎらず高下あつて。思ふまゝならぬハ人のつきぞかし。むかし末摘といへるもすぐれて鼻醜かりしに。是も美女となんいへり。それを思へハふたつどりには。ひくきより高いに徳の有べし。鎌倉新蔵も童戯なれバこそ人も見ゆるせ。
 
 
  男色大鑑 - あのひと検索 SPYSEE   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『男色大鑑』なんしょくおおかがみは1687年の正月に井原西鶴によって刊行された作品です。井原西鶴といえば日本史の授業で『好色一代男』や『世間胸算用』などの浮世草子を書いた元禄時代の作家として習ってたと思います。
 
 
  西鶴全集 3―現代語訳 (3) 男色大鑑]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴全集 3―現代語訳 (3) 男色大鑑 [-]  井原 西鶴 (著), 暉峻 康隆 (翻訳)
 
 
  井原西鶴 「男色大鑑」(2) - ジャックの談話室   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「男色大鑑」の後半、四巻二十章は、歌舞伎若衆の衆道(男色)のエピソードを集めています。 当時、若くて美しい歌舞伎役者は、昼間は舞台を勤め、夜は茶屋で客の求めに応じて男色の相手をする習慣でした。
 
 
  男色大鑑(なんしょくおおかがみ) by Saikaku Ihara    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴の著書に歌舞伎役者の鈴木平八を慕って自分自身の腕や股に傷をつけるファンがあとを絶たなかったとあるそうです。武士の求愛手段が、同じく美少年を仰ぐ歌舞伎の世界に浸透していったためと、考えられるようです。
 
 
  男色大鑑 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  男色大鑑 (決定版 対訳西鶴全集) [単行本]  井原 西鶴 (著), 麻生 磯次, 冨士 昭雄
 
 
  多留保判 男色大鑑 上下2冊揃 附・稚児之草子絵巻(覆刻版)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  多留保判 男色大鑑 上下2冊揃 附・稚児之草子絵巻(覆刻版)  著者名:稲垣足穂
 
 
  決定版 対訳西鶴全集(6) 男色大鑑  麻生磯次 ・冨士昭雄【訳注】   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  当時の習俗から衆道を主題にした異色作。義理・嫉妬・執着・怨恨など、同性愛の複雑な心理描写に成功している。好色物から武家物への過渡的作品として注目される。
 
 
武道伝来記.1687
  武道伝来記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『武道伝来記』(ぶどうでんらいき)は、井原西鶴による武家物の浮世草子。全8巻で、1687年(貞享4年)4月に発行された。挿絵は吉田半兵衛、大阪 池田屋(岡田)三郎衛門発行。 正しくは『諸国敵討 武道伝来記』。「諸国敵討」の副題が示すように敵討を主題とした短編小説集で、各巻それぞれ4話、合計32話載せられている。大永年間(1521-1528)の出来事(巻五の一)から寛永11年(1634)の伊賀上野の敵討(巻八の四)までの世間に伝聞した敵討を描いている。
 
 
  武道伝来記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  《武道伝来記巻三》 今の世ハ人すなほになりて信心ふかく神国の風俗現れ悪魔を払ひ松に音なく海に浪立ずして豊後の符内静なる舟付とハなれり。以前此所に化物屋敷とて同心町のすゑに。…
 
 
  武道伝来記 - webR25   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『武道伝来記』(ぶどうでんらいき)は、井原西鶴による武家物の浮世草子。全8巻で、1687年(貞享4年)4月に発行された。挿絵は吉田半兵衛、大阪 池田屋(岡田)三郎衛門発行。概略 正しくは『諸国敵討 武道伝来記』。
 
 
  武道伝来記 - 古典文学一幕見   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴の浮世草子のうち武家物といわれる作品。貞享4年(1687)4月に刊行された。「諸国敵討」というサブタイトルのある8巻の本で、合計32の話が収録されている。その中には実際にあった事件を基にしているものもあるが、多くは西鶴の脚色や創作によるもの。それゆえに西鶴が当時の武家をどのように考えていたのか。江戸時代の武士道とは何かを考える資料にもなる。
 
 
  武道伝来記 [文庫]     TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  武道伝来記 (岩波文庫 黄 204-7) [文庫]   井原 西鶴 (著), 横山 重, 前田 金五郎
 
 
  武道伝来記  井原 西鶴   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴の序によると,武蔵坊の長刀や朝比奈の武勇は昔の話,ここにはごく近い時代の「諸国に高名の敵うち」を書き記したという.副題に「諸国敵討」と謳われている所以でもある.8巻32篇の物語に描かれた武士たちはいずれも実在の人間で,討つ者も討たれる者も,手に取るように鮮かである.底本には赤木文庫本を使用した.
 
 
  武道伝来記 西鶴置土産 万の文反古 西鶴名残の友   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  随所に笑いを仕掛けつつ,浮世を生きる人間を描く西鶴の後期作品集.町人の立場から見る武士の世界「伝来記」,好色の果ての明暗「置土産」,17通の手紙に世の人心を読む「文反古」,俳人の逸話と各地の奇譚を綴る「名残の友」.
 
 
  武道伝来記;西鶴置土産;万の文反古;西鶴名残の友 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  町人の立場から見る武家の世界(『武道伝来記』)。好色の果ての明暗(『置土産』)。十七通の手紙に世の人心を読む(『万の文反古』)。俳諧師の逸話と各地の奇譚を小咄風に綴る(『名残の友』)。井原西鶴後期作品集。
 
 
日本永代蔵.1688
  日本永代蔵 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)は、井原西鶴作の浮世草子で、町人物の代表作の一つ。 貞享5年(1688年)に刊行され、各巻5章、6巻30章の短編からなる。副題として「大福新長者教」。金持ちはいかにして金持ちになったか、町民の生活の心得を飾らずに描いた内容になっている。軽妙な文体は、後の太宰治の文体に影響を与えたといわれる。 刊行文献 : 「日本永代蔵 現代語訳付」、「日本永代蔵」、『決定版 対訳西鶴全集12 日本永代蔵』
 
 
  日本永代蔵  江戸時代   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『日本永代蔵』は、井原西鶴作の浮世草子です。貞享5年(1688)に刊行されました。各巻5章、6巻30章から成っています。 諸都市の町人の成功や失敗談が書かれた短編小説集で、西鶴町人物の最初の作品です(井原西鶴の項参照)。町人たちの暮らしぶりが西鶴流の軽妙な筆致で書かれています。全編通して、金銭にまつわる喜悲を中心として描き、節約を勧めているところが特徴といえるでしょう。また、諸国の風俗が多く盛り込まれております。
 
 
  井原西鶴の『日本永代蔵』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「日本永代蔵」は貞享5年(1688)に書かれたもので、主に町人の努力と才覚による成功談が取り上げられている。 6巻、毎巻5章からなる。これまでに金をテーマにした作品はなかったというから、本書は日本人の町人の金銭感覚を知る上での必読書。作者の井原西鶴(1642〜1693)は、41歳で小説「好色一代男」を発表するまでは、俳諧師として知られていた。本書は晩年の作である。
 
 
  日本永代蔵 ―付 現代語訳    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴町人物の代表作。町人の経済生活にはじめて真正面からとり組んだ短編小説集。金がすべての世の中では、才覚・知恵・勤勉といった諸要素のあるかないかが致富と倒産の別れ道。とぎすまされた西鶴の目は、自己の属する町人階級を鋭くみつめ、円熟した筆は金と物欲渦巻く町人生活の悲喜劇を、心にくいまでに描破する。
 
 
  日本永代蔵 - 学研キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴(いはらさいかく)の浮世草子(うきよぞうし)(江戸(えど)時代の小説(しょうせつ)の一種(いっしゅ))。30編(ぺん)の短編(たんぺん)からなる。1688年刊(かん)。西鶴最初(さいかくさいしょ)の町人(ちょうにん)物で,金と欲(よく)に生きる当時の町人の成功(せいこう)談・失敗(しっぱい)談などを,かざらずにありのままにえがきだしている。日本文学史(し)上はじめて金銭(きんせん)を対象(たいしょう)とした作品として大きな意義(いぎ)をもつ。◇「にほんえいたいぐら」とも読む。
 
 
  経済小説の原点『日本永代蔵』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『日本永代蔵』(以下『永代蔵』と略称)は、西鶴町人物の第一作、それ以前の文芸にはほとんどない町人たちの経済生活をまともに、しかも面白くとりあげた作品として、その評価は高い。が、西鶴町人物の中では、『世間胸算用』(以下『胸算用』と略称)が最高傑作、『永代蔵』はその下風に立っているかのように見なされがちのようである。なぜなのか?
 
 
  『日本永代蔵』 井原西鶴 小学館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『日本永代蔵』は、金銭を得るためにあくせくし、それに振り廻されて、ときには成功し、ときには失敗する人々の姿が次々に登場してくる話である。 西鶴が当時の風潮を「俗姓・筋目にもかまはず、ただ金銀が町人の氏系図」と描いているように、士農工商の身分制度が確立した中にあって、金銀の有無によってその人間の価値までもが決められてしまいかねない状況で生きる町人たちのさまざまな営みが、印象深く描き出されている。
 
 
  井原西鶴作「日本永代蔵」のご紹介   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  )「日本永代蔵」の特徴 : 日本永代蔵は、わが国において、それまでの文芸ではほとんど取り上げられなかった町人の経済生活を正面から取扱った本邦初の経済小説である。作者の井原西鶴は元々俳諧の世界にいた人であり、歯切れの良い文体と共に、文学的評価の高さから今日まで読み継がれている。
 
 
  日本永代蔵 《日本永代蔵巻三》目録   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  四百四病ハ世に名医ありて験気をえたる事かならずなり。人ハ智恵才覚にもよらず貧病のくるしミ是をなをせる療治のありやと家有徳なるかたに尋ねけれバ。今迄それをしらす養生さかりを四十の陰まで。
 
 
  日本永代蔵 【井原 西鶴】 - 朋子の本棚   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本で初めて経済をテーマに扱った作品です。 それぞれのお話しは、次の2つのパターンに大別できます。 パターンA)貧乏のどん底から一代で莫大な財を築く西鶴の語る(あくまで金銭面における)成功の秘訣は、「一に倹約、二に才覚」のようです。
 
 
  企業永続は江戸時代に学べ 新日本永代蔵   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  やれコンプライアンスだJSOXだというが、その大元のアメリカがうまくいってるのか。まねせずとも日本には永続企業がある、その家訓を学ぶべき!ということでこの「新日本永代蔵」を紹介してくれたのだ。
 
 
  井原西鶴の『日本永代蔵』  大黒屋の放蕩息子   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  京都の大黒屋は名の知られた金持ちだが、3人の子供を育てて隠居しようと考えていた。しかし惣領の新六が遊びが好きでついに親から勘当させられた。彼は江戸に行こうと考えた。12月28日の夜、こっそり家の風呂に入ったが、人の声に着るものも着ずに急いで逃げ出した。それから野宿しながら江戸に行き、3人の乞食から知恵を授けられ、江戸でも評判の金持ちになったお話。
 
 
  日本永代蔵 ―井原西鶴の町人物浮世草子― 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。六巻六冊。井原西鶴作。元禄元年(1688)刊。 富を獲得する商人や破産する商人など、さまざまの町人群像を描く。話題は諸国にわたり、事実と虚構をおりまぜて金銭をめぐる人の心のありよう、町人の経済生活の裏面等を暢達な文体で活写している。西鶴の町人物の第一作。
 
 
  江戸の経済小説『日本永代蔵』 〜小説の向こうに江戸時代が見える〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代の中期、元禄期の日本列島は、すでに大坂(オオザカ)・京・江戸の三都を結節点にした市場経済のネットワークが成立していました。そこで演じられるカネの欲望に駆られた町人たちの悲喜劇を活写したものが『日本永代蔵』です。
 
 
  日本永代蔵 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  解説は現代文で書かれています。あと豊富な挿絵が入っていて、なかなか味わいがあって、見入ってしまいます。
 
 
  日本永代蔵  日本文学(古典)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  好色物から武家物へと筆を転じてきた西鶴が,経済を中心とする町人生活を真正面からとり上げ三十篇の挿話にまとめたもの.勤勉・節約・才知によって財産を作り,あるいは,失敗談,教訓談を織り交ぜて町人の処世法を教える.鋭い観察とリアルな筆力とがあいまって,金と慾に生きる町人像と徳川封建社会の姿を鮮やかに描き出す.
 
 
  日本永代蔵 - 新潮日本古典集成   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  致富の道は始末と才覚、財を遣い果すもこれ人生。金銭をめぐって展開する人間悲喜劇のさまざまを、町人社会を舞台に描き、金儲けとは人間にとって何であるかを問う。
 
 
  新版 日本永代蔵 現代語訳付き[文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本格的貨幣経済の時代を迎えた江戸時代前期の人々の、金と物欲にまつわる悲喜劇を描く傑作。読みやすい現代語訳、原文と詳細な脚注、版本に収められた挿絵とその解説、各編ごとの解説、総解説で構成する決定版!
 
 
万葉代匠記.1690
  万葉代匠記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『万葉代匠記』(まんようだいしょうき)は、江戸時代の国学者・契沖が著した『万葉集』の注釈・研究書。「代匠」という語は、『老子』下篇と『文選』第46巻豪士賦の中に出典があり、「本来これを為すべき者に代わって作るのであるから誤りがあるだろう」という意味である。当時、水戸徳川家では、主君の光圀の志により、『万葉集』の諸本を集め校訂する事業を行っており、この『代匠記』は、鎌倉時代の仙覺や元禄期の北村季吟に続いて、画期的な事業と評価されている。
 
 
  契沖、『万葉代匠記』を著す   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『万葉代匠記』  契沖 注釈書 国学の祖 : 江戸時代前期、真言宗の僧であった契沖は師の下河辺長流に代わって、徳川光圀から依頼のあった『万葉代匠記』を著し、国学の祖となった。万葉集の注釈書であるこの書は精密な考証がなされたことで有名である。その復古思想や学問態度は国学発展の基礎となった。
 
 
  契沖全集 万葉代匠記 [古書]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  契沖全集〈第1巻〉万葉代匠記 (1973年) [古書]  契沖 (著), 久松 潜一 (著)
 
 
世間胸算用.1692
  世間胸算用  江戸時代   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『世間胸算用』は、西鶴浮世草子の町人物(ちょうにんもの)の一つです(井原西鶴の項参照)。各4章、全20編の短編から成っており、元禄5年(1692)に刊行されました。西鶴の作か否か明確でないものを除けば、これが、西鶴生前に出された作品のうちの最後にあたるものです。
 
 
  大晦日を笑う『世間胸算用』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『世間胸算用』は西鶴の到達点、最晩年の傑作だという評価は、現在広く認められている。が、これまでの評価は、作中の一部の短篇に焦点をあて、大晦日を生きる「中下層町人たちの悲喜劇」という側面を強調することによって生まれて来たものであった。
 
 
  世間胸算用 (せけんむねざんよう)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『世間胸算用』は、副題に「大晦日は一日千金」とあるように、大晦日の一日に焦点をあて、金銭に翻弄される町人生活の悲喜劇を描いている。当時、大晦日は一年の総決算日で、様々な掛け売りのつけを払ったり、また売り掛け金を回収しなければならない。そのような大変な一日に集約される人とカネとのかかわり方を、ハナシの技法を駆使して描いた西鶴最高傑作の一つ。
 
 
  世間胸算用 - 上の宮(本殿)/下の宮   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴の傑作「世間胸算用」。副題に「大晦日(おおつごもり)は一日千金」とあるように、一年の総決算日である大みそかに時を定めて悲喜こもごもの町人の姿を描き出す。 その一つ「銀一匁の講中」は金持ちの商人仲間の資金貸し付けをめぐる話。…
 
 
  世間胸算用 ―町人の大晦日の様子を描く浮世草子― 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。五巻五冊。井原西鶴作。元禄五年(1692)刊。 二十の短編から成る。副題「大晦日(おおつごもり)は一日千金」。すべての話を大晦日の一日に設定、町人にとって金銭上の総決算日であったその日に起こるさまざまな悲喜劇を描く。
 
 
  世間胸算用 [中古品]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄の文化・経済、遊里と芝居などを興味深く織り込みながら大晦日という限定された一日のなかに庶民の生活を色鮮かに描写。
 
 
  世間胸算用 ―付 現代語訳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴浮世草子中の傑作の一つで、「元日より胸算用油断なく、一日千金の大晦日をしるべし」と序文にみられるように、元禄町人のやりくり算段を、達意の話術的構成をもって描いた作品。軽妙洒脱な結末など、談理・教訓的な『日本永代蔵』とは異なった味わいがある。精緻な注釈で知られる著者が豊富な所引をもってその内奥に迫る。
 
 
  『世間胸算用』 井原西鶴 小学館日本古典文学全集68   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴の浮世草子『世間胸算用』は、「大晦日は一日千金」の傍題を付けているように、貧しい町人たちの大晦日の借金取りから逃れるためのやりくり三段を描いた作品である。
 
 
  日本の古典をよむ(18) 世間胸算用・万の文反古・東海道中膝栗毛   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴の傑作短編より、大晦日の庶民と借金取りとの攻防を描く『世間胸算用』と哀感迫る書簡体小説『万の文反古』、そして、十返舎一九の大ベストセラー、弥次さん北さんの珍道中『東海道中膝栗毛』を収録。
 
 
西鶴置土産.1693
  西鶴置土産とは - Weblio辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。五巻。井原西鶴作。1693年刊。西鶴の遺稿を門人北条団水が編纂・刊行したもの。遊蕩の結果零落した人々の話を通して、遊客・遊女の品位や心意気を描く。
 
 
  西鶴置土産【さいかくおきみやげ】   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  井原西鶴作の浮世草子。好色物。1693年刊。5巻15話よりなる。西鶴没後,弟子の北条団水が整理刊行。巻頭に西鶴像と辞世をのせる。好色物の変型で,好色の果て没落した町人たちが,なお品位と意気を失わない姿を冷静に描いた短編集。
 
 
  第61回・西鶴置土産(おきみやげ)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  画一化した社会は死滅する。いまの日本は坂道を転がり落ちてる感じ。21世紀へのふくらんだ夢もあっというまに萎みつつある。現在、誰もがなんとかこれまでとは違った生き方を見つけようとしているが、では、価値の多様化はいかにして可能なのか。世界には日本より貧しい国は無数にある。いまや日本の国際的信用度はイタリア並みというが…
 
 
  さいかくおきみやげ【西鶴置土産】の意味 - goo辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。5巻。井原西鶴の第1遺稿集。北条団水編。元禄6年(1693)刊。遊蕩(ゆうとう)の末に零落した人々の姿を、こっけいな中にも哀感を込めて描いた15話を集めたもの。
 
 
  西鶴置土産影印本   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  西鶴没後,その追善出版として団水が,散乱した原稿の堆積の中から拾い集めて,目録を作り,一書に編成し,西鶴置土産の書名をつけたといわれるが,これはその影印本であり西鶴を偲ぶよすがとして好適であろう。
 
 
  西鶴置土産(小学館ライブラリー)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄6年(1693)に没した井原西鶴の絶筆で、弟子により没後に出版されたもの。巻頭に「人間五十年の究 り、それさへ我にはあまりたるにましてや」の詞書とともに「浮世の月見過しにけり末二年」の辞世の句が載っている。  前書に「およそ男という男が一度はやる女郎買いをとことんまでやり抜いて、身をほろぼした連中の行く末をもれなく書き集めてみた」とあるように、デビュー作 「好色一代男」のような放蕩三昧をしたあげく、いまやどん底の生活に落ちた元大尽…
 
 
  西鶴置土産―現代語訳・西鶴 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  時は元禄、バブルの世。意地がからんだ恋のたてひき。好いた女に費やす家産。店を傾けようと妻子に見限られようとも悔いぬ人生。せつない心をおもしろく読ませる現代語版西鶴作品。ポスト・バブルの時代にうってつけ。
 
 
  決定版 対訳西鶴全集(15) 西鶴置土産・萬の文反古   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  遊蕩のあげく零落した大尽たちの末路を淡々とした筆致で描いた置土<産>、書間体小説の最高傑作の一つと評される文反古、才覚文学の総決算敵内容備えている。
 
 
  武道伝来記;西鶴置土産;万の文反古;西鶴名残の友 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  町人の立場から見る武家の世界(『武道伝来記』)。好色の果ての明暗(『置土産』)。十七通の手紙に世の人心を読む(『万の文反古』)。俳諧師の逸話と各地の奇譚を小咄風に綴る(『名残の友』)。井原西鶴後期作品集。
 
 
  武道伝来記 西鶴置土産 万の文反古 西鶴名残の友 〈全集・叢書〉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  随所に笑いを仕掛けつつ,浮世を生きる人間を描く西鶴の後期作品集.町人の立場から見る武士の世界「伝来記」,好色の果ての明暗「置土産」,17通の手紙に世の人心を読む「文反古」,俳人の逸話と各地の奇譚を綴る「名残の友」.
 
 
すみだはら.1694
  すみだはら.1694   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05俳句」/すみだはら.1694
 
 
農業全書.1697
  農業全書 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  農業全書(のうぎょうぜんしょ)は、元禄10年(1697年)刊行された農書。出版されたものとしては日本最古の農書である。全11巻あり、1巻から10巻は、元福岡藩士の宮崎安貞著。11巻は貝原益軒の兄貝原楽軒著で付録である。明治に至るまで何度も刊行され、多くの読者を得た。水戸の徳川光圀も、「これ人の世に一日もこれ無かるべからざるの書なり」と、絶賛し、八代将軍徳川吉宗も座右の書に加えたほどであった。日本の農業に与えた影響は計り知れない。
 
 
  農業全書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代の栽培法は種々の記録に残されている。 その中で最も詳細に記されているのが、宮崎安貞の『農業全書』で、備後地方の藺作法が全国の中で最も進んだものとして紹介されている。以下その要点を表に示す。
 
 
  農業全書 (ノウギョウゼンショ) 〜野田市立図書館〜    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  刊写:刊本 冊数:11冊 サイズ:22.2×15.2cm
 
 
  農業全書  宮崎安貞 編録, 貝原楽軒 刪補, 土屋喬雄 校訂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  天和から元禄にかけて農書というものがいくつか現われはじめたが,中でも宮崎安貞(1623‐1697)の本書は地方的性格を脱した本格的農書として群を抜く.諸国での見聞を実地にこころみること40年,中国の農政全書を手本に農民の技術向上をねがってまとめあげられた.自給生産から商品生産へと転換する時代の要請にも合致し,ひろく世に迎えられた.
 
 
  農文協図書館  江戸農書 『農業全書』  宮崎安貞・貝原楽軒著   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (11巻、和綴じ、巻之一から巻之十は宮崎安貞、巻之十一は貝原楽軒著で国政、藩政と農業のあり方を説く)  1697(元禄10)年刊。質・量ともに近世農書の白眉。以降、明治に至る200年間に木版で版元をかえ、たびたび刊行され、日本の農業に大きな影響を与えた。
 
 
傾城色三味線.1701
  けいせいいろじゃみせん 【傾城色三味線】  goo辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。江島其磧作。1701年、八文字屋刊。京・江戸・大坂・鄙(ひな)・湊(みなと)の五巻から成り、各巻巻頭に島原・吉原・新町などの遊女の名寄せを掲げ、遊興の種々相を描く。
 
 
  けいせいいろじゃみせん【傾城色三味線】 - Yahoo!辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。江島其磧作。1701 年、八文字屋刊。京・江戸・大坂・鄙(ひな)・湊(みなと)の五巻から成り、各巻巻頭に島原・吉原・新町などの遊女の名寄せを掲げ、遊興の種々相を描く。
 
 
  けいせいいろじゃみせん【傾城色三味線】 デジタル大辞泉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世草子。5巻。江島其磧(えじまきせき)作。元禄14年(1701)八文字屋刊。遊里と遊女を描いた24話を収める。
 
 
  井原西鶴   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  いはら さいかく1642-1693 : 大辞林によると、江戸前期の浮世草子・浄瑠璃作者・俳人。 大阪の人。談林俳諧で、自由奔放な句を詠み、オランダ西鶴といわれ、また、一昼夜独吟、二万三千句を詠み、矢数俳諧に終止符を打った。西山宗因没後、もっぱら浮世草子作家として雅俗折衷の文体で性欲・物欲・義理・人情などをテーマに好色物・武家物・町人物などに多くの傑作を残した。 著「西鶴大矢数」「好色一代男」「好色五人女」「武家義理物語」「日本永代蔵」「世間胸算用」「本朝二十不孝」「西鶴置土産」など。
 
 
赤穂浪士物語.1701
  忠臣蔵 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歌舞伎・人形浄瑠璃(文楽)の演目『仮名手本忠臣蔵』(假名手本忠臣藏)の通称。  歌舞伎や演劇・映画の分野で、赤穂浪士の復仇事件元禄赤穂事件に題材をとった創作作品のこと。
 
 
  赤穂浪士 - 書評忠臣蔵   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  私はこの欄の第四回目に、司波幸作氏の『元禄忠臣蔵の舞台』を紹介しました。その本は、今も私たち夫婦に全国の義士関係の史跡巡りという大きな生きがいを与えてくれた1冊の本です。
 
 
  文楽 「仮名手本忠臣蔵」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「仮名手本忠臣蔵」はやっぱり歌舞伎よりも文楽にかぎる  人形浄瑠璃とは何か?: 浄瑠璃とは、役者と歌手の中間みたいな、太夫と呼ばれる演者が、だいたい三味線の伴奏で、ふしを付けて物語る芸能のこと。琵琶法師の『平家物語』の弾き語りが大本とも言います。
 
 
  元禄赤穂事件 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)は、江戸時代中期に発生した、赤穂浪士による吉良上野介義央及びその家人の殺害事件をいう。 この事件は一般に「忠臣蔵」としても知られているが、この名称は本件を題材とした人形浄瑠璃と歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称、およびそこから派生したさまざまな作品群の総称であり、本件自体を指す語ではない。
 
 
  赤穂浪士切腹   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  泉岳寺に凱旋した後、寺坂吉右衛門を除いた46名は、松平(久松)、水野、細川、毛利の4家の江戸屋敷にお預けの身となっていた。この日、幕府から切腹を伝える使者が4つの大名家に派遣され、46名の赤穂浪士はその日のうちに預けられた大名家で全員切腹となった。
 
 
  四十七士物語 赤穂浪士切腹までの道のり   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吉良上野介を打ち果たして本懐を遂げた46名の赤穂浪士達は、その身を幕府の裁定に委ねることになった。最終的には、彼らは切腹となるのであるが、そこに至るまでには多くの人々の思惑が絡んでいたのである。ここでは、討ち入り後の赤穂浪士と幕府、そして庶民の思惑を見ていく。
 
 
  なぜ赤穂浪士の討ち入りは成功したのか?   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吉良上野介は4,200石の旗本ですが、高家筆頭として官位は従四位上です。 対して浅野内匠頭は53,500石の大名ですが、官位は従五位下でした。 家の格としては当然吉良の方が上です。 現在「忠臣蔵」として知られるこの物語は、元禄時代に起こった実話である元赤穂藩士達による吉良邸への討ち入り事件「赤穂事件」を元に…
 
 
  赤穂浪士 物語と史蹟をたずねて/船戸安之   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  赤穂浪士といえば忠臣蔵のタイトルで日本で最大のノンフィクションの出来事として未だに語り継がれています。 中心人物の大石内蔵助は未だに理想の上司などの調査では上位にランキングするなど、時代を超えて武士の心意気を今の日本に伝える出来事となっています。
 
 
  赤穂四十七士物語・播州赤穂浪士の討ち入り   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  前日の夜から降り続いた雪で、江戸は朝から雪景色となっていた。雪は多くの武士・町人・商人ら江戸の者にとっては難儀なものであったが、主君の仇討ち・吉良邸討ち入りを決行しようとする播州赤穂浪士達にとっては有利な天気であった。彼らは十分に戦闘準備を行い、防寒着で事を起こすことができるが、不意を討たれた吉良方は赤穂浪士だけでなく寒さとも戦わねばならなかった。
 
 
  続いにしえ物語 - 赤穂浪士・千馬三郎兵衛 - 高槻市   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
   四十七士の一人 : 四十七士の元禄十五年(一七〇二年)十二月十四日といえば、世にも名高い「赤穂浪士吉良邸討入り」の日です。… この四十七人の浪士の中に、高槻にゆかりの千馬(せんば)三郎兵衛光忠(みつただ)の姿がありました。三郎兵衛は高槻藩永井直清家中千馬求馬之助光久(もとめのすけみつひさ)の二男でした。
 
 
  もうひとつの赤穂浪士物語・・・矢頭右衛門七   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  12月14日といえば、赤穂浪士討入の日です。 そういえば、先日、日心会名古屋支部の会議にお邪魔した際に、酔っぱらって調子に乗ったねずきちは、みなさんの前で「刃傷松の廊下」を歌って、ヒンシュクをかってしまいました。 愛知は、吉良方なんですよね(汗)  愛知のみなさん、ごめんなさい^^;
 
 
奥の細道.1702
奥の細道画巻-旅立ち 旅の日 奥の細道 芭蕉 曾良 出発日 5月16日
  ⇒松尾芭蕉.1644   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「018 【文芸押 俳句:松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶・正岡子規」 ⇒松尾芭蕉.1644
 
 
  奥の細道 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  奥の細道(おくのほそみち)とは、松尾芭蕉が元禄時代に著した紀行本。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、松尾芭蕉の著書の中でも最も有名な作品である。原文の題名は「おくのほそ道」。作品中には多数の俳句が読み込まれている。芭蕉が弟子の河合曾良を伴って、元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵を出発、全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡り元禄4年(1691年)に江戸に帰った。
 
 
  おくのほそ道 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
   ウィキポータル 文学
 
 
  奥の細道本文   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  芭蕉奧の細道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 萩原恭男校注 岩波書店(1982年12月20日 第6刷)より。
 
 
  奥の細道 朗読   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  松尾芭蕉『奥の細道』の朗読です。  トップ・目次 / 現代語訳 / 俳句(発句) / ダウンロード
 
 
  奥の細道をゆく   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  東北地方を旅してまわると、諸所で芭蕉の句碑や像を見かけます。ぶらり旅が何よりも好きな私が『奥の細道』に興味を持つようになったのも、そんな理由から。 このページは、芭蕉の旅の足跡を追い、めぐり歩いた記録をまとめたものです。
 
 
  奥の細道  芭蕉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  月日(つきひ)は百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。
 
 
  「奥の細道」の旅   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代の俳聖松尾芭蕉は、伊賀の武士出身といわれ、さび・しおり・細みで示される幽玄閑寂の蕉風俳諧を確立しました。その、生涯は日本各地を旅して、名所旧跡を回り、歌枕を巡り、様々な人とまじわっています。それは、「笈の小文」「更級紀行」「野ざらし紀行」などの書物に著されていますが、最も有名なのは晩年の「奥の細道」の旅です。
 
 
  奥の細 道歩き旅   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  いつの頃からか、芭蕉の歩いたあとをたどって奥の細道を歩きとおしてみたいなという気持ちが強くなりました。私もこれまで4年かけて、東海道、中山道、甲州街道と歩いてきて、ようやく年来の夢を実現する機が熟してきたかなという気がしています。 松尾芭蕉は、江戸から奥州平泉を経て山形、新潟、金沢をとおって大垣まで全長約2400Kmを143日くらいかけて歩き、名著「おくのほそ道」を残しました。
 
 
  おくのほそ道・序文   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡  特集「芭蕉と深川界隈」  [文学館目録]
 
 
  奥の細道画巻-旅立ち   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  松尾芭蕉・おくのほそ道文学館   「奥の細道画巻」挿絵展示室
 
 
  奥の細道 芭蕉の足跡   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」
 
 
  松尾芭蕉の足跡をたどる旅   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  深川から大垣までの約6000里(約2400km)、芭蕉と曾良の壮大な旅の足跡を全16回・約1年半かけてたどります。
 
 
  『奥の細道』 −道祖神の旅−   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  奥(おく)の細道(ほそみち)』は言(い)わずと知(し)れた芭蕉(ばしょう)の代表作(だいひょうさく)で、元禄(げんろく)2(1689)年(ねん)の春(はる)から秋(あき)にかけて、江戸(えど)から奥州街道(おうしゅうかいどう)を北上(ほくじょう)し、松島(まつしま)、象潟(きさかた)などの歌枕(うたまくら)を廻(めぐり)り、帰(かえ)りは北陸道(ほくりくどう)を通(とお)り、大垣(おおがき)を経(へ)て、最後(さいご)は伊勢(いせ)で終(おわ)る紀行文(きこうぶん)だ。
 
 
  松尾芭蕉の旅 おくのほそ道   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「おくのほそ道」のテキストについて 「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。 「おくのほそ道」のテキスト制作について  これまでに、「出羽三山の章段」までのテキストが制作されています。すべての章段のテキストが揃う年月は、現在のところ未定です。
 
 
  奥の細道むすびの地 芭蕉と大垣 - 大垣市   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  奥の細道むすびの地〜大垣〜/船町港跡のたたずまい/芭蕉ゆかりの句碑
 
 
  奥の細道序文 元禄2年3月27日〜9月6日(46歳)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ*馬の口とらえて老をむかふる物*は、日々旅にして、旅を栖とす。古人*も多く旅に死せるあり。
 
 
  旅の日 奥の細道 芭蕉 曾良 出発日 5月16日   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 5月16日は松尾芭蕉が1689年弟子曾良を伴って全行程2400キロ、150日間の「奥の細道」の出発日の新暦記念日だそうです。
 
 
  奥の細道 の画像 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  奥の細道 の画像 - Google
 
 
  奥の細道 の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  奥の細道 の動画 - Google
 
 
  おくの細道Amazon公式サイト   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  おくの細道Amazon公式サイト
 
 
  えんぴつで奥の細道 [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄二年(一六八九)の早春に出立、日光、平泉を巡って日本海に出、金沢を経て大垣にいたるまでの一六〇日の大行脚。芭蕉がもっとも強く心血を注いだ散文『奥の細道』を深く味わう、まったく新しいテキストブック。
 
 
曾根崎心中.1704
  曽根崎心中 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう)は近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として有名な物語。元禄16年4月7日(1703年5月22日)大阪堂島新地天満屋の女郎・はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛(25歳)が梅田・曽根崎の露天神の森で情死した事件に基づいている。初演は、道頓堀にある竹本座での公演。その後、「心中もの」ブームが起こり、近松の代表作の1つである『心中天網島』も享保5年(1720年)に発表されている。
 
 
  「曽根崎心中」大当たり   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  元禄16年(1703)4月7日、大阪の曽根崎・露(つゆ)天神の森で心中事件が起こります。 添い遂げられぬと知った堂島新地の遊女・お初と醤油屋の手代・徳兵衛が死んだのです。=左の写真は、曽根崎にある露天神社。通称・お初天神。 この心中事件は、すぐさま歌舞伎の世話狂言に仕立てられて、京都で舞台にかけられました。心中や殺人事件を、現代のニュースのように歌舞伎が取り上げるのは、当時の一つの流行でした。
 
 
  原作「曽根崎心中」について   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「曽根崎心中」は曽根崎で実際に起こった心中事件をもとに作られた近松門左衛門の代表作。1703年、大阪の竹本座で初演され大ヒット。歌舞伎の世話狂言の形式を借りて作られた最初の世話浄瑠璃である。
 
 
  あらすじ - 曽根崎心中(1978)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大阪内本町の醤油屋・平野屋久右衛門の手代・徳兵衛は、堂島新地天満屋の遊女・お初と深くいいかわしていたが、天満屋の亭主の吉兵衛とお内儀は、徳兵衛は律儀者だが、銭にならぬので深入りしないよう、事あるごとにお初に文句を言っていた。
 
 
  曽根崎心中・観音廻りの意味   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  吉之助は近松の心中ものを「ロマンチックなもの」として見ることができません。こう思うようになったきっかけは、「心中天網島」の心中場面で治兵衛が首をくくる箇所で「生瓢(なりひさご)、風に揺らるるごとくにて」という文句を読んだ時でした。
 
 
  曽根崎心中  画像検索 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曽根崎心中  画像検索 - Google
 
 
  曽根崎心中  動画検索 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  曽根崎心中  動画検索 - Google
 
 
  曽根崎心中  学習百科事典  キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)*の浄瑠璃(じょうるり)脚本(きゃくほん)。1703年初演(しょえん)。大阪(おおさか)の平野(ひらの)屋の手代徳兵衛(とくべえ)と遊女お初(はつ)が曽根崎天神(そねざきてんじん)の森で心中した事件(じけん)を脚色(きゃくしょく)したもの。近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は,この作品によって,庶民(しょみん)を主人公とした「世話物(せわもの)」といわれる新しい浄瑠璃(じょうるり)の様式を完成(かんせい)した。 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は,この作品によって,庶民(しょみん)を主人公とした「世話物(せわもの)」といわれる新しい浄瑠璃(じょうるり)の様式を完成(かんせい)した。
 
 
  曽根崎心中 DVD   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大阪に店を構える醤油屋・平野屋久右衛門の手代・徳兵衛。彼は堂島新地の遊女であるお初と夫婦になる約束をしていた。しかし主人からの預かり物である銀二貫目を悪い男に騙し取られてしまう。もはやこれまでと覚悟した徳兵衛は、お初と心中を決意し、二人は曽根崎の森へと入っていった…。
 
 
  曽根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (文庫)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大坂は曽根崎の森で実際にあった心中事件に材を取った「曽根崎心中」、数々の名文句でも知られる梅川・忠兵衛の「冥途の飛脚」のほか、「卯月紅葉」「堀川波鼓」「心中重井筒」「丹波与作待夜の小室節」「心中万年草」と近松世話浄瑠璃中の傑作7篇を収めた。いずれも舞台の動きが充分に理解できるよう脚注等に工夫がこらされている。
 
 
本朝文選.1706
  本朝文選   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  《本朝文選巻之二》賦類 : 近江。もと淡海なりしを。大宮にちかき江とて。近江につくり。遠き江を。遠江と号すとかや。仁皇十二代。景行の御宇。滋賀の都に。遷都あつて。高穴穂宮に行幸す。三十九代。天智帝。大津の宮にうつり。廃帝の御宇。保良の都をたつ。近州はじめは十三郡。保疆潤沢。種千倍を得。春気早く到。日本四番。大上々国と称ず。
 
 
  風俗文選 【ふうぞくもんぜん】  百科事典マイペディア   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸中期の俳文集。森川許六(きょりく)編。10巻。1706年刊。このときの題名は《本朝文選》。芭蕉の〈柴門(さいもん)の辞〉〈幻住庵記〉などをはじめ,其角,嵐雪,丈草,去来,許六ら蕉門俳人の俳文を集め,作者列伝をそえたもの。
 
 
  ほんちょうもんずい ほんてう― 【本朝文粋】  goo辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  漢詩文集。一四巻。藤原明衡(あきひら)撰。一一世紀半ばの成立。嵯峨天皇から後一条天皇までの約200年間の漢詩文四二七編を、「文選」の体裁にならって集録。作者は、大江匡衡(まさひら)・大江朝綱・菅原道真・紀長谷雄・源順(したごう)など。
 
 
  ほんちょうもんぜん 【本朝文選】→ふうぞくもんぜん 【風俗文選】 - Yahoo!辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  俳文集。一〇巻五冊。森川許六(きよろく)編。1706 年刊。芭蕉および蕉門俳人二八人の俳文約一二〇編を、「古文真宝後集」に倣って辞・賦(ふ)・紀行などの二一類に分けて収める。蕉門初の俳文集。初めの書名「本朝文選」をのち「風俗文選」と改めた。
 
 
  風俗文選 <書籍> 森川許六 伊藤松宇   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸中期の俳人許六が,芭蕉の遺志をついで編んだ最初の俳文選集.許六,芭蕉,支考,李由,〓村,去来ら28人の俳文約120篇を収録.最初,去来の三回忌,芭蕉の十三回忌の記念出版として,蕭院の「文選」にならって「本朝文選」の書名で刊行されたが,翌年「風俗文選」と改題して広く流布し,後世に影響を与えた.宝永3(1706)年刊.
 
 
笈の小文.1709
  笈の小文 芭蕉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  笈之小文序 : 風羅坊芭蕉桃青と聞えしは、今此道の達人なり。其門葉日々に茂り月/\に盛なり。門葉推て翁と耳(のみ)いへば、皆芭蕉翁なることを知れり。是江戸深川の庵室に閑居せしむる時、手づから芭蕉を植置レたりし故成べし。…
 
 
  芭蕉 「笈の小文」の旅   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1687年(貞亨四年)10月、芭蕉は 旅人と我名よばれん初しぐれ の句を残し江戸を発つ。故郷伊賀への旅だ。以下、紀行文「笈の小文」によれば、11月には名古屋に着き、ここで足を戻し、三河国に、若い門人・杜国を訪ねた。三河に一週間ほど滞在して詠んだ句が、 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき 杜国への思い入れの深さがわかる。
 
 
  芭蕉の足跡 笈の小文   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  芭蕉足跡 行程の詳細 / 「笈の小文」(1687〜1688) ※下記年表の青の部分は三重における芭蕉の足跡です。
 
 
  芭蕉関連俳書 『笈の小文』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  貞亨4年(1687年)10月25日亡父三十三回忌の法要に参列するために江戸深川を出発し、貞亨5年(1688年)8月末に江戸に戻るまでの旅で詠まれた句を集めたもの。
 
 
  笈の小文 俳句のくに・三重   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  初瀬(奈良県榛原町) 春の夜や籠り人ゆかし堂の隅  (はるのよやこもりどゆかしどうのすみ) 初瀬観音は恋の願いを聞いてくれる菩薩として古来有名。この籠り人の想いは恋についてであろう。堂の隅で祈っているのがゆかしく感じられる。
 
 
  『笈の小文』−風来の旅− 目次   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『笈(おい)の小文(こぶみ)』は貞享(じょうきょう)4(1687)年(ねん)の冬(ふゆ)から翌(よく)5(1688)年(ねん)の秋(あき)にかけての芭蕉(ばしょう)の旅(たび)をつづったもので、春(はる)の伊勢(いせ)、花(はな)の吉野(よしの)を見(み)たあと、須磨明石(すまあかし)にも足(あし)を伸(の)ばし、紀行文(きこうぶん)はこの帰(かえ)り道(みち)で終(おわ)っている。   『笈の小文』─風来の旅─/『笈の小文』─風来の旅─2〜7
 
 
  芭蕉と伊勢・山田、「笈の小文」 立川春秋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  芭蕉講座「笈の小文」シリーズです。 伊勢神宮の近く、菩提山神宮寺での句を勉強します。神宮寺は行基が開基で、良仁が中興。芭蕉が訪れた当時、すでに荒廃していた。聖武天皇の勅願寺で、往時は非常に壮大なものであったという。伊勢市の西行谷の近くに位置し、伽藍は弘長年間(1261漢4)に焼失、のち、宝暦10年(1760)再建。  此山のかなしさ告よ野老堀  芭蕉 (このやまの かなしさつげよ ところほり)
 
 
  おいのこぶみ おひ― 【笈の小文】 goo辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  俳諧紀行。松尾芭蕉著、門人河合乙州(おとくに)編。芭蕉の没後、1709年刊。1687年江戸から尾張の鳴海を経て弟子の杜国を訪ね、伊賀・伊勢・吉野・奈良・大坂・須磨・明石をめぐった旅の紀行。「野ざらし紀行」から「おくのほそ道」に至る中間的な性格を示す。
 
 
  「笈の小文 (おいのこぶみ)」 1687年 芭蕉44歳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  百骸九竅(ひゃくがいきゅうけい)の中に物有り、かりに名付けて風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終(つい)に生涯のはかりごととなす。
 
 
  笈の小文 (貞亨4年10月25日〜貞亨5年4月23日) 芭蕉44、5歳)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『笈の小文』は、貞亨4年10月、伊賀への4度目の帰郷に際して創作された作品を集めて一巻としたものであるが、『奥の細道』のように芭蕉自身が書いた旅行記ではない。これは、その後芭蕉自身が書いた真蹟短冊や書簡などをもとに、芭蕉死後大津の門人川井乙州によって編集されて成ったものである。
 
 
  笈の小文・更科紀行・嵯峨日記 現代語訳付   〔松尾芭蕉/著〕 上野洋三/編   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『奥の細道』への階梯&#8212;やがて執筆される『奥の細道』への準備が、どのように行われたか。三作品の巧みな現代語訳と明解な注釈が、深く更なる理解・鑑賞へと導く。大活字本で学ぶ古典の名作。
 
 
冥土の飛脚.1711
  冥途の飛脚 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『冥途の飛脚』(めいどの ひきゃく)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃・世話物の演目。通称:「梅川忠兵衛」(うめかわ ちゅうべえ)。正徳元年三月(1711年4月)に大坂 竹本座で初演された。『恋飛脚大和往来』(こいびきゃく やまと おうらい)はこれを歌舞伎化したもので、和事の代表作のひとつとして知られる。特に二段目・通称「封印切」(ふういんきり)と三段目・通称「新口村」(にのくちむら)は現在でも単独で上演されることが多い人気の場面となっている。
 
 
  冥土の飛脚   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  衢州(くしゅう、注:現浙江省)に鄭某という人がいた。幼い頃から聡明で文章に長じていた。 会稽の陸氏の娘を娶ったのだが、新婦は美貌な上に明敏で、若夫婦は非常に仲睦まじかった。鄭はかつて寝物語に陸氏にこのようなことを語った。 「僕達二人ほど仲睦まじい夫婦なんてどこを探してもいないね、きっと。ねえ、もしも僕が君を置いて先に逝くようなことがあっても、絶対再婚なんてしないでおくれ。僕ももちろん再婚しないから」・・・
 
 
  冥土の飛脚 床本 TXT   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  淡路町の段 : みをづくし難波に咲くやこの花の、里は三筋に町の名も、佐渡と越後の合の手を通ふ千鳥の淡路町、亀屋の世継忠兵衛、今年二十の上はまだ四年以前に大和より、敷金持つて養子分・・・
 
 
  冥土の飛脚 〜大学時代の思い出〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  大阪の飛脚屋の養子亀屋忠兵衛は、忠兵衛の友人で恋敵の丹波屋八右衛門が愛する梅川を身請けすると言い出したため、御用金に手をつけてしまいます。 御用金に手をつければ死罪。 じきに事情が知れると覚悟した二人は、死ぬ前に亀屋忠兵衛の父・孫右衛門に会いたいと故郷の新口村へ。
 
 
  恋の大和路-梅川忠兵衛冥土の飛脚 / 明日坂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  恋の大和路-梅川忠兵衛冥土の飛脚 / 明日坂 中村美律子
 
 
  恋の大和路-梅川・忠兵衛「冥土の飛脚」 [Single]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  恋の大和路-梅川・忠兵衛「冥土の飛脚」 [Single]  中村美律子,北島三郎 | 形式: CD
 
 
  近松門左衛門原作「冥土の飛脚」より 梅川/坂本龍馬 おりょう [Single, Maxi]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近松門左衛門原作「冥土の飛脚」より 梅川/坂本龍馬 おりょう [Single, Maxi]  島津亜矢 形式: CD
 
 
国性爺合戦.1715
  国性爺合戦 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『国性爺合戦』(こくせんやかっせん)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。のちに歌舞伎化された。正徳5年(1715年)、大坂の竹本座で初演。江戸時代初期、中国人を父に、日本人を母に持ち、台湾を拠点に明朝の復興運動を行った鄭成功(国性爺、史実は国姓爺)を題材にとり、これを脚色。結末を含め、史実とは異なる展開となっている。和藤内(鄭成功)が異母姉の夫・甘輝との同盟を結ぶ「甘輝館」が有名。初演から17ヶ月続演の記録を打ち立てた。全5段。
 
 
  国性爺合戦   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  世阿弥や鶴屋南北と並ぶ日本演劇史上最高の劇作家であり、英国シェークスピアにも比肩される大作家近松門左衛門。元禄文化の担い手として教科書にも出てくる彼の名前を知らない日本人は少ないのではないでしょうか。
 
 
  「国性爺合戦」 日本古典文学   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「国性爺合戦」(近松門左衛門/信多純一:校注/新潮社) →近松門左衛門の人形浄瑠璃のなかでもっとも人気のあった作品だという。 「国性爺合戦(こくせんやがっせん)」は計17ヶ月にもわたるロングラン上演となった。 能の場合、寺社の経済的支援が上演の後ろ盾になっていた。
 
 
  国性爺合戦(こくせんやかっせん)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  絵師:国周/上演:明治30年(1897)3月 東京座/役者:和藤内 <9代>市川団十郎
 
 
  国性爺合戦 - 気楽に見たっていいじゃない   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  <大明御殿の場> 明の皇后が子供を宿したといってお祝いをしているところに、韃靼王の使いがやってきて、戦争を避けたければ皇后(美人で有名)をよこせと言ってくる。 当然そんな訳にはいかないが、右将軍・李蹈天が過去に韃靼の援助を受けたことがあり「一度は韃靼の願いを叶える」と約束したという。
 
 
  国姓爺合戦 鄭成功の南京攻撃(1658〜59)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  李自成の乱によって北京を占領した清軍はさらに南進を続け、1645年5月に明の副都・南京が陥落し、翌年5月には逃亡していた副王・朱由鵝福〜1646)も捕らえられた。しかし、清への服従の証として辮髪を強制する「薙髪令」が施行されると、漢人たちは激しく反発し、魯王・朱以海(1618〜62)や唐王・朱聿鍵(1602〜46)、桂王・朱由榔(1625〜62)などの明の皇族を擁立して抵抗運動を展開する。
 
 
  坂田藤十郎「国性爺合戦」につらい思い出!?   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国立劇場(東京都千代田区)の11月歌舞伎公演「国性爺合戦」の製作発表が16日、都内で行われ坂田藤十郎(78)、市川団十郎(64)、中村梅玉(64)が参加した。
 
 
  国性爺合戦 (こくせんやかっせん) 〜作品解説〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  上 演=正徳5年(1715)11月15日。大阪竹本座初演。時代物五段。座本竹田出雲。太夫竹本政太夫・竹本頼母。作者近松門左衛門・63歳。 竹本座の竹本筑後掾(義太夫)が前年の正徳4年9月に死亡して、その遺言で24歳の若い弟子・竹本政太夫(後の二世義太夫)が後継者に指名されると、多くの先輩を差し置いての抜擢に反発が出て、内輪もめが起こる。…
 
 
  国性爺合戦 【こくせんやかっせん】 - 歌舞伎事典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1715年(正徳【しょうとく】5年)大坂竹本座【おおさかたけもとざ】で人形浄瑠璃【にんぎょうじょうるり】の作品として初演されました。近松門左衛門【ちかまつもんざえもん】作の時代物【じだいもの】です。大変な評判となり17ヶ月連続で上演されました。翌年に京都で歌舞伎に移され、その後江戸でもすぐに上演されました。
 
 
  『国性爺合戦』 近松門左衛門 ほるぷ出版日本の古典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国性爺とは、17世紀中頃、清に抗して明朝再興を志した武将鄭成功のことである。明への愛国心の強さゆえ帝から明王朝の姓を名乗ることを許されたため、国姓爺と称された。(近松は、この「姓」の字を「性」としているが、その当時の慣行によるものだろう) 
 
 
  長崎県平戸に見る「国性爺合戦」と鄭成功とキリシタンの交錯   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  換骨奪胎の名人 近松の名作「国姓爺合戦」の創作における虚実の皮膜(史実と創作)
 
 
  こくせんやかっせん【国性爺合戦】 学習百科事典 学研キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  松門左衛門(ちかまつもんざえもん)*作の浄瑠璃(じょうるり)(義太夫節(ぎだゆうぶし))脚本(きゃくほん),またこれにもとづいた歌舞伎(かぶき)脚本(きゃくほん)。1715年に大阪(おおさか)の竹本座(たけもとざ)で初演(しょえん)。翌々年(よくよくねん)まで17か月の長期公演(こうえん)を記録(きろく)した。◇明(みん)(中国)の遺臣鄭成功(いしんていせいこう)が日本に援軍(えんぐん)をもとめて明(みん)国の勢力回復(せいりょくかいふく)につとめた史実(しじつ)をもとに脚色(きゃくしょく)したもの。「国姓爺合戦」とも書く。日本人を母にもつ和藤内(わとうない)(のち国姓爺(こくせんや))の活躍をえがく。
 
 
  【美の扉】「国性爺合戦」、日中で繰り広げられるドラマ - msn産経ニュース   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本におけるロングラン公演の元祖が、近松門左衛門(1653〜1724年)の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」だ。1715年に人形芝居として大坂(今の大阪)で初演されるや、17カ月続演を記録。歌舞伎も人気に便乗し、翌年は京都と大坂、その翌年には江戸の3劇場で上演されたというのだからすさまじい。
 
 
独ごと.1718
   ひとりごと 【独ごと】 - Yahoo!辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸中期の俳論書。2冊。上島鬼貫(おにつら)著。享保3年(1718)刊。上下119段からなり、「まこと」を中心とする文学理念や身辺雑記を述べたもの。
 
 
  鬼貫(おにつら)  Yahoo! 百科事典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  …鬼貫の俳号は、和歌の貫之(つらゆき)に対する、俳諧(はいかい)の貫之をもって任じたもの。… 鬼貫の才能を最初に高く評価したのも宗因である。1685年(貞享2)25歳で「まことの外(ほか)に俳諧なし」と開悟したという。その「まこと」の論が詳説されているのが、俳論書『独(ひとり)ごと』(1718刊)である。「まこと」の俳諧の作品としての完成は、90年(元禄3)鬼貫30歳のおりの『大悟物狂(たいごものぐるい)』である。
 
 
  ひとりごと 【独ごと】 デジタル大辞泉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸中期の俳論書。2冊。上島鬼貫(おにつら)著。享保3年(1718)刊。上下119段からなり、「まこと」を中心とする文学理念や身辺雑記を述べたもの。
 
 
心中天の網島.1720
  心中天網島 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『心中天網島』(しんじゅう てんの あみしま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。大坂竹本座で初演。全三段の世話物。同年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を脚色。愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られる。後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)が主に上演される。
 
 
  心中天網島 - goo 映画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近松門左衛門の同名原作を「あかね雲」の篠田正浩と詩人の富岡多恵子と武満徹が共同で脚色し、篠田が監督した文芸もの、撮影は、「雪夫人繪圖(1969)」の成島東一郎が担当した。
 
 
  其の二『心中天の網島』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  あらすじ : 天満で紙屋を営む治兵衛は、曽根崎新地の遊女・小春といい仲になり、店の身代を揺るがすまでに入れ込んでしまう。しかし、身請けをする甲斐性もない治兵衛は、なりゆきで小春と心中の約束を交わす。
 
 
  主要作品紹介 【心中天の網島】   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本作には、多くの改作物があります。中でも、暗影7年(1778年)、近松半二(ちかまつはんじ)らの合作『心中神や治兵衛』(しんじゅうかみやじへい)が有名です。
 
 
  「心中天の網島」 日本古典文学   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「心中天の網島」」(近松門左衛門/信多純一:校注/新潮社) 古典に親しむことで得られる功徳のひとつは、ジャンルの本質に思い当たることである。 では、近松門左衛門の人形浄瑠璃からなにがわかるのか。物語と演劇のありようだ。 浄瑠璃という名の人形芝居は、世界でもめずらしい部類の芸能なのではあるまいか。 演劇かと問われたら役者が登場するわけではないから完全には肯定できない。
 
 
  心中天網島 1969年 表現社=ATG    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  紙屋治兵衛(中村)は、女房子供のある身で遊女・小春(岩下)と深い仲になり、女同士の義理や商人としての意地、あるいは親の横やりもからんで、ついには女房を捨て、小春と情死行に至る。
 
 
  近松・心中天の網島 - 歌舞伎勉強会   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歌舞伎ファンになって、いろいろ勉強しているうちに、東京遠征もいいけど「なぁ〜んだ、身近に面白いものがあったのね」と見つけたのが近松門左衛門。2002年正月の松竹座は「河庄」だそうなので「心中天の網島」を中心に勉強してみます。場所柄(大阪在住なので)資料も探しやすいですし、素人にも分かりやすく解説した本がたくさん出版されています。
 
 
  古典を読む 心中天の網島 <全集・叢書>   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  妻子ある分別ざかりの男が曾根崎新地の遊女と大坂の網島大長寺で情死した−世間の記憶から瞬時に消える事件を,浄瑠璃に仕立て,古典にまで高めたドラマライター近松の天才的作劇術を1行ずつ原文を読みこみつつ解明する.
 
 
  「たがふみも見ぬ恋の道」 〜「心中天網島」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  1)近松の因果論:「心中天網島」の有名な「名残の橋づくし」に『悪所狂いの。身の果ては。かくなり行くと。定まりし。釈迦の教へもあることか、見たし憂き身の因果経。』という文章が出てきます。悪所通いをした結果・このように心中しなければならない破目になってしまった・これも何かの因果であろうか・因果経でお釈迦様の教えを確かめてみたいものだというような意味であります。
 
 
  「心中天網島」をかぶき的心情で読む・その2   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歌舞伎でも文楽でも近松物は人気ですが、じつは近松が頻繁に上演されるようになったのは近年になってからのことです。「かぶき的心情」から発する強烈な自己主張は個人的心情に根ざしているものだけに、他人にはなかなか共有されにくいものだろうと思います。
 
 
  心中天之網島 紙屋治兵衛 - 風雲 いざなみ日記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  紙屋の治兵衛も、女房と二人の子がありながら、ここ三年ほどは曽根崎新地へ足繁く通うようになり、紀伊国屋の遊女の小春とすっかり馴染みの間柄になっていました。 客と遊女とはいえ、三年もの月日を重ね、情を交わせば、なかなか切れない仲となるものです。 このままでは治兵衛も小春も身を滅ぼしてしまうと、遊郭の主人までが気を揉んで、あれこれと理由をつけては二人の仲を裂こうとしました。
 
 
  心中天の網島 (しんじゅうてんのあみじま) 〜作品解説〜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  作品の成立事情 : 上 演=亨保5年(1720)12月6日。大阪竹本座。世話物一段三巻。座本・竹田出雲。太夫・竹本政太夫。作者近松門左衛門・68歳。 近松が死去する4年前の最も円熟した時の作で、遊女との心中事件を描いた最後の作品である。 亨保5年10月14日夜、大阪・網島の大長寺で男女が心中、これを題材にして脚色したというが、実説は明らかでない。
 
 
  心中天の網島 (シンジュウテンノアミジマ) - 野田市立図書館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  刊写:写本 冊数:1冊 サイズ:23.3×16.3cm  備考:「茂木勇右ェ門」の墨印
 
 
  心中天の網島 の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  心中天の網島 の動画 - Google
 
 
  心中天網島 [DVD]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  近松門左衛門の同名浄瑠璃を篠田正浩監督が斬新な演出で映像化した悲恋物語。紙屋治兵衛は妻子ある身で遊女・小春と深い仲になり心中を考える。だが、治兵衛の兄が小春に本心を問い正し、彼女にその気はないと知った治兵衛は絶望し彼女に斬り掛かる。
 
 
  近松門左衛門原作「心中天の網島」より 小春 [Single, Maxi]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  2006年1月リリースのシングル。好評の“名作歌謡劇場シリーズ”第13弾となる本作は、近松門左衛門の円熟期の傑作恋物語がモチーフ。遊女“小春”の儚くも切ない恋心を、情感あふれる台詞を交えて歌い上げる。
 
 
女殺油地獄.1721
女殺油地獄 女殺油地獄
  女殺油地獄 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『女殺油地獄』(おんなごろしあぶらのじごく)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。世話物。三段。主人公・与兵衛の、母お沢と番頭あがりの養父徳兵衛に対する義理人情のもつれが鮮烈である。近松の作品のなかでは異彩を放つあるいは、異色であると評価される。享保6年(1721年)に人形浄瑠璃で初演。人気の近松作品と言うことで歌舞伎でも上演されたが、当時の評判は芳しくなく、明治になってから坪内逍遙の「近松研究会」で取り上げられ再演、大絶賛された。
 
 
  映画『女殺油地獄』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  歌舞伎や文楽、舞台などでこれまで何度も上演されてきた近松門左衛門の世話浄瑠璃を映画化。俳優や作家、舞台演出など多彩に活躍する坂上忍監督が古典的傑作を大胆に解釈し、人間の心の奥底に潜む情念を丹念に描き出す。
 
 
  女殺油地獄 - Slip Away   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  前回、「今週2本歌舞伎を観た」と書きましたが、もう1本は歌舞伎座の六月大歌舞伎です。
 
 
  女殺油地獄 映画 - goo 映画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  その妖艶なまでの美しさで男を虜にする女郎・小菊。河内屋の跡取り息子である与兵衛も、彼女に入れあげ借金を重ねていた。しかし小菊は、お金ではなく「命がけでこい」と与兵衛をはねつけ翻弄する。
 
 
  染五郎と亀治郎、謎めく「女殺油地獄」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  市川亀治郎が7役もの華麗な早替わりを見せる昼の部「於染久松色読販」と、主人公の与兵衛に扮した市川染五郎による壮絶な“殺し場”が見どころの夜の部「女殺油地獄」。
 
 
  女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  【見どころ】:そりゃもうタイトルどおりの油の地獄、油にまみれて滑って転んで、逃げまどうお吉を与兵衛が殺害する殺し場がやはりいちばんの見どころでしょう。 ふてぶてしいかと思えば心細げだったり、涙もろいとこもあったりと複雑。
 
 
  女殺油地獄 のニュース - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  女殺油地獄 のニュース - Google
 
 
  女殺油地獄の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  女殺油地獄の動画 - Google
 
 
  女殺油地獄 [VHS]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  油商の息子・与兵衛の元乳母・お吉は小菊への嫉妬に燃える。女の魔性を描く、近松の名作を映画化!
 
 
折たく柴の記.1725
  折たく柴の記 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  折たく柴の記(おりたくしばのき)は、江戸時代中期新井白石が書いた随筆。 生家である新井家のことや、白石の政治的体験談など自伝的、政治的要素の濃い自伝的随筆である。藩翰譜作成のいきさつが記載。書名は、後鳥羽天皇の御製 思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に (新古今和歌集巻第八『哀傷歌』)に由来する。「思い出の記」というほどの意味だが、白石にとって「忘れ形見にうれしむせぶ」人は、6代将軍徳川家宣その人であった。
 
 
  2.折たく柴の記   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  地震の様子や被災状況などは、当時の人の日記や記録によって知ることができる。本書は、儒者で歴史家でもあった新井白石の自叙伝。白石自筆の清書本が新井家に伝わるが、他に多数の写本が現存し、当館でも4点を所蔵している。 湯島天神下の自宅で元禄地震に遭遇した白石は、まず家族の様子を確認した後、仕えていた日比谷門外の甲府藩上屋敷に向かった。
 
 
  折りたく柴の記(新井白石)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (原文)むかし人は、言ふべき事あればうち言ひて、その余(よ)はみだりにものいはず、いふべきことをも、いかにも言葉多からで、その義を尽くしたりけり。わが父母にてありし人々もかくぞおはしける。
 
 
  『折りたく柴の記』新井白石 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  昔の人は、ふだんは無用の口はきかず、そのかわり言いたいことを言うべきときに言った。そういう言い草から『折りたく柴の記』は始まる。 昔の人というのは白石の祖父の時代の人々のことであり、白石はその血を思い出しながら、この日本屈指の自伝を書きおこす。
 
 
  折たく柴の記―新井白石の自叙伝― - 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  自叙伝。三巻。新井白石(1657〜1725)著。享保元年(1716)執筆開始。 書名は後鳥羽天皇の御製「おもひ出づる折たく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに」(『新古今和歌集』巻第八)によっている。
 
 
  折たく柴の記 (岩波文庫) [文庫]  新井 白石  (著), 松村 明    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  2度にわたる貧しい浪人生活の後,藩主綱豊の侍講として甲府藩に出仕した白石は,次第に綱豊の信任を得,「生類憐れみの令」の将軍綱吉の後を継いで綱豊が6代将軍家宣となるや,ともに幕政の改革に乗り出してゆく.6代家宣,7代家継の2代にわたって幕府の中枢で活躍した江戸中期の儒学者・政治家新井白石(1657-1725)の自叙伝.
 
 
  折りたく柴の記 (中公クラシックス) [新書]  新井 白石  (著) 桑原 武夫 (翻訳)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  強烈な武人の精神をもち続けた傑出した文人政治家の自叙伝。  新井 白石:1657~1725。江戸中期の儒学者、詩人、政治家。江戸に生まれる。青年時代まで独学ですごしたが、1686年、木下順庵に入門。やがて順庵の推挙により、甲府藩主徳川綱豊の侍講となる。1709年、綱豊改め家宣が第六代将軍となってからは、幕府政治に深く関与することになる。
 
 
遊子方言.1770
  遊子方言 【ゆうしほうげん】 百科事典マイペディア   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代の洒落(しゃれ)本。田舎老人多田爺(ただのじじい)作。1770年以前刊。通人ぶる男が,うぶな若者を誘って吉原へ出かけ,通(つう)を示し穿(うがち)を並べようとするが,馬脚を現し,かえって若者のほうがもてるという話。
 
 
  遊子方言 / 田舎老人多田ノ爺 [撰]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  タイトル:遊子方言 / 田舎老人多田ノ爺 [撰]  著者/作者:田舎老人 多田爺
 
 
  遊子方言 (1978年) (勉誠社文庫) <古書> 田舎老人多田爺 (著)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  遊子方言 (1978年) (勉誠社文庫) <古書> 田舎老人多田爺 (著)
 
 
  洒落本 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  洒落本(しゃれぼん)とは、江戸時代中期の戯作の一種である文学。半紙四分の一大の小型の版型で「こんにゃく本」とも呼ばれた。遊所(遊廓など)での遊びについて書かれたものがほとんどで、粋(いき)を理想とし、遊女と客の駆け引きを描写したり、野暮な客を笑いのめした内容が主であり、話を楽しむためだけでなく、実用的な遊び方指南や一種のガイド本として読まれた。もとは仮名草子の遊女評判記の類や、井原西鶴らの浮世草子にある遊里の描写がルーツ。
 
 
雨月物語.1776
  雨月物語 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『雨月物語』(うげつものがたり)は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)の代表作。五巻五冊。日本・中国の古典から脱化した怪異小説九篇から成る。近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い。安永5年4月(1776年)に、京都寺町通の梅村判兵衛と大阪高麗橋筋の野村長兵衛の合同で出版された。全五巻、九篇の構成であった。挿絵は、当作品へ大いに影響を与えた都賀庭鐘『繁野話』と同じ、桂宗信が担当した。
 
 
  【雨月物語】   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ●「雨月物語」とは江戸時代、上田秋成という人物によって書かれた怪異小説集です。明和五年(1768)には完成していたと言われており、その後幾度か推敲が重ねられ、安永五年(1776)に刊行されました。その書名の由来は、序文にもある「雨霽月朦朧之夜」に由来します。
 
 
  『雨月物語』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  安永5年(1776年)に刊行された野村長兵衞、梅村判兵衞合刻「雨月物語」(作:上田秋成)五卷五冊を「電子データ化」したものです。市販の注釈書を照合した上で、独特な仮名遣いや異体字の復元など、出来る限りオリジナルの形に近づけました。
 
 
  雨月物語 : 角川映画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  戦乱の到来を契機に大商いを目論む陶器の名工源十郎と、侍として立身出世を夢見る弟の藤兵衛、そして息子と家族3人で貧しくともささやかな幸せを望む妻の宮木。 そんな三人の命運を、やがて荒廃した時代が飲み込んでいく・・・。
 
 
  雨月物語 吉備津の釜   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  山あいにひらけた吉備の里。大昔には鬼が棲んだと伝えられ、鬼退治の「桃太郎」伝説もこの地がルーツだという。ここを舞台にした「吉備津の釜」は、人間くさく、どこかやりきれない、もう一つの鬼(怨霊)の話である。
 
 
  雨月物語 - 名作解体新書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代中期は、国学が大きな進展を見せた時代です。賀茂真淵や本居宣長といった優れた国学者が出て、仏教や儒教といった大陸伝来の文化だけが学問であったそれまでの風潮を批判し、古事記や万葉集など日本の古典文化の研究が盛んに行われるようになりました。
 
 
  上田秋成『雨月物語』巻之五「青頭巾」より   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  青頭巾:昔、快庵禅師という徳の高い僧がいた。少年の頃に禅宗の要諦を会得してよりこのかた、常に諸国遍歴の修行の旅に身をゆだねていた。 ある年、美濃の龍泰寺で夏行を終えると、『この秋は奥羽のほうで過ごそう』と旅立ち、路程を重ねて下野の国に入った。
 
 
  『雨月物語』上田秋成 - 松岡正剛の千夜千冊   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ひとつ、秋成は享保期の大坂に生まれた。堂島である。侠客黒船忠右衛門が町のヒーローだった。秋成にはキタの上方気質と「浮浪子」(のらもの)の血が脈打っていた。このキタ気質が処女作『諸道聴耳世間狙』になる。 ふたつ、青年期に俳諧に溺れた。
 
 
  YouTube - 「雨月物語」予告編    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  YouTube - 「雨月物語」予告編
 
 
  雨月物語の画像 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  雨月物語の画像 - Google
 
 
  雨月物語 [DVD]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  戦国の世、貧しい陶工・源十郎が若狭姫という女性と知り合い、生活をともにするようになる。だが美しい若狭姫の正体は死霊であった。それを知った源十郎は若狭姫を捨てて故郷に逃げるが、彼女の怨念は執拗に追いすがる…。「雨月物語」をベースに、川口松太郎らが脚色。
 
 
  雨月物語 [DVD]  京マチ子.水戸光子.田中絹代.森雅之.小沢栄.青山杉作 (出演), 溝口健二 (監督)  形式: DVD   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  戦乱の到来を契機に大商いを目論む陶器の名工源十郎と、息子と家族3人で貧しくともささやかな幸せを望む妻の宮木。 そして、侍として立身出世を夢見る源十郎の弟・藤兵衛とその妻。 やがて源十郎と藤兵衛はそれぞれの妻を故郷に残して都に出るが、源十郎はそこで怪しい美女に出会う。
 
 
玉くしげ.1789
  玉くしげ(本居宣長)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  HTMLファイル(読み仮名付き)/HTMLファイル(読み仮名省略)/HTMLファイル(現代語訳。藤田徳太郎訳)
 
 
  『玉くしげ』  目次 本居宣長   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  天明7年(1787)12月、宣長は門人で紀州御勘定方役人(服部中庸か)の勧めで本書を藩主・徳川治貞に奉った。 『キ(玉偏に幾)舜問答』に「紀公ノ仰ありて、著せしには非ず、紀州御勘定方の小役人に、我門人あり、先紀公の節に申は、御国の為なる事、何にぞ著せ、取次て御覧に入べしと、誘ひしによりて書し也」とある。 その内容は、宣長が研究し明らかにした「古道」精神を政治に反映させようとするもので、書名は、本書に添えた歌に由来する。
 
 
  YouTube - 玉くしげ 本居宣長   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「玉くしげ」は国学者、本居宣長(1730−1801)が研究し 明らかにした「古道」精神を政治に反映させようとしたもので、書 名は、本書に添えた「身におはぬしづがしわざを玉くしげあけてだ に見よ中の心を」という歌に由来する。『玉くしげ』は理念篇であ り、直毘霊と共通する部分が多い。『秘本玉くしげ』は実際の政策 について述べられており、現在の日本に通じることの多い興味深い 書です。
 
 
  享保のアルファブロガー - 書評 - 玉くしげ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本書「玉くしげ」は、本居宣長の言葉を現代人にもわかるように翻訳したもの。翻訳、である。よって著者は本居宣長ご本人。
 
 
  ひほんたまくしげ 【秘本玉くしげ】 goo辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国学書。二巻。本居宣長著。1787年成立。社会の弊害を古道の精神によって是正すべきことを説く。玉くしげ別本。
 
 
  玉くしげ 【たまくしげ】 百科事典マイペディア   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本居宣長(もとおりのりなが)の政治道徳論。玉匣とも書く。1冊。《秘本玉くしげ》(2巻2冊)とともに紀伊(きい)和歌山藩主徳川治貞(はるさだ)に贈られた。《玉くしげ》では古道の大意を説き,〈秘本〉は富の不平等や年貢の苛酷さなどを批判,政治経済の具体論を述べている。
 
 
  玉くしげ 秘本玉くしげ <書籍> 本居宣長   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  紀州藩主,徳川治貞が広く藩内から治世上の意見を徴した際,本居宣長(1730‐1801)が古道に基づく政治原理を説いたもの.「玉くしげ」(天明6年成立)には古道の本旨が,「秘本玉くしげ」(天明7年成立)には政策の具体例が述べられている.封建社会の病弊にリアルに迫り,文体も努めて虚飾を去るなど,宣長がその学問と現実との接点をもっとも端的に示した著作.
 
 
  玉くしげ - 美しい国のための提言(現代語訳 本居宣長選集 第1巻) (新書)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  世は天明の大飢饉の真っ只中。金銀の運用で巨利を得る富豪の一方で、相次ぐ増税に苦しめられる庶民、拡大する貧富の格差、蔓延する賄賂、地方の破綻、求められる行財政改革。まるで平成の世を思わせるような封建社会末期に、宣長の示した処方箋とは。古道の根本を余すところなく述べた「玉くしげ別巻」、「直毘霊」も収録。
 
 
  玉くしげ 美しい国のための提言 <書籍> 本居宣長/著 〈現代語訳〉本居宣長選集 第1巻    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  国学の大成者にして元祖嫌中の本居宣長が時代を超えて語りかける。日本的知性復権の書。江戸時代ファン必携。玉くしげ、玉くしげ別巻、直毘霊を収録
 
 
  本居宣長 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本居 宣長(もとおり のりなが、1730年6月21日 享保15年5月7日 - 1801年11月5日 享和元年9月29日)は、江戸時代日本の国学者・文献学者・医師である。名は栄貞。通称は、鈴屋大人(すずのやのうし)と号した。当時、既に解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。紀州徳川家に「玉くしげ別本」の中で寛刑主義をすすめた。本居宣長は1730年6月伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の木綿商である小津家の次男として生まれた。
 
 
海国兵談.1792
  海国兵談 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『海国兵談』(かいこくへいだん)は、江戸時代中期に林子平によって書かれた政論書。全16巻。林がロシアの南下に危機感を抱き、海防の充実を唱えた書であるが、いきおい江戸幕府批判となることから出版に応じる書店も無かったため、自ら全巻までを刊行した。だが、直後の寛政の改革によって版木を没収された。日本の地理的特徴を海国(=島国)として捉え、外国勢力を撃退するには強力な海軍の充実と全国的な砲台の備えが無ければ不可能であると説いた。
 
 
  海國兵談 - 表紙画像   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  海國兵談 林子平撰 内容画像10   内容画像11
 
 
  林子平 (wiki^tan)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  林 子平(はやし しへい、元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人。名は友直。のちに六無齋主人と号した。仙台藩で教育や経済政策を進言するも聞き入れられず、禄を返上して兄の部屋住みとなり、全国を行脚する。長崎や江戸で学び、ロシアの脅威(きょうい)を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著す。また『富国策』では藩政について説いたが、採用はされなかった。
 
 
  林子平の海防思想   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  林子平は名を友直といい、元文3年(1738)江戸で生まれた。1741年に父が同僚を殺傷し、浪人になったため叔父に預けられたが、姉が仙台藩6代藩主伊達宗村の側室となった縁で、兄が仙台藩士にあげられ、兄とともに仙台に移り住んだ。子平の身分は、無禄厄介というものだったが、彼はこれを逆用して自由に長崎に赴き見聞を広めた。
 
 
  「海防論」 『海国兵談』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「海国の武備は海辺にあり。海辺の兵法は水戦にあり。水戦の要は大銃にあり、是れ海国自然の兵制也。
 
 
  幕末の兵法書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  垤氏三兵答古知機(でしさんぺいたくちき)AJ-24/陸軍士官必携 AJ-33/新銃射放論 AJ-30/相馬略 AJ-47/ 精校海国兵談 AJ-21
 
 
  海国兵談  学習百科事典  キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸(えど)時代中期の学者林子平(はやししへい)が,海防(かいぼう)の必要(ひつよう)を説(と)いた本。1787&#12316;1791年刊(かん)。子平は長崎(ながさき)で,ロシアが千島(ちしま)・蝦夷(えぞ)地(北海道(ほっかいどう))に南下しようとしているのを知り,それを警告(けいこく)するために書いた。国外からの侵略(しんりゃく)にそなえて軍備(ぐんび)の充実(じゅうじつ)を説(と)いたが,1792年幕府(ばくふ)の政策(せいさく)を批判(ひはん)したとして,松平定信(まつだいらさだのぶ)によって罰(ばっ)せられた。
 
 
  海国兵談  林 子平 述   村岡典嗣 校訂    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ロシア船来航に刺激され,「海国の武備は海辺にあり」として,水戦・銃砲戦への備えを説き,さらに国家の経済について論じた国防論.1787(天明7)年から91(寛政3)年にかけて刊行された.幕府の咎めるところとなり,絶版,板木没収,作者の林子平(1738‐1793)は禁固を命ぜられるにいたったが,密かに筆写されて広く普及した.
 
 
  林子平著  『海国兵談』  嘉永7(1854)年   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  著者林子平は六無斎と号した。六無斎とは本書の刊行が世間を騒がせたとして幕府から処罰され、「親もなし、妻なし、子なし板木なし、金もなけれど死にたくもなし」と我が身の不運を嘆き、細やかな抵抗と風刺をこめて名付けたとものといわれる。
 
 
  【次代への名言】6月21日・林子平『海国兵談』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  天下国家に主(あるじ)たる人は、経済の術を知(しる)べし(林子平『海国兵談』)  時代に先んじたがゆえの悲劇。18世紀後半の経世思想家、林子平の生涯を振り返るとき、そんな思いにかられる。   独学の人。「天下をあまねく歩いてこそ、学問のかいもある」と後進を激励し、自らも全国を見聞した。そして長崎では蘭学を、北海道や東北ではロシア船が出没する沿海の実態を知った。
 
 
  伊達の黒箱  (寛文事件関係書類)  仙台市博物館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  寛文11年(1671) 3月27日、幕府大老酒井忠清の屋敷での取調べのさなか、仙台藩奉行原田甲斐宗輔が、一門涌谷伊達家の安芸宗重を斬るという事件が発生した。これは刃傷事件が発生した日から4月15日までの間に、江戸の仙台藩邸で発着した文書236通を納めたもので、俗に「伊達の黒箱」と呼ばれるものである。
 
 
  海国兵談 (1944年) [古書] (文庫)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  海国兵談 (1944年) (岩波文庫) [古書] (文庫)  林 子平 (著), 村岡 典嗣 (著)
 
 
玉勝間.1795
  『玉勝間』抄   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  宣長の代表作の一つ『玉勝間』から、代表的な章段を抜粋した。底本には『本居宣長全集』を使用した。抜粋の基準は、『全訳玉勝間詳解』前嶋成著、大修館書店(昭和33年1月刊)に採録されたものとし、若干の追加をした。前嶋氏の著作は、学習参考書で、その選択基準には、資料編として相応しくないものがある。例えば、「54, 為兼卿の歌の事」など。今回はそれも敢えて採用した。
 
 
  玉勝間 抜粋   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  一の巻 初若菜/六の巻 からあゐ/七の巻 ふぢなみ/八の巻 萩の下葉/九の巻 花の雪/十の巻 山菅/十一の巻 さねかづら/十二の巻 山ぶき/十三の巻 おもひ草/十四の巻 つらゝゝ椿/参考資料
 
 
  玉 勝 間 ・ 口語訳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  おのれ古典をとくに、師の説きごととたがへること多く、師の説きごとのわろきことあるをば、わきまへいふこともおほかるを、いとあるまじきこと、と思ふ人おほかめれど、これすなはちわが師の心にて、つねに教へられしは、「のちによき考への出で来たらむには、かならずしも師の説きごとにたがふとて、なはばかりそ」となむ、教へられし。こはいとたふとき教へにて、わが師のよにすぐれたまへるひとつなり。
 
 
  玉勝間 本居宣長著   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  入力者説明、捨てがなのカタカナは底本では漢文の送りがなのように小書きになっていますが、()でくくりました。異体字及び旧字体の一部は通用の字体に変えました。いおり点は「「」で代用しました。2行割り注は【】でくくりました。岩波文庫村岡典嗣校訂『玉勝間』(上・下)を底本にしました。誤植が大変多いのですが、なおしたのもありそのままのもあります。
 
 
  古文の部屋 > 玉勝間   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  一、書(ふみ)読むことのたとへ〜九、いにしへより後世(こうせい)のまされること  (原文)/(現代語訳)
 
 
  本居宣長『玉勝間』の九州年号   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本居宣長の『玉勝間』に九州年号の「教到」が記されていることを冨川ケイ子氏(注 1. )より教えていただいた。近畿天皇家一元史観の国学者本居宣長の著作中に、他書からの引用とは言え九州年号が記されていることは、宣長の思想・認識を探る上でも興味深い現象であるが、当該箇所は次の通りである。
 
 
  たまかつま 【玉勝間】 goo辞書   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「勝間」の蓋と身とが合うところからとも、編み目が固く編み合わされてしまっていることからともいい、「逢ふ」「安倍島山」「島熊山」などにかかる。
 
 
  電子資料室>和古書目録>玉勝間   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  刊写:刊本 冊数:12冊 サイズ:26.1×18.6cm
 
 
  たまかつま 【玉勝間】  デジタル大辞泉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸後期の随筆。14巻、目録1巻。本居宣長(もとおりのりなが)著。寛政5年(1793)起稿し、享和元年(1801)に没するまで書き続けた。寛政7〜文化9年(1795〜1812)刊。宣長の学問・芸術・人生への考えを記したもの。
 
 
  学びyah! : 第41回放送・玉勝間/音声ファイル   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  おほかた新たなる説は、いかによくても、すみやかには用ゐる人まれまるものなれど、よきは、年を経ても、おのづからつひには世の人の従ふものにて、あまねく用ゐらるれば、その時に至りては、初めにねたみそしりしともがらも、心には悔しく思へど、おくればせに従はむも、なほねたく、人わろくおぼえて、快からずながら、古きを守りてやむともがらも多かり。
 
 
  玉勝間 《玉かつま八の巻》〜《玉かつま十二の巻》   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  相撲の最手といふもの。三代実録四十九の巻に見えたり。うつほ物語としかげの巻にも。すまひのほてとあり。今の世にいはゆる関なり。
 
 
  本居宣長『玉勝間』  歴史と日本人―明日へのとびら   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  物まなびのこゝろばえ : むかしは、皇國のまなびとて、ことにすることはなくて、たゞからまなびをのみしけるほどに、世々をふるまゝに、いにしへの事は、やうやうにうとくのみなりゆき、から國のことは、やうやうにしたしくなりもてきつゝ、つひにそのこゝろは、もはらからざまにうつりはてゝ、上つ代の事は、物の意はさらにもいはず、聞しらぬ異国のさへづりを聞くがごと、ものうとくぞなりにける、(以下略)
 
 
  玉勝間〈上〉 (岩波文庫)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸中期の国学者、本居宣長の随筆集。題名は「言草のすずろにたまる玉がつまつみてこころを野べのすさびに」の歌のこころによる。
 
 
  玉勝間 下  <書籍> 本居宣長 村岡典嗣/校訂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  学殖ゆたかな著者が、その円熟期に達して随処に得た広汎な学術的資料を蒐録した書であるとともに、人間として深い自覚に到達した際の、学者的真摯さを示した得難い手記である。その表現は要をえて簡潔、近世随筆の白眉たるは勿論、近年擡頭し来たった日本思想史研究に対して、種々の問題を提起する。 (解説 家永三郎)
 
 
  玉勝間 全二冊 <書籍> 本居宣長  村岡典嗣 校訂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  学殖ゆたかな著者が,その円熟期に達して随処に得た広汎な学術的資料を蒐録した書であるとともに,人間として深い自覚に到達した際の,学者的真摯さを示した得難い手記である.その表現は要をえて簡潔,近世随筆の白眉たるは勿論,近年擡頭し来たった日本思想史研究に対して,種々の問題を提起する. (解説 家永三郎)
 
 
  本当の日本を求めて  「玉勝間」:本居宣長著、村岡典嗣校訂:岩波文庫   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  台湾で働いていたころ、テレビで子供のクイズ番組を放映していました。「日本の茶の湯」はどこから来たかという問題に子供は即座に中国と答え、司会者が「良くできました。小朋友は偉い」とほめます。これを見ながら私は憮然としてしまいました。なるほど、日本文化から中国を引いたら何が残るだろうと考え込んでしまいました。 この問題に取り組んだのが本居宣長です。朱子学に反対した荻生徂徠などの影響を受け、国学の一派をつくりました。
 
 
新花摘.1797
  与謝蕪村 - 俳句INDEX   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  石華舎では、蕪村自身と蕪村に関連する人たちの絵画、墨蹟、俳書、研究文献などを、レプリカや欧文文献なども含めて、収集することにつとめています。
 
 
  蕪村の時代: 其角と蕪村   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  蕪村周辺探索エムエルなどのトッピクス的記事 蕪村の『新花摘』の挿絵について、これまでに、その第二図から第七図までを見てきた。そして、最後に残った一枚が、第一図の「早乙女図」である。この「早乙女図」は、『新花摘』の発句(一〜一三七)の末尾に書かれているものである。
 
 
  若き日の蕪村像(『新花摘』・月渓筆)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  若き日の蕪村像(『新花摘』・月渓筆)  ブログ俳諧鑑賞
 
 
  蕪村の『新花摘』の挿絵周辺(その十三)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  蕪村の『新花摘』の挿絵について、これまでに、その第二図から第七図までを見てきた。そして、最後に残った一枚が、第一図の「早乙女図」である。この「早乙女図」は、『新花摘』の発句(一〜一三七)の末尾に書かれているものである。
 
 
古事記伝,1798
  古事記伝 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『古事記伝』(こじきでん、ふることふみのつたえ)は、江戸時代の国学者・本居宣長の『古事記』全編にわたる全44巻の註釈書である。『記伝』と略される。 1764年(明和元年)の起稿から1798年(寛政10年)の脱稿まで、完成には約35年もの歳月が費やされた。版本としての刊行は1790年(寛政2年)から宣長没後の1822年(文政5年)にかけてである。
 
 
  『古事記伝』への道   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『古事記伝』とはどんな本ですか?/どうして漢字で書かれているのですか?/宣長が『古事記』という書名を知ったのはいつ頃ですか?/買ったのはいつですか?/研究しようと考えたのはいつ頃ですか?/研究を決意したのはいつですか?/『古事記伝』の起稿時期はいつですか?
 
 
  『古事記伝』書き終わる   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『古事記伝』44巻を書き終えたのは、寛政10年(1798)6月13日(新暦7月26日)。賀茂真淵と新上屋で会して『古事記』研究の志を打ち明けてから36年目、『古事記』校合という基礎作業から数えても35年の歳月を費やした、文字通り畢生の大著である。
 
 
  古事記伝 - 国立国会図書館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  資料 : 「古事記伝(こじきでん)」 巻1,2 本居宣長自筆稿本 〔天明5-8(1785-88)〕 2冊 27.4×18.9cm / 解題 : 『古事記』の注釈書。著者本居宣長(1730-1801)は江戸時代中期の国学者。伊勢松坂の人、鈴屋と号した。宝暦13年(1763)34歳の時に賀茂真淵に入門。『古事記』注釈研究に志し、30数年かけて完成したのが『古事記伝』全44巻44冊である。
 
 
  古事記伝 学習百科事典 学研キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸(えど)時代中期,本居宣長(もとおりのりなが)*があらわした『古事記(こじき)』の注釈(ちゅうしゃく)書。35年をかけて研究し,1798年に44巻(かん)の大著(たいちょ)を完成(かんせい)した。『古事記』の実証的(じっしょうてき)研究であると同時に,この書物は日本古来の思想の研究としても価値(かち)が高い。
 
 
  本居宣長の古事記伝の現代語訳の本はありますか?   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  本居宣長の「古事記伝」を現代語訳した手軽な書物は残念ながら見当たりません。一般受けしないのと、非常に長い(膨大)からでしょうね。
 
 
  YouTube - 春閣下の日本文化史 古事記伝 第一節「国産み」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  YouTube - 春閣下の日本文化史 古事記伝 第一節「国産み」
 
 
  古事記伝 : 本居宣長による『古事記』の注釈書 - 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『古事記』の注釈書。四十四巻。本居宣長(もとおりのりなが)著  寛政十年(1798)六十九歳の年に完成。宣長の生前に刊行されたのは十七巻までで、残りは文政五年(1822)に刊行。 『古事記』について本文校訂・訓み方・語釈を行った書。宣長の学問の集大成。
 
 
  古事記伝の動画 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古事記伝の動画 - Google
 
 
  古事記伝 1 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6) [文庫]  倉野 憲司 (著), 本居 宣長 (編集)
 
 
  新・古事記伝1[神代の巻]   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  古代日本の歴史にひそむ謎と矛盾…… イナバの白ウサギや海幸彦・山幸彦の話といった神話世界からはじまり、神武の東征以降の王統記へとつづく、日本最古の歴史物語「古事記」を、誰にでもわかる読みやすい現代語訳と本格的な解説で贈る。
 
 
  本居宣長『古事記伝』を読む [単行本]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  あなたは『古事記伝』の世界を知っているか誰でもその名は知っているが、読み通したことのある人はこの世にほとんどいない歴史的大著。それが『古事記伝』だ。全44巻すべてを詳細に読み抜く画期的試み。
 
 
  古事記伝 全4冊 本居宣長 撰 倉野憲司 校訂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  賀茂真淵の教示により「古事記」の記載を客観的・帰納的に究明しようとして,三十数年間かけて,校訂・考証をおこなった注釈書.文献学的研究の極致とまでいわれるこの書物は,今日でも「古事記」を読もうとする者が必ず拠らなくてはならないものといわれ,以後の注釈書にも大きな影響を与えた.本居宣長の国学思想の基礎をなす主著.「神代篇」のみを収録.
 
 
父の終焉日記.1801
  一茶の句文集  『父の終焉日記』   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  享和元年4月、一茶39才の春、たまたま帰省中であった一茶が父の発病にあい、その臨終、初七日を迎えるまでの出来事を書き綴った日記である。寛政12年刊の天地庵我泉の歳旦帳の裏面に書かれたこの草稿は、明治の世になってから束末露香によって『父の終焉日記』と名付けられ、大正11年、露香の校訂本が荻原井泉水によって刊行された。
 
 
  父の終焉日記・おらが春 他一篇 (岩波文庫)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  たまたま帰省中の一茶(一七六三―一八二七)は,父を急病で失い初七日を迎えることとなった.その三十余日間を,日記形式で綴った『父の終焉日記』.日々衰弱してゆく父の姿と遺産問題に端を発した継母・義弟との確執がなまなましく描かれる.他に,五十六歳でもうけた娘さとの誕生と死を主題にまとめた『おらが春』と『我春集』を収録.
 
 
  父の終焉日記・おらが春 (岩波文庫) 矢羽勝幸 校注   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  たまたま帰省中の一茶(一七六三―一八二七)は,父を急病で失い初七日を迎えることとなった.その三十余日間を,日記形式で綴った『父の終焉日記』.日々衰弱してゆく父の姿と遺産問題に端を発した継母・義弟との確執がなまなましく描かれる.他に,五十六歳でもうけた娘さとの誕生と死を主題にまとめた『おらが春』と『我春集』を収録.
 
 
  俳人 小林一茶 一茶記念館   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎といいました。3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえました。働き者の義母になじめなった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。
 
 
  小林一茶.1768   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  →「05俳句」/小林一茶.1768
 
 
東海道中膝栗毛.1802
  東海道中膝栗毛 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九の滑稽本である。後続の『続膝栗毛』は、1810年(文化7年)から1822年(文政5年)にかけて刊行された。大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。 『栗毛』は栗色の馬。『膝栗毛』とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。
 
 
  東海道中膝栗毛 初編   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  富貴も思うがままに、冥土までも御利益あれと、祈って立てた家々の門松に吹く松風に、琴の音に通う春の日のうららかさ。まことに江戸の大道が真っすぐに、毛筋ほども揺るがぬ御代の泰平のしるしは、吾妻の国の江戸の錦絵の世界ではあるまいか。
 
 
  「東海道中膝栗毛」の旅   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  十返舎一九/「東海道中膝栗毛」の旅/コースと宿泊地/旅の行程/東海道中膝栗毛を巡る旅五題/関連リンク集
 
 
  「東海道中膝栗毛」と「はまぐり」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『東海道中膝栗毛』といえば、おそらくみなさん誰でも知っていると思います。 弥次喜多道中といえば、のんびり楽しいゆかいな二人旅というイメージでしょう。 しかし、我々が知っているのは、おそらく子供向けに焼き直しされたマイルド版『東海道中膝栗毛』です。 原作を読んでみてください。 とても子供に読ませられるようなものではありません。
 
 
  「東海道中膝栗毛」って、どんな本なのですか?   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「東海道中膝栗毛」は江戸時代後期の戯作者、十返舎一九の代表作で、享和2年(1802)から文化6年(1809)にかけて出版(初編から八編)された滑稽本です。 主人公である弥次郎兵衛と喜多八の二人が伊勢詣でを思い立ち、数々の失敗や滑稽を繰り返しながら、東海道を江戸から京、大坂旅する様子を、狂言や小咄を交えながら、当時の口語で描き出したものです。
 
 
  東海道中膝栗毛. 初,2-10編 / [十返舎一九] [撰]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  東海道中膝栗毛. 初,2-10編 / [十返舎一九] [撰]
 
 
   『東海道中膝栗毛』 十返舎一九 岩波書店日本古典文学体系   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、享和2年に初編が出版された。 もともとは最初の2編程度で終わるつもりが意外に好評だったために東海道中は8編にまで及び、大阪に辿り着いた弥次郎兵衛・北八のコンビは文化7年に金比羅詣でに行き、8年には宮島に詣で、9年から木曽海道を巡って善光寺まで行き、さらには草津温泉、中山道巡りをし、文政5年ようやく江戸に戻ってきた。
 
 
  東海道中膝栗毛の画像 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  東海道中膝栗毛の画像 - Google
 
 
  東海道中膝栗毛 上 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  括淡にして見栄っぱり,強がりだが実は臆病,江戸っ子弥次郎兵衛と北八の伊勢・大和めぐりの旅.十返舎一九の名を不朽にした傑作.
 
 
  東海道中膝栗毛  全二冊 - 日本文学(古典)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  滑稽本の代表的作家たる十返舎一九の二十八歳から三十五歳までの八年間の苦心の作であり,彼の名を不朽にした傑作である.恬淡にしてしかも虚栄にみち,強がりではあるが実は臆病な江戸ッ子の特性をもった弥次郎兵衛,北八が伊勢参宮,大和めぐりと旅をする間に起る失敗談などを,おもしろおかしく記した滑稽小説.
 
 
桜姫全伝曙草紙.1805
現代語訳・江戸の伝奇小説〈1〉復讐奇談安積沼、桜姫全伝曙草紙 
  化政時代の文化 > 読本(山東京伝)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  深川木場に生まれ、江戸の京橋(現在の中央区銀座1丁目)で育ちました。京橋が江戸城の紅葉山(もみじやま)の東にあったのでそれに因(ちな)み「山東」、通称の京屋伝蔵(きょうやでんぞう)を縮めて「京伝」と名乗りました。町人出身の「江戸っ子」の戯作者(げさくしゃ)でした。天明5年(1785年)の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』、天明7年(1787年)の洒落本(しゃれぼん)『通言総籬(つうげんそうまがき)』は、それぞれのジャンルを代表する作品です。
 
 
  【桜姫全伝曙草紙】さくらひめぜんでんあけぼのそうし   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  読本。山東京伝著。初代歌川豊国画。1805年(文化2)刊。歌舞伎などで流布していた清玄桜姫物の怪談を素材とし,悪と美とグロテスクと怪奇を織りなした,京伝の長編伝奇小説の代表作。
 
 
  「復讐奇談安積沼/桜姫全伝曙草紙」須永朝彦編訳    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸の伝奇小説である。果たしてぼくに読むことできるんだろうかと、おっかなびっくりという感じで読み始めたが、たちまち引き込まれてしまった。 須永朝彦氏の現代語訳でこなれた文章の響きが心地よい。思わず声に出して読んでみたくなる文章だ。 「復讐奇談安積沼」は、まずその自由な筋運びに驚いてしまった。サブストーリーである小幡小平次の怨霊話が本筋よりも強く印象に残った。京極夏彦氏の書いた「覘き小平次」は、この話が元になっているそうだ。鶴屋南北も狂言でとりあげているらしいし、有名な話だったわけだ。 桜姫全伝曙草紙」は、業深き人間の因果がめぐりめぐるお話である。人間の残酷さがこれでもかと描 かれる。江戸の庶民は、こんな話を読んで楽しんでいたのかと驚いた。今では考えられない酷薄な人間. がでてきて、悪魔の所業を繰り返す。
 
 
  桜姫全伝曙草紙 - 古典籍総合データベース   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  タイトル/著者・作者/キーワード(主題)/[HOME]/[収録資料について]/[ご利用について]/[ 資料一覧 ]  早稲田大学図書館 
 
 
  八犬伝の元ネタ(?)たち   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  山東京伝(さんとうきょうでん)『桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのさうし)』(文化二年十二月発行、画工 一陽斎豊国(初代歌川豊国)) 読本. 大江文坡の仏教説話『勧善桜姫伝』を粉本とする桜姫・清玄もの(歌舞伎の『桜姫東文章』などで有名)の読本。
 
 
  現代語訳・江戸の伝奇小説〈1〉復讐奇談安積沼、桜姫全伝曙草紙 [単行本]  山東 京伝 (著)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  親の敵を尋ねる美少年喜次郎、妻の密通相手に殺される役者小幡小平次、陸奥を舞台に孝子の復讐と怨霊の祟りを描く『安積沼』。叶わぬ恋に狂う破戒僧清玄、様々な怪異に魘されて離魂病を患う桜姫、美女玉琴の怨霊に翻弄される鷲尾家の転変を描く『曙草紙』。現代語訳で甦る江戸幻想小説の世界。オリジナルの挿絵もすべて収録。
 
 
椿説弓張月.1807
  椿説弓張月 (Wikipedia)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は、曲亭 (滝沢) 馬琴作・葛飾北斎画の読本。正式には角書きが付き、『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』(ちんぜい はちろう ためとも がいでん ちんせつ ゆみはりづき)。全五篇。『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝(ちんぜい はちろう ためとも)と琉球王朝開闢の秘史を描く、勧善懲悪の伝奇物語。 日本史のなかでも悲劇の英雄の一人に数えられる源為朝に脚光をあて、その英雄流転譚を描き好評を博した。
 
 
  椿説弓張月   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このコーナーでは、馬琴前期の名作と言われる「椿説弓張月」の魅力を伝えたいと思います。  椿説弓張月とは/ストーリー/武家のエリート・清和源氏(系図)/「保元物語」の源為朝/「弓張月」の為の琉球学/弓張月雑話:一粒800m/衒学館のホームへ
 
 
  椿説弓張月 三島歌舞伎   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「椿説弓張月」のあらすじ:強弓と武勇で知られる源為朝(鎮西八郎)は崇徳上皇方に加わって保元の乱を戦ったが、捕らえられて伊豆の大嶋へ流罪となる。それから十余年がたち、今日は上皇の命日。そこへ為朝征伐の軍がやってくる。為朝は敵である、この地でめとった妻簓江(ささらえ)の父を討つ。簓江は娘と一緒に入水し、息子の為頼は勇敢に戦って討ち死する。
 
 
  曲亭馬琴作品コーナー(主に椿説弓張月)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このコーナーでは江戸時代に書かれた国文学である曲亭(滝沢)馬琴作品及びその派生作品にについて簡素なデータベースと好き勝手な事を述べたコラムを載せていく予定です。
 
 
  鎮西八郎爲朝外傳 椿説弓張月 ストーリー   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  このコーナーでは、弓張月のストーリーを、原作に沿って要約を行ったものである。テキストは1930年初刊の岩波文庫(上・中・下巻)を使った。  第一回〜第十五回 後篇 續篇 拾遺 殘篇
 
 
  椿説弓張月 (ちんせつゆみはりづき) - 関心空間   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  三島由紀夫が昭和四十四年に国立劇場で作、演出した新作歌舞伎で、初演で高間太郎を演じた猿之助が主役の為朝を演じ演出を担当、玉三郎が初演で評判を撮った白縫姫を再演、勘九郎が高間太郎と悪女阿公を演じるほか一座総出演の舞台である。
 
 
  椿説弓張月 (椙山女学園大学デジタルライブラリー)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は、曲亭 (滝沢) 馬琴作・葛飾北斎画の読本。正式には角書きが付き、『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』(ちんぜい はちろう ためとも がいでん ちんせつ ゆみはりづき)。全五篇。『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝(ちんぜい はちろう ためとも)と琉球王朝開闢の秘史を描く、勧善懲悪の伝奇物語。
 
 
  椿説弓張月. 前,後,続,拾遺,残篇 / 曲亭主人 編次 ; 葛飾北斎 画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  椿説弓張月. 前,後,続,拾遺,残篇 / 曲亭主人 編次 ; 葛飾北斎 画
 
 
  椿説弓張月の画像 - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  椿説弓張月の画像 - Google
 
 
  椿説弓張月 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代後期の作家、滝沢馬琴の出世作。大ベストセラーとなり、浄瑠璃や歌舞伎にもとりあげられてヒットした。物語は、伊豆大島に流されて死んだはずの源八郎為朝が、実は生きていて、やがて琉球に渡り、王家の内紛で大活躍するという波瀾万丈の活劇ドラマ。『御宿かわせみ』などで知られる時代小説作家、平岩弓枝の現代語訳が、いきいきとその面白さを伝える。
 
 
  椿説弓張月 全3冊    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  椿説弓張月 全3冊  曲亭馬琴  和田万吉 校訂
 
 
  椿説弓張月 [文庫  曲亭馬琴 (著), 和田万吉   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  椿説弓張月 (上巻) (岩波文庫) [文庫
 
 
浮世風呂.1809
深読み浮世風呂
  浮世風呂 (wiki^tan)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世風呂(うきよぶろ)は、式亭三馬が書いた滑稽本である。文化6年(1809年)から文化10年(1810年)にかけて刊行された。内容は4編9冊に分けられ、初編・四編が男湯、二編・三編が女湯となっている。角書をつけると『諢話浮世風呂』(おどけばなしうきよぶろ)となる。当時の庶民の生活を、浴場を舞台に描いたもので、当時の生活とともに、落語の話術を取り入れた会話の軽妙さと底辺の人々を描いてほのかな明るさをしめしている。 ガ行鼻濁音の記録として知られ、日本語史上の資料としても貴重。
 
 
  浮世風呂   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  《浮世風呂前編巻之上》 五日の風静なれば早仕舞の牌を出さず。十日の雨穏なれば傘の樽をも出さず。月並の休日静謐にして。賢も愚なるも。貴賤おのおの恩沢に浴する人心。今日煤湯を沐て五塵の垢を落し。明日貰湯に入て六欲の皮を磨き。いつも初湯の心地せらるゝは。げにも朝湯の入加減。嗚呼結構とやいはん。噫ありがたいかな。這首にだぶだぶといふ僧あれば。彼首に。ぶうぶうをいふ俗あり。タロクととぐる男あれば。…
 
 
  黄32-1 浮世風呂 神保五彌 校注   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  読んでみて:この本は「古典文学」だととらえない方が良いかもしれない。もちろん、誰が何と言おうと「古典文学」の一つであることは間違いないのだが。というのも、全編のほとんどが会話文でしかも近世後期の江戸語であるため、古典の中では最も現代語に近い表現となっているのである。
 
 
  浮世風呂−1〜4 三遊亭圓生音源データ   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  えー、風呂屋さん、湯ゥ屋と言うものが、ァッ、えー昔と、ォー大変違うようで。えー、東京ではァッみんな湯と申しましたが、風呂とは申しません。えー、上方の方へ行くと、風呂屋ってますがね、えー東京では湯ゥ屋ってます。…
 
 
  『浮世風呂』 【ウキヨブロ】 とっさの日本語便利帳   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  式亭三馬作。江戸後期の滑稽本。文化六(一八〇九)年から文化一〇(一八一三)年にかけて刊行。江戸庶民の社交場でもあった銭湯を舞台に、様々な人物の多様なやりとりを通じて、生活、風俗の諸相を写し出す。
 
 
  浮世風呂 ―式亭三馬の滑稽本― 古典文学ガイド   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  滑稽(こっけい)本。四編九冊。式亭三馬作。文化六年(1809)〜十年(1813)刊。 江戸庶民の社交場であった銭湯を舞台に、そこに登場する男女の動作・会話を克明に描写し、世相や庶民生活の実態を浮き彫りにした作品。 『浮世床』とともに三馬の代表作。
 
 
  深読み浮世風呂 (単行本) 青木 美智男 (著)    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「風呂」でわかる文化文政期江戸庶民の生活  歴史教科書や文学史で必ず取り上げられる式亭三馬『浮世風呂』。江戸後期の滑稽本だが、庶民の銭湯を舞台に当時の世相を捉えた風俗小説だ。歴史・民俗の立場から本作を解剖し、江戸の文化文政期の日々の暮らしを活写。
 
 
浮世床.1813
式亭三馬
  浮世床 (wiki^tan)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世床(うきよどこ)は、江戸時代の戯作者、式亭三馬の滑稽本。 また、浮世床(うきよどこ)は、落語の演目の一つ。元々は上方落語の演目である。古くからある小咄を集めて、一席の落語にしたオムニバス形式の落語である。上方から初代柳家小せんが東京に移植した。主な演者として、東京の3代目三遊亭金馬や6代目三遊亭圓生などがいる。 あらすじ:昔の髪結床(床屋)は町内の若い衆の寄り合い場所であり、一日中、町内の若い者が無駄っ話をしていた。
 
 
  浮世床(一)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  お次は、式亭三馬描く「浮世床」。江戸の庶民の生活をユーモラスに活写した滑稽本で、「浮世風呂」と並ぶ三馬の代表作です。 挿絵を描いたのは、歌川国直。
 
 
  落語奇談「浮世床」   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  「席亭さん。開店以来、毎日盛況ですね。江戸中の話題なっていますよ。たいしたjもんだ。」 上総屋銀座支店。銭湯とはいえない豪華な作りに江戸の庶民は度肝を抜かれていた。…
 
 
  浮世床 (うきよどこ)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  町内の髪結い床には連日のように若い連中が集まって来て、将棋を指したり碁を打ったりしています。 太閤記の本を読んでいる者も有れば、寝ていると邪魔だからと起こされた途端にのろけを語り出す者もいます。
 
 
  浮世床−1  (三遊亭圓生音源データ)   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  えー、昔はこの、ォーッ猫の蚤を捕って歩いたという、えー今の時代から考えますと、ァ誠にィッおかしな、ァ稼業で、「猫の蚤捕ろォ、えー猫の蚤捕ろォ」なんてんで。…
 
 
  浮世床 動画 (圓遊浮世床) - Google   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世床 動画 (圓遊浮世床) - Google
 
 
  浮世床. 初,2-3編 / 式亭三馬 編 ; 国直 画   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  浮世床. 初,2-3編 / 式亭三馬 編 ; 国直 画
 
 
  浮世床 : 落語 三代目 三遊亭金馬 - 落語の蔵   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  街の床屋は暇を持て余した若い者が今日も今日とて集まっている。手紙を読んでニヤニヤする者、髭を抜く者、寝ている者。退屈しのぎに何をしようかと話し合ってるうちに二人が将棋を始める。ただ普通にやってもつまらないので一手指すごとに洒落を言う、洒落将棋。…
 
 
  式亭三馬  人名辞典   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  日本の戯作者。1776年(安永5年)江戸生まれ。1794年黄表紙『天道浮世出星操』、続いて『侠太平記向鉢巻』を著して戯作者として世に出た。小間物屋や古本屋を営む傍ら創作活動を行った。庶民生活を生き生きと描いた滑稽本の分野でも十返舎一九とともに高く評価される。 代表作は『浮世風呂』『浮世床』など。
 
 
  浮世床 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  髪結床の待ち合い時間は、今日も無駄話の花ざかり。美人の品評、猫の名付け相談、それにもちろん噂や悪口。江戸庶民の日常を活写した、「浮世風呂」の姉妹作。
 
 
  浮世床―マンガ日本の古典〈30〉 [文庫]    TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  ここは大江戸日本橋。浮世風呂に隣り合う髪結床では、今日も無駄話に花が咲く―。庶民の社交場・髪結床で交わされる市井の人びとのとりとめもないお喋りを忠実に書き留めた式亭三馬の滑稽本。江戸下町の雰囲気と庶民の日常生活を古谷三敏が丹念に写し取る。平成九年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。
 
 
  しきていさんば【式亭三馬】 学習百科事典 キッズネット   TOPページジャンル一覧表明快カテゴリ総覧ジャンルページ画面上段画面下段
  (1776〜1822)江戸(えど)時代後期の戯作者(げさくしゃ)。江戸(えど)(今の東京(とうきょう))に生まれる。古本屋・薬屋などをしながら黄表紙(きびょうし)(通俗的(つうぞくてき)な絵入りの読み物