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| 日本が誇る短文文学の世界。感性と情緒の世界をご一緒に楽しみませんか。ここには、あまりにも有名な万葉集はじめ、古今和歌集から始まる二十一代集、著名な歌人の足跡なども余すことなく掲載されています。また、皆さまに親しまれている、NHK短歌・俳句・川柳など、句会、投句のホームページもあります。 五行で綴る自由で幅広い表現ができる五行歌の世界、大変楽しく素晴らしいものです。どうぞ、ごゆっくりご覧ください。(末尾「/」印は編纂中です) |
和歌・俳句・百人一首
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俳諧の系譜(PDF)
「歌仙=連句」・「発句=俳句」・「川柳」 俳諧(連句・俳句・川柳) (上代)大和時代/奈良時代 (中古)平安時代 (中世)鎌倉時代 (近世)安土桃山時代/江戸時代 |
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和歌・俳句について調べるには
和歌・俳句の一部から作者や出典を探そうとして、困ったことはありませんか。 その他調べものをする上で便利な資料をご案内します。 |
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星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句 (文庫)
五七調の心地よさや、ことばの響きに楽しもう。時代をこえて脈々とうたいつがれてきた和歌や俳句。季節やくらしを題材にした美しい表現やユーモラスな感受性の宝庫から、194作を選んで時代順に配列して、解説します。 |
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「旧かなを楽しむ―和歌・俳句がもつと面白くなる」 <単行本>
「旧かなを楽しむ―和歌・俳句がもつと面白くなる」 <単行本> |
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百人一首
→「71伝承遊び」百人一首 |
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百人一首ゲーム
→「71伝承遊び」百人一首ゲーム |
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万葉集
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万葉集 (Wikipedia)
万葉集(まんようしゅう)とは、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集である。『萬葉集』が本来の表記であり、日本の文部省・国語審議会の漢字制限(当用漢字、常用漢字)後は「万葉集」と書く。 |
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万葉集
【成立】天平宝字3年(759)1月1日の歌が最新のもの。成立は8世紀末か。 【内容】全二十巻、約4500首。短歌・長歌・旋頭歌・仏足石歌など、形式も多様である。 【撰者】大伴家持(右図・因幡万葉歴史舘)が最終的な撰者と考えられる。後半はほとんど彼の歌日記的な内容といえる。 |
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日本の神話
日本の神話を物語として、著者 田中繁男が書き下ろす!日本の神話や万葉集を参考にメルマガも発行します! 古代日本を舞台に、万葉集、日本書紀、古事記を参考に、日本の神話、古代天皇物語を多彩な世界を表現します! |
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万葉集入門
ようこそ、万葉集の世界へ。今から、つかの間、古代への旅をお楽しみください 天皇から一般農民にいたるまで幅広い階層の人々の歌を集める。<万葉仮名>で書かれる。期間も古墳時代の歌から奈良時代まで四百年間と長期にわたっている。 |
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MANYOSHU
万葉人が旅の先々で歌を詠じたところ。 そんな場所は聖なる地です。 近くにそんなところがあれば行ってみませんか。 ひょっとすると柿本人麻呂や高市黒人や山辺赤人に会えるかもしれませんよ。 主な万葉地名。牛窓、相生、金ヶ崎、室津、家島、飾磨、姫路、稲美、魚住、藤江、明石、松帆、野島、浅野、慶野、黒岩、須磨、大和田、敏馬、有馬、名次、津門、猪名野、難波、星田、蒲生野、沙弥島、味真野、鞆、大津、筑波山、二上山、糸崎、風早、和歌の浦、白崎 |
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ウォーク万葉
「万葉を著す、諳じる、彩る、祝う、説く、奏でる、演じる、評する、食する、弾く、謡う、踊る、織る、染める、語る、舞う、味わう、企てる、祭る、護る、唱する、唸る、画く、歌う、巡る、園する、着る、拓する、集める、撮す、考える、薬する、碑する、姓する、写す、醸する、墨する、楽する、活ける、酌する、窯する・・・」人たちは、すべて「万葉を歩く」ことから始まるのでしょう。「ウォーク万葉」の創刊は1985年の1月。万葉集4,500余首に詠われた、およそ1,200ヶ所の故地を歩き、詳細に地図化して、60号で完結しました。 |
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万葉集ロマン
万葉集と油絵、四季の草花の写真集 万葉集を原文、訓読み、かなで表し、季節、花、地名等の歌に読み込まれた言葉で検索が可能です。万葉集の意味が分かるように解釈文をつけています。自選の万葉集百人一首を掲載しています。四季の草花の写真、絵画の写真、趣味の音楽、鎌倉めぐりのスナップ写真を掲載しています。 |
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★万葉集の貝
万葉集との出会いはいつだろう。小学校での山上憶良の歌でしょうか。出会いは定かではないのですが、万葉集などの古典との深い付き合いは高校時代でしょうか。今にして想うと恩師は、受験対策だけでく古典のすばらしさを講義していました。 |
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万葉集を携えて
万葉集に詠われた地を訪ねたいと思いました。訪ねる先々に万葉歌碑が建てられていることが多く、歌碑とその地の写真を撮り始めました。藤井五郎先生から田村泰秀氏を紹介いただき、田村氏著「万葉千六百碑」を知りました。旅に出るときは、この本が万葉集以上に離せられないものになりました。「万葉千六百碑を携えて」です。あちこちの故地と歌碑を紹介します。まだまだ旅の途中ですが。 |
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たのしい万葉集
いらっしゃいませ、「たけち(男の子)」と「さらら(女の子)」です。「たのしい万葉集」は、とかく堅苦しく思われがちな「万葉集」を気軽にたのしみましょう、という目的で作っているページです。何も考えずにあちこちのページを眺めていただくだけでもとってもうれしいです。 |
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萬葉集 その旅
万葉人が旅の先々で歌を詠じたところ。 そんな場所は聖なる地です。 近くにそんなところがあれば行ってみませんか。 ひょっとすると柿本人麻呂や高市黒人や山辺赤人に会えるかもしれませんよ。 主な万葉地名。牛窓、相生、金ヶ崎、室津、家島、飾磨、姫路、稲美、魚住、藤江、明石、松帆、野島、浅野、慶野、黒岩、須磨、大和田、敏馬、有馬、名次、津門、猪名野、難波、星田、蒲生野、沙弥島、味真野、鞆、大津、筑波山、二上山、糸崎、風早、和歌の浦、白崎 |
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万葉集百人一首
歌人別に一首ずつ百人から選びました。 |
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万葉の花とみどり
万葉集ゆかりの里「埼玉県比企郡小川町」から・・・万葉集に詠み込まれた植物についての画像や記事を発信しています。 |
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万葉集の成り立ち
ねぇねぇ、万葉集には私たち(たけちとさらら)の歌も載っているんだけど・・・万葉集っていつできたのかしら。奈良時代の終わり頃ってきいたような気もするけど。 |
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『万葉集』 塙書房
奈良には足掛かけ5年住んでいて、大学では『万葉集』の講義もあった。 出かける先々、奈良のいたるところに万葉集歌碑があり、『万葉集』はとても身近な存在だった。『万葉集』というと、全体的には、明るい春から初夏のイメージがある。 もちろん秋や冬の歌だってあるし、悲しい別れの歌もあるわけだが、歌風がおおらかで力強いので、明るく日が差している情景が浮かんでくる。 |
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高岡市万葉歴史館
大伴家持がみた越の国 富山県高岡市伏木一宮 |
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目で感じる万葉世界
大和の地で詠われた万葉人の四季のうつろい、燃えたぎる相聞歌、身の引き裂ける挽歌心に響きわたる万葉歌1首1首に私の撮影した万葉風土の写真を添えてみました。 |
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現代口語訳 万葉集
萬葉集は日本最古の歌集である。一度は忘れ去られ、歌の力によってふたたび甦り、我々に永遠の何かを与え続ける。萬葉集の歌に、把握しきれないほどの深淵を見いだす人は多い。萬葉歌人はこの世をはかない幻のようなものと感じ、人の手になるものはすべて、それがいかに素晴らしく見えるものであっても、やがては朽ち果てていく、と信じていたと思われる。彼らは時の流れがもたらす変遷を凝視し、過去と失われたものへ憧憬を込めて歌を作った。 |
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北川研究室 万葉集
ようこそ。当研究室では、『万葉集』を中心に上代文学一般を研究対象としています。 |
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万葉集 〔古典に親しむ〕
二十巻からなる万葉集は、巻第一を原核とし、数次の編纂過程を経て成立したとされる。巻第一は、天皇の御代の順にしたがって歌を配列する構成がとられ、雑歌のみの巻である。作歌年代は、雄略天皇の時代から奈良の宮の時代まで。 |
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万葉散歩 フォトギャラリー
現代版 海石榴市(つばいち)フォト 丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)の秋祭りは600〜700kgもある太鼓台をかつぎ「よーいやさっさ、よいさっさ」の掛け声賑やかに境内せましと練り、そして疾走する勇ましい祭りです。 万葉散歩 / 飛鳥逍遥 / 年中行事・宿予約 / リンク集 |
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万葉集 紀の国の歌 紀州弁編
異国への憧憬、妹背の山、海の鮮烈、悲劇の皇子、白浜の海辺、女帝の行幸[いでまし]、神話の国、陽光ヒラメク癒しの国、草枕 旅に想いをはせた万葉歌 |
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奈良の万葉集 奈良県立万葉文化館
「奈良」「山辺の道」「桜井・宇陀」「吉野・葛城・宇智」「飛鳥」「大和三山」「生駒・竜田・奈良盆地」「大和花万葉」 |
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初出土の万葉歌木簡、万葉集の「原資料」
成立当時の万葉集の姿に、最も近づいた史料だ−。22日に初の出土が発表された「万葉歌木簡」。書かれたのは、万葉集成立より前だったと推定される。 |
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訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―
数年前、万葉集の学習のために、鹿持雅澄著『萬葉集古義』から万葉集本文のみを抜き出したテキストを入力作成しました。『古義』に示された訓に従って、本文を漢字ひらがな交じりの訓下し文に改めたものです。このたび知人の協力を得て、これに全面的な校正を施し、WEB上に公開します。 |
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ロマン溢れる万葉の世界に遊ぶ - 縦書き万葉集
女流歌人 / 作者別 / 大伴家持 / 紀貫之 / 在原業平 / 藤原を詠う / 明日香を詠う / 香具山を詠う / 雑歌を歌う / 天皇・皇子 / 大后・皇女 / 百人一首b / 派生歌関連 / 紀貫之 派生歌 / 土佐日記 / 枕草子 / 古事記物語 / 竹取物語 / 源氏物語 / 徒然草 |
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但馬皇女 (Wikipedia)
但馬皇女 - Wikipedia |
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二十一代集
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勅撰和歌集 (Wkipedia)
勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、天皇や上皇の命により編集された歌集のこと。古今和歌集に始まり、新続古今和歌集まで21の勅撰和歌集があり、総称して「二十一代集」という。このほかに南朝で編纂された新葉和歌集を準勅撰集とする。また編集時期による分類として、三代集(古今集・ 後撰和歌集・拾遺集)・八代集(下記参照)・十三代集(同)とする。(三代集と八代集の対象は重複していることに注意) |
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二十一代集 (Wikipedia)
二十一代集(にじゅういちだいしゅう)とは、天皇が勅命を出し、国家事業として編集された勅撰和歌集である「古今和歌集」から「新続古今和歌集」までの計21集のことで、「八代集」と「十三代集」とを合わせた歌集の総称を言う。また、古今集以後の三集を「三代集」とも言う。 |
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1.古今和歌集
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古今和歌集 (Wikipedia)
『古今和歌集』(こきんわかしゅう)は、醍醐天皇の勅命によって編まれた初めての勅撰和歌集。延喜五年(905年)頃成立。略称『古今集』。真名序は紀淑望、仮名序は紀貫之が執筆した。和歌集としてだけでなく、古今和歌集仮名序は日本最古の歌論としても文学的に重要である。 |
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古今和歌集の部屋
年の内に 春は来にけり ひととせを こぞとや言はむ 今年とや言はむ / 袖ひちて むすびし水の こほれる を 春立つ今日の 風やとくらむ / 春霞 立てるやいづこ み吉野の 吉野の山に 雪 は降りつつ / 雪の内に 春は来にけり うぐひすの こほれる 涙 今やとくらむ |
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『古今和歌集』巻第六・冬
古典文学学習教材 監修:浜口俊裕 古今和歌集 巻第二 春歌下 古今和歌集 巻第六 冬歌 |
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古今和歌集 渋谷栄一著
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひ出だせるなり。 |
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勅撰和歌集・ 古今和歌集
仮名序 : やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世中に在る人、事、業、繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの、聞くものに付けて、言ひ出せるなり。 |
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古今和歌集 仮名序 紀貫之
仮名序本文は『伊達本古今和歌集 藤原定家筆』(笠間書院刊 影印本)を底本に作成しました。… |
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古今和歌集 卷第一〜卷第六
古今和歌集序 夫和歌者、託2其根於心地1、發2其花於詞林1也。人之在レ世不レ能2無爲1。思慮易レ遷哀樂相變。 |
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古今和歌集(元永本) 文化遺産オンライン
『古今和歌集』の仮名序と20巻を完存する最古の写本が,この元永本である。数種の染紙にさまざまな型文様を刷り出した料紙を表とし,その裏側は金銀の切箔・野毛・砂子などを撒いた豪華なものである。秀麗な書は藤原行成の曾孫・定実(?〜1077〜1119〜?)の筆と推定されている。 |
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古今和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 548首―
【巻数】二十巻 【歌数】1100首(墨滅歌を含めると1111首) 【勅宣】醍醐天皇 【成立】不明。延喜五年(905)四月十八日、奉勅か。 【撰者】紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑 【主な歌人と収録歌数】紀貫之(99首) 凡河内躬恒(60首) 紀友則(46首) 壬生忠岑(36首) 素性法師(36首) 在原業平(30首) 伊勢(23首) 藤原敏行(19首) 小野小町(18首) |
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古今和歌集(こきんわかしゅう) - Yahoo!百科事典
平安時代初期に成った、最初の勅撰(ちょくせん)和歌集。略して『古今集』ともいう。 醍醐(だいご)天皇の勅命によって、紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(とものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)が撰者として編集にあたった。成立は延喜(えんぎ)5年(905)か。ただし、これを天皇の編集の命令の下った年とみる説もあり、一定しない。 |
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『古今和歌集』を読む 〜古典文学の世界の美しさと広さを〜
よく受けるご質問から。「『古今和歌集』と『古今集』は、同じものなのですか」という質問をよく受けます。これは同じものです。・・・ |
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特殊切手「古今和歌集奏覧1100年・新古今和歌集奏覧800年記念」の発行
平安・中世を代表する勅撰和歌集「古今和歌集」「新古今和歌集」が編纂されてからそれぞれ1100年、800年を迎えます。 |
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古今和歌集 <外国文書籍>
"やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。(中略)花になくうぐひす、みづにすむかはづのこえをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、おとこ女のなかをもやわらげ、たけきもののふのこころをも、なぐさむるは哥(うた)なり。" (仮名序より) "きみがため春の野にいでて わかなつむ 我衣手に雪はふりつつ" |
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2.後撰和歌集
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後撰和歌集 (Wikipedia)
後撰和歌集(ごせんわかしゅう)は、村上天皇の下命によって編纂された第二番目の勅撰和歌集。体裁は『古今和歌集』に倣い、春(上・中・下)、夏、秋(上・中・下)、冬、恋(六巻)、雑(四巻)、離別(附 羇旅)、賀歌(附 哀傷)の二十巻からなり、総歌数は1425首。離別歌と羇旅歌とを、賀歌と哀傷歌とを併せて収めた所が独特である。 |
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後撰和歌集巻第一
春上 正月一日、二条の后宮にて、白き大袿をたまはりて 藤原敏行朝臣 0001〜1425 |
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後撰和歌集巻第八断簡 浦野切
手鑑 藻塩草 後撰和歌集巻第八断簡 浦野切 |
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定家本「後撰和歌集」情報と資料
1.概要/2.研究史・参考文献/3.論文・解題抄/4.奥書と勘物/5.周辺と関連 |
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勅撰和歌集・ 後撰和歌集 巻第五 秋上
是貞の親王の家の歌合に にはかにも風のすゞしくなりぬるか秋立日とはむべもいひけり … |
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後撰和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 105首―
【巻数】二十巻 【歌数】1425首(新編国歌大観による) 【勅宣】村上天皇 【成立】不明。天暦五年(951)十月、編纂開始。 【撰者】大中臣能宣・源順・清原元輔・紀時文・坂上望城 【主な歌人と収録歌数】紀貫之(92首) 伊勢(72首) 凡河内躬恒(27首) 藤原兼輔(24首) |
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後撰和歌集(ごせんわかしゅう) - Yahoo!百科事典
『古今(こきん)和歌集』に次ぐ第二の勅撰和歌集。略称「後撰集」。951年(天暦5)、村上(むらかみ)天皇の命により昭陽舎(梨壺(なしつぼ))に撰和歌所が設けられ、別当に藤原伊尹(これまさ)、寄人(よりうど)に大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、源順(したごう)、紀時文(きのときぶみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)のいわゆる「梨壺の五人」が任ぜられて、『万葉集』の読解と勅撰和歌集の撰集とが行われた。 |
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5.その他の勅撰集類 後撰和歌集 飛鳥井雅俊筆 室町後期写
5.その他の勅撰集類 後撰和歌集 飛鳥井雅俊筆 室町後期写 國學院大學図書館 デジタルライブラリー |
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伏見天皇宸翰後撰和歌集巻第四断簡(筑後切) 文化遺産オンライン
鎌倉時代/永仁2年(1294) 縦28.30 cm 横141.70 cm 重要文化財 |
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後撰和歌集 <書籍> 片桐洋一 校注
第2の勅撰集.私的な場での和歌を中心に編まれた,いわば襃(け)の歌の集成.紀貫之や伊勢などの歌人をはじめ,権門貴族や後宮サロンの人びとにまつわるうわさ話や恋の歌のひとつひとつが,華やかな物語的世界をつくり出す. |
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後撰和歌集 新日本古典文学大系 <書籍>
後撰和歌集 新日本古典文学大系 <書籍> 片桐洋一 校注 岩波書店 1990初版 |
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後撰和歌集 <書籍> 著者:岸上慎二 / 杉谷寿郎
後撰和歌集 <書籍> 著者:岸上慎二 / 杉谷寿郎 発行所=笠間書院 |
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後撰和歌集 天福二年本 第三巻 <書籍> (財)冷泉家時雨亭文庫 編
冷泉家時雨亭叢書第6期12巻の巻頭を飾る『後撰和歌集天福二年本』は、藤原定家が家伝来の秘本を校訂しつつ書写した貴重な典籍で、国宝。子の為家、孫で冷泉家始祖となった為相と受け継がれ、いわば冷泉家の象徴として今日に伝わる。 |
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3.拾遺和歌集
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拾遺和歌集 (Wikipedia)
『拾遺和歌集』(しゅういわかしゅう)は、古今・後撰に次ぐ第三番目の勅撰和歌集で、いわゆる「三代集」の最後にあたる。一条天皇の代、寛弘三年(1006)頃の成立か。古来、花山院の親撰もしくは院が藤原長能・源道済に撰進させたといわれてきたが、確証はない。先行する二つの勅撰集と違い、和歌所が置かれなかった。 |
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拾遺和歌集
天暦四年(1007)頃か 花山院親撰 原本:新日本古典文学大系「拾遺和歌集」 (岩波書店)を独自にテキスト化 |
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拾遺和歌集
渋谷栄一整定(C) |
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拾遺和歌集:熊野の歌
『拾遺和歌集』は、『古今和歌集』『後撰和歌集』に継ぐ第三の勅撰集(1005〜1006に成立)で、一条天皇の御代に花山上皇が自らの手で編纂した特異な勅撰集です(普通は、天皇が歌人に命じて編纂させます)。 この『拾遺和歌集』は、『万葉集』も含め、当代までの1351首を収載。紀貫之、柿本人麻呂の作品が圧倒的に多く、ともに百首をこえています。 |
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拾遺和歌集 八代集の世界
拾遺和歌集 1帖 江戸時代前期写/拾遺和歌集 1帖 鎌倉時代中期写/拾遺和歌集 2冊 江戸時代前期写 |
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拾遺和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 213首―
【巻数】二十巻 【歌数】1351首(新編国歌大観による) 【勅宣】花山院 【成立】不明。寛弘二、三年(1005〜06)頃とする説が有力。 【撰者】不明。花山院親撰とするのがほぼ定説。藤原長能・源道済らが関与したとの説もある。 【主な歌人と収録歌数】紀貫之(113首) 柿本人麿(104首) 大中臣能宣(62首) 清原元輔(48首) 平兼盛(39首) |
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拾遺和歌集 (単行本)
第3の勅撰集.王朝和歌の規範となった古今集的表現は,「拾遺集」に至り完成される. 華麗な宮廷社会の行事和歌,人麿・貫之への崇拝,情と理の調和した,優しくしめやかな詠風. 屏風歌中心の四季歌,柿本人麻呂など古歌中心の恋歌.心と詞の調和した優美平淡な余情美は,後世,藤原定家や後鳥羽院に称揚される. |
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4.後拾遺和歌集/
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後拾遺和歌集 (Wikipedia)
後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)は八代集の第四、『拾遺集』の後継たるべく編まれた勅撰和歌集である。勅命は白河天皇、撰者は藤原通俊。承保二年(1075年)奉勅、応徳3年(1086年)9月16日完成を見、同年10月奏覧された。二十巻、総歌数1218首(新編国歌大観本)。 |
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後拾遺和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 124首―
【巻数】二十巻 【歌数】1218首(新編国歌大観による) 【勅宣】白河天皇 【成立】応徳三年(1086)九月十六日完成奏上。十月、奏覧。翌寛治元年(1087)二月、再奏。 【撰者】藤原通俊 【主な歌人と収録歌数】和泉式部(68首) 相模(39首) 赤染衛門(32首) 能因法師(31首) 伊勢大輔(26首) |
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5.金葉和歌集/
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金葉和歌集 (Wikipedia)
『金葉和歌集』(きんようわかしゅう)は第五番目の勅撰和歌集で、『後拾遺集』の後、『詞花集』の前に位置する。 白河院の院宣により源俊頼が編纂。天治元年(1124)末、初めて奏覧した(初度本)が、不備があり天治二年四月頃、改訂本を再度奏覧(二度本)、しかしまた却下され、大治元年(1126)または翌年、三度奏覧してようやく嘉納された(三奏本)。 |
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金葉和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 26首―
【巻数】十巻 【歌数】伝本によって違いが甚だしい。新編国歌大観所収の二度本は665首。 【勅宣】白河院 【成立】天治元年(1124)末または二年初、上奏(初度本)。天治二年四月頃、再奏(二度本)。大治元年(1126)または翌年、再々奏(三奏本)。 【撰者】源俊頼 【主な歌人と収録歌数】源俊頼(31首) 源経信(26首) 藤原公実(23首) 藤原顕季(20首) 藤原忠通(15首) |
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6.詞花和歌集/
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詞花和歌集 (Wikipedia)
詞花和歌集(しかわかしゅう)は、八代集の第六にあたる勅撰和歌集。天養元年(1144)に崇徳院が下命し、藤原顕輔(1090〜1155年)が撰者となって編集、仁平元年(1151)になって完成奏覧された。十巻、総歌数415首。また、『金葉集』三奏本があまり流布しなかったため、金葉三奏本との間でかなり重複がある。 |
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詞花和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 20首―
【巻数】十巻 【歌数】415首(新編国歌大観による) 【勅宣】崇徳院 【成立】天養元年(1144)六月二日、崇徳院の院宣あり撰集開始、仁平元年(1151)完成奏覧。 【撰者】藤原顕輔 【主な歌人と収録歌数】曾禰好忠(17首) 和泉式部(16首) 大江匡房(13首) 源俊頼(11首) 花山院・道命法師(9首) |
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7.千載和歌集/
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千載和歌集 (Wikipedia)
寿永二年(1183年) 後白河院の下命により、藤原俊成が着手し、文治四年(1188年)4月22日に奏覧。俊成の私撰集『三五代集』を基に編纂されたという。構成は春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、離別、羇旅、哀傷、賀、恋(五巻)、雑(上・中・下)、釈教、神祇の部立からなる二十巻で、歌数は1288首。そのほとんどが短歌である。 |
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千載和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 206首―
【巻数】二十巻 【歌数】1288首(新編国歌大観による) 【勅宣】後白河院 【成立】寿永二年(1183)二月、院宣下命。文治三年(1187)九月二十日、形式的奏覧(千載集序文)。文治四年四月二十二日、奏覧(明月記など)。その後も改訂作業があり、同年8月までに最終的な奏覧がなされたと推測されている。 【撰者】藤原俊成 【主な歌人と収録歌数】源俊頼(52首) 藤原俊成(36首) 藤原基俊(26首) 崇徳院(23首) 俊恵(22首) |
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8.新古今和歌集
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新古今和歌集 (Wikipedia)
『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)は鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。古今和歌集以後の8勅撰和歌集、いわゆる「八代集」の最後を飾る。… 「万葉」「古今」と並んで三大歌風の一である「新古今調」を作り、和歌のみならず後世の連歌・俳諧・謡曲へ絶大な影響を残した。 |
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新古今和歌集
和歌文学辞典(有吉 保編者,桜楓社)より |
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新古今和歌集
元久二年(1205)奏覧・竟宴 勅:後鳥羽上皇 撰者:源通具、藤原有家、藤原定家、 藤原家隆、藤原経雅、寂連 原本:新日本古典文学大系「新古今和歌集」 |
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新古今和歌集
新古今和歌集序 : 夫和歌者、群徳之祖、百福之宗也。玄象天成、五際六情之義未著、素鵞地静、三十一字之詠甫興。爾来源流寔繁、長短雖異、或抒下情而達聞、或宣上徳而致化、或属遊妻而書懐、或採艶色而寄言。誠是埋世撫民之鴻徽、賞心楽事之亀鑑者也。 |
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平成新古今和歌集
お蔵入り実写版 駄洒落1 駄洒落2 おばちゃん B級タレントの一言 |
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新古今和歌集の部屋
新古今和歌集の成立と本HPの開設趣旨 : 新古今和歌集は、ご存知な様に、古今、後撰、拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載に続く源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、寂蓮(途中没)を撰者として、後鳥羽院より正治二年(1200年)十一月三日に「上古以後の和歌を撰進せよ」との院宣を賜って勅撰された和歌集です。 |
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新古今和歌集の検索
巻別、作者別、五十音、場面、年代、動植物別、贈答歌別に探せます。個々の歌までのリンクは、今の所一部だけです。 (17年5月4日204首→19年立夏832首→20年立秋917首→立冬1009首) |
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新古今和歌集仮名序
やまとうたは、昔あめつち開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵞の里よりぞつたはりける。・・・ |
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新続古今和歌集 秀歌選
【勅宣】後花園天皇/成立】将軍足利義教が撰集を発意し、永享五年(1433)八月二十五日、後花園天皇の綸旨が下る。同十年八月二十三日、四季部奏覧。同十一年六月二十七日、完成返納。/【撰者】飛鳥井雅世/【書名】かつて飛鳥井家の歌人(雅経)が撰者となった唯一の勅撰集である新古今集を顕彰すると共に、勅撰集の祖である古今集に追随する意図を以ての命名か。 |
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古今和歌集・新古今和歌集
古今和歌集・新古今和歌集に関して、以下に掲載する書物は、古今和歌集・新古今和歌集を、単独に 「研究」 しようとして所蔵しているのではなくて、文学史のなかで、万葉集と対比しながら読むために所蔵している。 |
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新古今和歌集の小道を散歩
新古今和歌集の鑑賞と批評を固定観念にとらわれずに独断と偏見で書いた鑑賞文です。明日の活力ににつながればと念じています。 |
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新古今和歌集 PDF(上 下 )
上冊墨付一四八丁。初丁は遊紙。真名序・仮名序の次に遊紙一丁。巻末白紙四丁。下冊墨付一三五丁。初丁は遊紙。巻末白紙六丁。各面一〇行。縦二五.四cm、横一七cm。字高二一cm前後。料紙鳥の子。綴葉装。題簽下絵入朱色。藍色金砂子表紙。奥書なし。 |
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新古今和歌集 古典を読んで
251 鵜かひ舟あはれとぞ見るもののふの八十(やそ)宇治川の夕闇の空 慈円 |
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「新古今和歌集竟宴倭歌」一巻
元久2(1205)3月26日,新古今集の勅撰事業完成を祝って後鳥羽院により召集され |
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新古今和歌集 -み熊野ねっと-
『新古今和歌集』は、鎌倉時代の初めに、後鳥羽上皇の下命により編纂された勅撰第八歌集です。 後鳥羽上皇も熱心な熊野信者でした。熊野御幸の回数は28回。 最多の熊野御幸の回数を誇る後白河上皇は35年の在院期間のうちに34回の熊野御幸を行ったのに対し、後鳥羽上皇は24年の在院期間のうちに28回。 往復におよそ1ヶ月費やす熊野御幸を後鳥羽上皇はおよそ10ヶ月に1回という驚異的なペースで行いました。 |
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新古今和歌集 西行関係分抜粋
いはまとぢしこほりもけさはとけそめてこけのしたみづみちもとむらん ・・・ |
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「月読庵」~詠待月~ 新古今和歌集
空はなを かすみもやらず 風さえて 雪げにくもる 春の夜の月 / 空は春というのにまだ霞きらずに風は寒く、 雪げの雲がかかってそのため朧な春の夜の月よ。 |
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新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)
第八番目の勅撰和歌集。後鳥羽上皇の命で元久二年(1205)成立。撰者の藤原定家をはじめ優れた歌人が輩出し、史上最も完成度の高い歌集とされています。 |
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★NHK高校講座 新古今和歌集 定家 後鳥羽院他
第20回〜第24回は、和歌を学習します。 万葉集、古今和歌集、新古今和歌集を通して歌人たちの心と詩歌の伝統を味わいましょう。 |
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新古今和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 567首―
【巻数】二十巻 【歌数】1978首(新編国歌大観による 【勅宣】後鳥羽院 【成立】建仁元年(1201)和歌所設置。元久元年(1204)選定作業終了。元久二年三月二十六日、竟宴。建保四年(1216)後鳥羽院による切継が一旦完了。承久三年(1221)以後、さらに切継が継続される(「隠岐本」)。 【撰者】源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経 【主な歌人と収録歌数】西行(95首) 慈円(91首) 藤原良経(79首) 藤原俊成(72首) 式子内親王(49首) |
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古今和歌集(しんこきんわかしゅう) - Yahoo!百科事典
第8番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。20巻。鎌倉初期の成立。後鳥羽院(ごとばいん)の下命によって撰進された。撰者は源通具(みちとも)、藤原有家(ありいえ)、藤原定家(ていか)、藤原家隆(いえたか)、藤原雅経(まさつね)、寂蓮(じゃくれん)。在来の勅撰集と異なり、院自ら撰集作業に参加され、序、詞書(ことばがき)も院の立場において記され、「親撰体」の集の最初の集となる。 |
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古今和歌集奏覧1100年・新古今和歌集奏覧800年記念
特殊切手「古今和歌集奏覧1100年・新古今和歌集奏覧800年記念」の発行 |
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樋口芳麻呂 「和歌の新風−『新古今和歌集』とそれ以後」
後堀河院〔1212〜34.23歳〕の皇子四条天皇〔1231〜42.12歳〕が仁治三年一月に十二歳で崩じた後、執権北条泰時〔1183〜42.60歳〕は、次代の天皇として土御門天皇〔1195〜1231.37歳〕の皇子を推戴する。・・・ |
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新古今和歌集 (千二百一〜千二百十六) 縦書き新古今集
新古今和歌集 仮名序 : やまとうたは、むかしあめつちひらけはじめて、人のしわざいまださだまらざりし時、葦原中国のことのはとして、稲田姫素鵞のさとよりぞつたはれりける。・・・ |
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『古今和歌集』を読む 〜古典文学の世界の美しさと広さを〜
よく受けるご質問から。「『古今和歌集』と『古今集』は、同じものなのですか」という質問をよく受けます。これは同じものです。 また、『新古今和歌集』(『新古今集』)というよく似た名前の歌集との関係については、両者は全く別のものです。… |
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しんこきんわかしゅう【新古今和歌集】 学習百科事典 キッズネット
倉(かまくら)時代初期(しょき)につくられた勅撰(ちょくせん)和歌集。20巻(かん)。1205年,後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の命で藤原定家(ふじわらのていか)・家隆(いえたか)らが選者(せんじゃ)となって編(へん)さんした。王朝和歌の伝統(でんとう)を受けついだ歌風は,繊細(せんさい)・優雅(ゆうが)で,技巧(ぎこう)をこらしたおもむきのある独特(どくとく)の美の世界をつくっている。 |
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新古今和歌集(しんこきんわかしゅう) ―第八番目の勅撰和歌集―
第八番目の勅撰和歌集。二十巻。元久二年(1205)成立。歌数約二千首。 後鳥羽院の命により、源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮(途中没)の六人の撰。 |
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新古今和歌集(しんこきんわかしゅう) ShinKokin WakaSyuu 京都の歌道
新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)は、鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰集 8勅撰和歌集「八代集」の最後の和歌集 |
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古今和歌集奏覧1100年・新古今和歌集奏覧800年記念 お金と切手の展示室
醍醐天皇の命により延喜五年(905年)に成立した古今和歌集は、新たな王朝風文化時代の始まりを象徴する歌集となっています。・・・ |
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「新古今和歌集 上」 伝源親行筆 鎌倉時代写 國學院大學図書館 デジタルライブラリー
「新古今和歌集 上」 伝源親行筆 鎌倉時代写 國學院大學図書館 デジタルライブラリー 資料点数:全219点 |
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新訂 新古今和歌集 (岩波文庫) <書籍>
全20巻。万葉調・古今調と並んで、三歌風の一典型を作った勅撰和歌集。俊成は余韻・余情の世界を統合して幽玄の世界をうちたて、定家は幽玄の世界を分析して有心を設定した。現実の暗さから逃れるために自然観照へと集中しその技巧は極限にまで達した。連歌や芭蕉に多くの影響を与え、芭蕉の「わび」もこれを起点としている。 |
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新古今和歌集 <書籍> [編者] 小林大輔
伝統的な歌の詞を用いて新しい内容を表現することを目指し、『万葉集』『古今和歌集』とは異なった独自の歌風を作り上げ構成された約二千首の中から、大いに味わって欲しい八十首を厳選。振り仮名付きで朗読に最適。 |
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新古今和歌集 <書籍> 田中 裕,赤瀬 信吾 校注
王朝美学の粋を凝縮し八代集の掉尾を飾る勅撰集.ことばのもつイメージが重なり合って繰り広げられる絵画的・幻想的世界と,そこにたたえられる優艷な情趣とは,新古今風として後代に多大の影響を与えた. |
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藤原定家『《新潮日本古典集成》新古今和歌集 上』 <書籍>
美しく響きあう言葉のなかに人生への深い観照が流露する、藤原定家・式子内親王・後鳥羽院などによる和歌の精華二千首。作者略伝をはじめ充実した付録。 |
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藤原定家『《新潮日本古典集成》新古今和歌集 下』 <書籍>
美しく響きあう言葉のなかに人生への深い観照が流露する、藤原定家・式子内親王・後鳥羽院などによる和歌の精華二千首。作者略伝をはじめ充実した付録。 |
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9.新勅撰和歌集/
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新勅撰和歌集 (Wikipedia)
『新勅撰和歌集』(しんちょくせんわかしゅう)は十三代集の最初、通算で第九勅撰和歌集。別名、宇治川集など。 貞永元年(1232年)六月十三日、後堀河天皇の下命を受けた藤原定家が単独で撰し、上皇の死後も九条道家・教実父子の後援で編纂事業が引き継がれ、四条天皇代の文暦二年(1235年)三月十二日、完成し奏上。仮名序も定家筆。20巻、伝本によって歌数が違うが、1370首強ある。 |
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新勅撰和歌集 秀歌選
【勅宣】後堀河天皇 【成立】貞永元年(1232)六月十三日、奉勅。文暦二年(1235)三月十二日、完成。 【撰者】藤原定家 【書名】定家による仮名序に書名の由来は語られていないが、「新」の字を冠せたのは新古今集を意識したものか。勅撰集のあるべき姿を示して、後世の新たな模範たらんとした定家の意気が窺える命名である。 【主な歌人】藤原家隆(43首)・藤原良経(36首)・藤原俊成(35首)・藤原公経(30首)・慈円(27首)・源実朝(25首)・藤原道家(25首)・藤原雅経(20首)・相模(18首)・殷富門院大輔(15首)・藤原定家(15首)・西園寺実氏(15首)・紀貫之(14首)・西行法師(14首)・式子内親王(14首)・源俊頼(13首)・二条院讃岐(13首)・八条院高倉(13首) |
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10.続後撰和歌集/
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続後撰和歌集 (Wikipedia)
『続後撰和歌集』(しょくごせんわかしゅう)は、後嵯峨上皇の命により編纂された10番目の勅撰和歌集。撰者は冷泉為家。20巻。歌人は藤原定家、藤原俊成、後鳥羽上皇、後嵯峨上皇などでおよそ1400首を納める。 なお、冷泉家時雨亭文庫に、撰者自筆本が伝存しており、昭和59年に重要文化財に指定された。 |
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続後撰和歌集 秀歌選
【勅宣】後嵯峨院 【成立】宝治二年(1248)七月二十五日、奉勅。建長三年(1251)十月二十七日、奏覧(拾介抄)。 【撰者】藤原為家 書名】撰者為家が父定家の新勅撰集を古今集に見立て、自らの撰集は後撰集になぞらえたと見るのが普通である。序を欠くなど、構成の上でも後撰集を踏襲していると見られる。 【主な歌人】藤原定家(43首)・西園寺実氏(34首)・後鳥羽院(29首)・藤原良経(29首)、藤原俊成(28首)、土御門院(26首)・後嵯峨院(25首)・慈円(22首)・順徳院(17首) |
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11.続古今和歌集/
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続古今和歌集 (Wikipedia)
『続古今和歌集』(しょくこきんわかしゅう)は鎌倉時代の勅撰集で、二十一代集の第十一番目。春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、神祇、釈教、離別、羇旅、恋(五巻)、哀傷、雑(三巻)、賀の全20巻からなる。総歌数1915首(伝本によって異同がある)。 撰者の一である九条基家筆の仮名序と、菅原長成筆の真名序を持つ。歌人を当世と故者に分けて、入集歌数および略伝を附す「続古今和歌集目録」も伝わる。 |
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続古今和歌集 秀歌選
【勅宣】後嵯峨院 【成立】正元元年(1259)、奉勅。文永二年(1265)十二月二十六日、奏覧。同三年三月十二日、竟宴。 【撰者】藤原家良(完成前に没)・藤原基家・藤原為家・藤原行家・真観 【書名】古今・新古今を勅撰集の正道と見なし、この二集を引き継ぐ意図を以て命名されたことが仮名序に明言されている。事実、複数撰者を任命し、仮名序・真名序を付すなど、古今・新古今を踏襲する姿勢をみせる。また院による親撰や竟宴が行なわれた点は新古今集に倣っている。 【主な歌人】宗尊親王(67首)・西園寺実氏(61首)・藤原定家(56首)・後嵯峨院(54首)・後鳥羽院(49首)・藤原為家(44首)・藤原家隆(41首)・土御門院(38首)・順徳院(35首)・藤原知家(32首)・藤原光俊(30首)・藤原良経(28首)・藤原俊成(28首) |
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12.続拾遺和歌集/
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続拾遺和歌集 (Wikipedia)
『続拾遺和歌集』(しょくしゅういわかしゅう)は、建治2年(1276年)、亀山上皇の命によって編纂された12番目の勅撰和歌集。20巻。撰者は二条為氏。歌人は後嵯峨上皇、藤原為家、藤原定家、西園寺実氏、藤原俊成、藤原信実などで、約1500首を収める。序がなく、また武士の歌も収録されているという。 |
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続拾遺和歌集 秀歌選
【勅宣】亀山院 【成立】建治二年(1276)七月、奉勅。弘安元年(1278)十二月二十七日、奏覧。 【撰者】藤原為氏 【書名】祖父定家の新勅撰集を古今集と見立て、父為家の続後撰集を受け継ぐ意思を示した命名であろう。すなわち御子左家による新しい三代集の掉尾を飾ろうとの思いである。 【主な歌人】藤原為家(43首)・後嵯峨院(33首)・藤原定家(29首)・西園寺実氏(28首)・藤原俊成(22首)・藤原信実(21首)・藤原為氏(21首)・亀山院(20首)・一条実経(20首)・藤原基家(20首) |
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13.新後撰和歌集/
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新後撰和歌集 (Wikipedia)
『新後撰和歌集』(しんごせんわかしゅう)は、正安3年(1301年)に、後宇多天皇の命により編纂された13番目の勅撰和歌集。津守集とも。20巻。二条為世撰。歌人は藤原定家、藤原為家、藤原俊成、亀山上皇などで、歌数はおよそ1600首。なお、異称「津守集」は、津守氏の歌が多いことに由来するという。 |
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新後撰和歌集 秀歌選
【勅宣】後宇多院 【成立】正安三年(1301)十一月二十三日、下命。嘉元元年(1303)十二月十九日、奏覧。 【撰者】藤原(二条)為世。和歌所開闔(かいこう)、長舜。連署、二条為藤・定為・長舜・津守国冬・津守国道。 【書名】撰者の祖父為家が撰した続後撰集の名称に追随したものと思われる。 【主な歌人】藤原定家(32首)・藤原為家(28首)・藤原為氏(28首)・西園寺実兼(27首)・後嵯峨院(25首)・亀山院(25首)・後宇多院(20首)・伏見院(20首)・鷹司基忠(20首)、後二条天皇(18首)・藤原俊成(18首)・藤原家隆(18首) |
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14.玉葉和歌集/
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玉葉和歌集 (Wikipedia)
玉葉和歌集(ぎょくようわかしゅう)は鎌倉時代の勅撰集。第14勅撰。20巻、歌数は2801首で、勅撰集の中で最大。部類の構成は春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、賀、旅、恋(五巻)、雑(五巻)、釈教、神祇の順。 伏見院の院宣を奉じて京極為兼(1254−1332)が撰進。正和元年3月28日(1312年5月5日)に奏覧され(『増鏡』)、切継作業を経て同2年10月に完成。 |
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玉葉和歌集 秀歌選
【勅宣】伏見院 【成立】応長元年(1311)五月三日、奉勅。正和元年(1312)三月二十八日、完成奏覧。 【撰者】京極為兼 【書名】「玉葉」は「美しい言の葉」、すなわち秀歌にほぼ同義。三代集に追随する従来の命名法から脱するとともに、万葉集を意識して名付けたものであろう。 【主な歌人】伏見院(93首)・藤原定家(69首)・西園寺実兼(62首)・藤原為子(60首)・藤原俊成(59首)・西行(57首)・藤原為家(51首)・永福門院(49首)・藤原為兼(36首)・和泉式部(34首)・西園寺実氏(31首)・源親子(30首)・慈円(28首)・紀貫之(26首)・人麿(24首) |
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15.続千載和歌集/
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続千載和歌集 (Wikipedia)
続千載和歌集(しょくせんざいわかしゅう)は、文保2年(1318年)、後宇多法皇の命によって編纂された15番目の勅撰和歌集。20巻。二条為世撰。主な歌人は、二条為氏、西園寺実兼、藤原為家、藤原定家など。歌数はおよそ2100首。 |
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続千載和歌集 秀歌選
【勅宣】後宇多院 【成立】『勅撰集次第書』によれば、文保二年(1318)十月三十日奉勅、同三年四月十九日四季部奏覧、元応二年(1320)七月二十五日返納。 【撰者】二条為世 【書名】歌道家としての御子左家を確立した藤原俊成(撰者為世の高祖にあたる)の撰になる千載集に対し敬意を表し、これに追随する意図を以ての命名であろう。 【主な歌人】後宇多院(52首)・西園寺実兼(51首)・藤原為氏(42首)・二条為世(36首)・藤原俊成(29首)・藤原為家(29首)・藤原定家(28首)・後二条天皇(21首)・津守国助(21首)・覚助法親王(20首)。 |
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16.続後拾遺和歌集/
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続後拾遺和歌集 (Wikipedia)
続後拾遺和歌集(しょくごしゅういわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。二条為藤、二条為定撰。十三代集の8番目。 元亨3年(1323年)7月21日、為藤が後醍醐天皇の勅命により着手、翌4年為藤の死亡後、為定が命をつぎ、正中3年(1326年)撰進。序はない。歌数1347首。叙景歌にすぐれているものの、力がとぼしく、二条家の平凡化してゆく頽勢をしめしている。 |
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続後拾遺和歌集 秀歌選
【勅宣】後醍醐天皇 【成立】元亨三年(1323)七月、奉勅。正中二年(1325)十二月十八日、四季部奏覧。嘉暦元年(1326)六月九日、完成返納。前代の続千載集からわずか六年後の撰進であった。 【撰者】二条為藤・二条為定 (初め為藤に命が下ったが、為藤は正中元年七月、撰の半ばで急逝し、同年十一月、撰者の任を養子の為定に引き継ぐ旨の勅定が下った。) 【書名】後拾遺集を意識したもの。初めは「新拾遺」とすべきとの意見があったが、披露の際「続後拾遺」と変更されたとの伝がある。 【主な歌人】藤原為氏(23首)・藤原為家(22首)・二条為世(20首)・藤原定家(20首)・後宇多院(19首)・後醍醐天皇(17首)・小倉公雄(15首)・伏見院(13首)・西園寺実兼(13首)・二条為藤(13首)・鷹司冬平(13首)・覚助法親王(13首) |
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17.風雅和歌集/
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風雅和歌集 (Wikipedia)
風雅和歌集(ふうがわかしゅう)は第17勅撰集。20巻、総歌数2211首。構成上、先行する『玉葉集』と異なるのは、春・秋を各三巻に増大した代わり、雑歌を玉葉の五巻から三巻に縮め、また賀歌を掉尾に置き換えたことである。春・秋の歌各三巻という構成は『後撰和歌集』を模した可能性が指摘されている。 |
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風雅和歌集 秀歌選
【勅宣】花園院 【成立】貞和二年(1346)十一月九日、竟宴。貞和四年までにほぼ完成。 【撰者】花園院監修、光厳院親撰。寄人は正親町公蔭・玄哲(藤原為基)・冷泉為秀。 【書名】花園院ははじめ「正しき風、古の道、末の世に絶えずして、人のまどひをすくはんが為」(仮名序)との意図から「正風和歌集」を考えていたが、この名は呉音で「傷風」に通じるため、「風雅」の名に改めたという。「風雅」は「古来より伝わる詩歌の道」ほどの意。 【主な歌人】伏見院(85首)・永福門院(68首)・花園院(54首)・京極為兼(52首)・藤原為子(39首)・藤原定家(36首)・後伏見院(35首)・光厳院(31首)・徽安門院(30首)・藤原俊成(28首)・紀貫之(28首)・進子内親王(28首)・永福門院内侍(27首)・後鳥羽院(27首)・藤原為家(26首)・儀子内親王(26首)・正親町公蔭(24首)・藤原為基(22首) |
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18.新千載和歌集/
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新千載和歌集 (Wikipedia)
『新千載和歌集』(しんせんざいわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。藤原為定撰。二十一代集の18番目。足利尊氏の執奏により、延文元年(1356年)6月、後光厳天皇から綸旨がくだり、1359年撰進。序はない。歌数約2360首。部立は、春上下、夏、秋上下、冬、離別、羇旅、神祇、恋一二三四五、雑上中下、哀傷、慶賀。『千載和歌集』、『続千載和歌集』の形式にならった。 |
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新千載和歌集 秀歌選
【勅宣】後光厳天皇 【成立】延文元年(1356)六月十一日、将軍足利尊氏の執奏により、後光厳天皇が勅撰集撰進の綸旨を下す。延文四年(1359)四月二十八日、四季部奏覧。同年十二月二十五日、全巻返納。 【撰者】二条為定 【書名】歌道家御子左家の祖俊成の撰になる千載集に敬意を表すると共に、撰者為定の祖父にあたる為世撰の続千載集に追随する意図を以ての命名であろう。 【主な歌人】二条為世(42首)・二条為定(36首)・伏見院(27首)・後宇多院(25首)・藤原為氏(25首)・後醍醐院(24首)・花園院(23首)・足利尊氏(22首)・二条為藤(22首)・二条為道(20首)・光厳院(20首)・藤原為子(17首)・京極為兼(16首) |
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19.新拾遺和歌集/
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新拾遺和歌集 (Wikipedia)
『新拾遺和歌集』(しんしゅういわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。二条為明撰。二十一代集の19番目。 貞治2年(1363年)、武家の執奏により後光厳天皇より綸旨が下った。貞治3年(1364年)4月20日、四季奏覧。10月、為明の死去により頓阿が継いで、12月に成る。部立は、春上下、夏、秋上下、冬、賀、離別、羇旅、哀傷、恋一二三四五、神祇、釈教、雑上中下。雑下に『拾遺和歌集』の組織をまねて雑体歌をのせた。 |
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新拾遺和歌集 秀歌選
【勅宣】後光厳天皇 【成立】貞治二年(1363)二月二十九日、将軍足利義詮の執奏により後光厳天皇が二条為明に撰進を下命。同三年(1364)四月二十日、四季部奏覧。同年十月二十七日、為明が病没したため、頓阿が後を継いで、同年十二月に返納。 【撰者】二条為明(完成前に没。頓阿が引き継いで完成) 【書名】撰者為明の曾祖父為氏が撰した続拾遺集、父為藤が撰した続後拾遺集に追随したものであろう。 【主な歌人】二条為藤(27首)・二条為世(24首)・藤原定家(23首)・藤原為家(22首)・二条為定(20首)・伏見院(20首)・藤原家隆(19首)・藤原為氏(18首)・後光厳院(16首)・足利尊氏(16首)・光厳院(15首)・花園院(15首)・柿本人丸(15首)・足利義詮(15首) |
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20.新後拾遺和歌集/
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新後拾遺和歌集 (Wikipedia)
『新後拾遺和歌集』(しんごしゅういわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。二十一代集の20番目。後円融院の永和元年(1375年)6月29日、二条為遠が勅を奉じ、永徳元年(1381年)撰者死後、二条為重がおおせによりついで、同3年(1383年)10月28日成る。永徳2年(1382年)筆の二条良基の序がある。歌数は1554首。部立は、『続拾遺和歌集』にならった。二条家撰の最後の集である。 |
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新後拾遺和歌集 秀歌選
【勅宣】後円融天皇 【成立】将軍足利義満の執奏により、永和元年(1375)六月二十九日、後円融天皇の勅命が二条為遠に下る。永徳元年(1381)八月二十七日、撰者為遠が急逝し、同年十月二十八日、為重に撰者継承の勅命が下る。永徳二年(1382)三月十七日、四季部奏覧。同三年十月二十八日、返納。翌至徳元年(1384)十二月、再返納。 【撰者】二条為遠(完成前に没)・二条為重 【書名】後拾遺集の下命された承保二年乙卯(1075)を佳例とし、干支を同じくする永和元年奉勅の本集を後拾遺集に倣って新後拾遺集と名付けたもの。 【主な歌人】二条良基(29首)・二条為定(28首)・後円融天皇(24首)・二条為重(23首)・近衛道嗣(19首)・足利義詮(19首)・足利義満(19首)・藤原定家(18首)・足利尊氏(18首)・藤原為家(15首)・藤原為氏(15首)・二条為世(14首)・二条為冬(13首)・伏見院(12首)・宗尊親王(12首)・藤原家隆(11首)・九条良経(11首) |
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21.新続古今和歌集/
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新続古今和歌集 (Wikipedia)
室町幕府第6代将軍足利義教の執奏により、後花園天皇の勅宣を以って権中納言飛鳥井雅世(初名雅清)が撰進、和歌所開闔として堯孝が編纂に助力した。永享五年(1433)八月二十五日下命、同十年(1438)八月二十三日四季部奏覧、翌十一年六月二十七日成立。真・仮名序は共に一条兼良の筆。撰進のために応製百首(永享百首)が召され、宝治(後嵯峨院)・弘安(亀山院)・嘉元(後宇多院)・文保(同)・貞和(尊円法親王)度の百首歌も選考資料となった。 |
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新続古今和歌集 秀歌選
【勅宣】後花園天皇 【成立】将軍足利義教が撰集を発意し、永享五年(1433)八月二十五日、後花園天皇の綸旨が下る。同十年八月二十三日、四季部奏覧。同十一年六月二十七日、完成返納。 【撰者】飛鳥井雅世 【書名】かつて飛鳥井家の歌人(雅経)が撰者となった唯一の勅撰集である新古今集を顕彰すると共に、勅撰集の祖である古今集に追随する意図を以ての命名か。 【主な歌人】飛鳥井雅縁(29首)・九条良経(28首)・後小松院(26首)・藤原俊成(22首)・藤原定家(19首)・頓阿(19首)・後鳥羽院(18首)・足利義教(18首)・飛鳥井雅経(18首)・飛鳥井雅世(18首)・飛鳥井雅有(14首)・二条為定(14首)・順徳院(13首)・藤原家隆(13首)・慶運(13首) |
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准勅撰 新葉和歌集/
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新葉和歌集 (Wikipedia)
新葉和歌集(しんようわかしゅう)は南北朝時代の和歌集。准勅撰とされる。後醍醐天皇皇子宗良親王(1311−1385?)の撰。南朝の長慶天皇代、弘和元年(1381年)十二月三日奏覧。20巻、約1420首。部立の順序は春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、離別、羇旅、神祇、釈教、恋(五巻)、雑(三巻)、哀傷、賀歌。 |
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新葉和歌集 秀歌選
【成立】宗良親王の手によってほぼ完成に至っていた南朝歌人の集大成的歌集につき、弘和元年(1381)十月十三日、長慶天皇より勅撰集に擬せられる旨の綸言が下り、同年十二月三日、宗良親王は同集を改訂の上奏覧した 【撰者】宗良親王 【書名】「新葉」は「新しい歌」の意。序に「上、元弘のはじめより、下、弘和の今に至るまで」「折にふれ時につけつつ言ひあらはせる言の葉どもを」云々と説き明かしている。 【主な歌人】後村上院(100首)・宗良親王(99首)・長慶院(52首)・花山院家賢(52首)・花山院師賢(49首)・後醍醐天皇(46首)・洞院公泰(45首)・尊良親王(44首)・二条為忠(40首)・関白左大臣(二条教頼か)(28首)・北畠親房(27首)・花山院長親母(26首)・花山院長親(25首)・花山院師兼(24首) |
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梁塵秘抄.1184
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梁塵秘抄 (Wikipedia)
梁塵秘抄(りょうじんひしょう)は平安時代末期に編まれた歌謡集。今様歌謡の集成。編者は後白河法皇。治承年間(1180年前後)の作。 後白河法皇は少年のときより、今様と呼ばれる歌謡を好んだ。歌の上手を召して多くの歌謡を知ったが、死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にした。また、歌謡の歴史などについて、別に口伝集十巻を残した。 書名の「梁塵」は、名人の歌で梁の塵も動いたという故事より、すぐれた歌のこと。 |
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梁塵秘抄
『梁塵秘抄』より(参照:岩波文庫,小学館「日本古典文学全集」) 遊びをせんとや生れけむ……(359) |
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梁塵秘抄、熊野を歌う今様
『梁塵秘抄』は、後白河上皇(1127〜1192)の撰による歌謡集。平安末期の遊女(あそび)や傀儡子(くぐつ)などの女芸人によって歌われ、広められた流行歌(「今様」と呼ばれた)の集大成です(1169年ころ成立)。後白河上皇は、少年時代から今様(いまよう)に夢中になり、女芸人に弟子入り、今様を伝授され、ついには自らが今様の第一人者になってしまいます。… この後白河上皇、じつは大の熊野信者だったのです。 |
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梁塵秘抄 (566首) 後白河法皇撰
001:(長歌)祝 そよ、君が代は千代にひとたびゐる塵の白雲かかる山となるまで。 |
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梁塵秘抄 (ちくま学芸文庫) (文庫)
中世の流行歌「今様」を後白河院が編んだ「梁塵秘抄」。登場するのは遊女、傀儡子、博徒、修験僧など秩序の外側に生きる人々だった。分けても、歌と舞いを生業として諸国をめぐる「遊女」の口の端にかかったとおぼしき歌は多い。遊びの歌、男女の歌、日常の喜びや悲しみの歌、思いをいかにも生き生きとリズミカルに表現する歌の数々。 |
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梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡 <書籍>
「梁塵秘抄巻第一は、天理図書館綾小路家本(室町時代書写。翻刻番号四六五)を底本とし、東京大学国語研究室蔵押小路家本を以て校合した。巻第二は、現存唯一の伝本たる天理図書館蔵竹柏園旧蔵本(江戸時代書写。翻刻番号四六六)を底本とした。 |
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近代秀歌.1209 .
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近代秀歌
藤原定家が、承元三年(1209年)に源実朝に送った歌論書(遣送本)で、秘々抄、定家和歌式などとも呼ばれます。そして承久の変の後の間もない頃に修正を加えたもの(自筆本)があります。 遣送本には、近代六人の歌人のものを例歌としたもの、自筆本は、秀歌例として八代集抄から83首、が書かれておりそのうち新古今和歌集のものを集めてみました。 |
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近代秀歌 藤原定家
いまは、そのかみのことに侍べし。ある人の、うたはいかやうによむべきものぞと、とはれて侍しかば、をろかなる心にまかせて、わづかにおもひえたることを、かきつけ侍し。いさゝかのよしもなく、たゞ、ことばにかきつゞけて、をくり侍し。見ぐるしけれど、たゞおもふまゝのひがごとに侍べし。 |
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藤原定家の『近代秀歌』
歌論書。1巻。藤原定家の著作として最も信頼すべきものの一。1209年(承元3)成立。元来、源実朝のための作歌指導書で、詞ことばは古きを慕い、心は新しきを求めるべきことを主張、経信・俊頼以下の近代歌人の秀歌を挙げる。後に定家は、例歌を入れかえた。(広辞苑第五版より) Maniac-IME Top / ME情報 / ME辞書ダウンロード / アップローダ / BBS / その他 / サイトマップ |
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「自筆本 近代秀歌」例歌
「近代秀歌」は、鎌倉三代将軍源実朝の求めに応じ、承元三年(1209)、四十代後半だった藤原定家が書いて贈った歌論書。秘々抄・詠歌口伝・定家和歌式などとも称される。実朝に贈った原形を定家自身が改編した「自筆本」と呼ばれる本は、建保三年(1215)以降、承久の変(1221)後まもない頃までの間に成立したものと考えられている。 |
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「近代秀歌」画像データベース
定家本「近代秀歌」本文の基礎的研究 - 渋谷栄一研究室 |
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近代秀歌 ―きんだいしゅうか―
鎌倉三代将軍源実朝の求めに応じ、承元三年(1209)、四十代後半だった藤原定家が書いて贈った歌論書です。『吾妻鏡』に定家が実朝に贈った旨記されている「詠歌口伝一巻」と同一書とされています。 |
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近代秀歌(きんだいしゅうか) - Yahoo!百科事典
藤原定家(ていか)の歌論書。元来1209年(承元3)将軍源実朝(さねとも)の求めに応じて書き贈ったもの(遣送本(けんそうぼん))。 |
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近代秀歌 (1959年) <書籍>
近代秀歌 (1959年) <書籍> |
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歌論集 : 俊頼髄脳, 古来風躰抄, 近代秀歌, 詠歌大概,… <書籍>
歌論集 : 俊頼髄脳, 古来風躰抄, 近代秀歌, 詠歌大概,… <書籍> |
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金槐和歌集/1213
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金槐和歌集 (Wikipedia)
金槐和歌集(きんかいわかしゅう)とは、鎌倉時代前期の源実朝の家集である。 成立は藤原定家より相伝の万葉集を贈られた1213年頃とする説が有力。全一巻、約700首掲載されている。『金槐和歌集』の「金」とは鎌の偏を表し、「槐」は槐門(大臣の別称)を表しているため、別名鎌倉右大臣家集といわれている。 自撰説が有力。定家所伝本と貞享本の2系統が伝えられている。格調の高い万葉調の歌が多い。 |
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風葉和歌集/1271
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風葉和歌集 (Wikipedia)
風葉和歌集(ふうようわかしゅう)は鎌倉時代中期の物語和歌集。藤原為家とおぼしき人物が、後嵯峨院の后・大宮院の依頼を受けて編纂し、文永八年(1271年)に成立。もとは勅撰集の如く20巻の部立があったが、現存本は末尾の二巻を欠く。歌の数は1400首(欠巻を除く)。 『源氏』『宇津保』『狭衣』をはじめとする平安中期から鎌倉初期にかけての作り物語から、作中の架空人物の和歌を抄出し、大筋を述べる詞書を付した。 |
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菟玖波集.1356
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菟玖波集 (Wikipedia)
莬玖波集(つくばしゅう)は、南北朝時代に撰集された連歌集。巻数は20巻。句数は2190句。以上の構成は、勅撰和歌集の部立てに倣ったものである。 二条良基が僧救済(ぐさい)の協力を得て撰集し、1356年(正平11年/延文元年)に成立[1]、翌1357年(正平12年/延文2年)閏7月11日に勅撰に准ぜられ、最初の准勅撰連歌集となった。連歌集の成立及び准勅撰の指定については佐々木道誉の力添えで、出詠者には武家が多く含まれている。 |
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新撰莵玖波集 明應本 <書籍>
新撰莵玖波集 明應本 <書籍> 日本書房: |
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犬筑波集【いぬつくばしゅう】
室町後期の俳諧集。1冊。山崎宗鑑編。享禄(1528〜1532)末から天文(1532〜1555)初年前後の成立か。卑俗でこっけいな表現を打ち出し、俳諧が連歌から独立する契機となった。俳諧連歌抄。新撰犬筑波集。 犬筑波集に近い言葉→ 新増犬筑波集/新撰犬筑波集/筑波集/菟玖波集/新撰菟玖波集/筑波/筑波山/筑波颪/筑波嶺/筑波子 |
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吾妻問答1467
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吾妻問答 デジタル大辞泉の解説
あずまもんどう〔あづまモンダフ〕【吾妻問答】 室町中期の連歌論書。宗祇(そうぎ)著。1巻。応仁元年(1467)か文明2年(1470)の成立。連歌の歴史と、作句の技術・心構えを実例を挙げて問答体で述べたもの。 |
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あずまもんどう[あづまもんだふ] 【吾妻問答】 - Yahoo! 辞書
連歌論書。一巻。宗祇著。1470 年頃成立。問答体によって、連歌の歴史・代表作家・会席作法など連歌の基本的問題を述べたもの。別名角田川(すみだがわ)。宗祇問答。 |
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大辞林 第二版 (三省堂)
連歌論書。一巻。宗祇著。1470年頃成立。問答体によって、連歌の歴史・代表作家・会席作法など連歌の基本的問題を述べたもの。別名角田川(すみだがわ)。宗祇問答。 |
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水無瀬三吟.1488
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『水無瀬三吟』分析
一座一句物〜一座五句物一覧 |
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水無瀬三吟の世界 ─中世連歌を読む─
無瀬三吟(みなせさんぎん)は長享2(1488)年つまり応仁の乱の後の荒廃した京の都で作られた連歌(れんが)の作品で、承久の変で源氏に破れ、隠岐の島に流された後鳥羽院(ごとばいん)の250回忌の法要として営まれた。流刑地で恨みを抱いて死んだ後鳥羽院の怒り狂う霊は、その後の乱世の原因とされ、応仁の乱(1467年)による国土の荒廃も、後鳥羽院のたたりとされていた。 |
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みなせさんぎんひゃくいん【水無瀬三吟百韻】 学習百科事典 キッズネット
室町(むろまち)時代後期の連歌(れんが)集。1巻(かん)。飯尾宗祇(いいおそうぎ)を中心に弟子の肖柏(しょうはく)と宗長(そうちょう)の3人でよむ100韻(いん)(100句(く))がおさめられている。1488年1月22日の後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の250回忌(き)に,水無瀬(みなせ)神宮(後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)がたいへんすきだった離宮跡(りきゅうあと))に奉納(ほうのう)された。 |
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水無瀬三吟百韻(みなせさんぎんひゃくいん) - Yahoo!百科事典
連歌百韻。1488年(長享2)1月22日張行。宗祇(そうぎ)、肖柏(しょうはく)、宗長による三吟。22日は後鳥羽院(ごとばいん)の月忌で、後鳥羽院の水無瀬の廟(びょう)に奉納。張行場所には諸説あるが、発句に「雪ながら山もとかすむ夕かな」(宗祇)と水無瀬の廟からの眼前の眺望を詠んでおり、山崎(京都府大山崎町)あたりかと思われる。 |
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湯山三吟百韻 (ゆのやまさんぎんひゃくいん) - Yahoo!百科事典
室町後期の連歌(れんが)作品の一つ。1491年(延徳3)10月20日、摂津湯山(現神戸市有馬(ありま)温泉)で、肖柏(しょうはく)、宗長(そうちょう)、宗祇(そうぎ)の3人でつくった。池田に住んでいた肖柏が二人を招いて催した会とされる。発句は肖柏で、「うす雪に木の葉色こき山路(やまぢ)かな」に始まり、『水無瀬(みなせ)三吟百韻』(1488成る。作者3人は同じ)とともに古来連歌の名作に数えられる。 |
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水無瀬三吟百韻・湯山三吟百韻 本文と索引 <書籍>
本文篇作成に際しては、福井久蔵編『水無瀬三吟評釈』(昭和23年 喜久屋書店刊)の本文を底本とした。この書は桂湖村蔵本・山岸徳平蔵本・名古屋市立図書館蔵本・続群書類従所収本(松本)等を校合して校定され教科用本文である。 |
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閑吟集.1518
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閑吟集 (Wikipedia)
閑吟集(かんぎんしゅう)は日本の歌謡集。永正15年(1518年)に成立。ある桑門(世捨て人)によってまとめられた歌謡集。「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」など、当時の刹那的な雰囲気がよく現れたもの、「世の中は ちろりに過ぐる ちろりちろり」などの無常観、室町びとが感情を託して歌った311首がおさめられている。 |
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閑吟集
『閑吟集』全部を読んだのは大学時代です。『梁塵秘抄』を読んだ後、それ以後の日本の歌謡はどうなって行ったのかが知りたくて、図書館で探して読んでみました。全般に軽みというのか、江戸時代の小唄に通じるような粋な雰囲気が面白く、しっかりと愛読書のひとつになって現在に至ります。… |
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『閑吟集』の謎一
『閑吟集』という小さな集がある。三百十一首の歌謡を集めたこの集は、日本文学史上珠玉の一というべき存在である。成立は永正十五年(一五一八)秋八月、戦国乱世の真っ只中、朝夕の生死定かならぬ中で、これほどまでに文芸の香り高い歌謡に興じていた室町人に、畏敬の念を抱かずにはいられない。… |
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閑吟集 かんぎんしゅう
中世歌謡集。一巻。編者不詳(宗長の編という説もある)。序文によれば、富士を遠見する庵に10余年間隠栖し、音楽を愛好する、和漢の文学・儒教の知識豊かな、上流人士と推定される。 |
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閑吟集 古典文学ガイド
―恋愛歌を中心とした室町時代の歌謡集― 室町後期の歌謡集。一巻。編者未詳。永正十五年(1518)成立。 室町時代の小歌三百十一首を、四季・雑、あるいは四季・恋の順に配列し、さらに春の部が、柳・若菜・松・梅・花…のように連歌風に編集されている。 恋愛歌が中心だが、他に虚無的なもの、民謡的なものも含まれ、当時の庶民の生活感情をよく伝えている。江戸期歌謡への影響も著しい。 |
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「閑吟集」より 蜻蛉 ・奥の院
花の都の経緯(たてぬき)に 知らぬ道をも問へば迷はず 恋路など 通ひ馴れても迷ふらん (閑吟集 18) 〔口語訳〕 美しい花の都、京都には縦横無数の道がある。 だが初めての知らない道でも、現実の道は人に尋ね尋ねして行けば迷うことはない。 しかし、恋の道となると、通い慣れているつもりでも、なぜこうも迷ってしまうのだろうか。 |
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閑吟集 縁結び祈願 京都地主神社
閑吟集は 室町後期の歌謡集で、全1巻で編者は未詳ですが連歌師の宗長(1448〜1532)が編集したという説もあります。 永正15年(1518)に成立し、小歌(こうた:民間の卑俗な歌で、娯楽的なもの)や猿楽など当時の歌謡311首を収めています。 |
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閑吟集 (文庫)
16世紀初頭、富士の遠望をたよりに草庵をむすんだ隠者が、風雅な宴席に交遊した往時を偲びつつ編んだ歌謡集成。所収歌311首中、3分の2を恋歌が占める。「我が恋は水に燃えたつ蛍々物言はで笑止の蛍」、また「何せうぞくすんで一期は夢よただ狂へ」のような歌まで、表現・詩型とも多彩をきわめ、中世人の感性を誌して余すところがない。 |
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梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡 <書籍>
今様を熱愛した上皇と老白拍子との出会いが生んだ『梁塵秘抄』.花の都の景物や恋の情念を歌い上げた『閑吟集』.そして室町時代の庶人の生態を活写した『狂言歌謡』.歌謡の時代中世のにぎわいが聞こえて来る歌謡集三編. |
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中世の歌謡 『閑吟集』の世界 <書籍>
『閑吟集』のそれぞれの小歌を27章に仕立て、歌意・歌謡史としての伝承性にふれ、歌謡文芸としての特質やおもしろさに及ぶ。 |
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閑吟集は唄う 小唄や民謡の源 <書籍>
日本古典文芸の傑作「閑吟集」の新訳成る。難解な書物がベールを脱いだ。恋愛の詩集「閑吟集」が女系家族制時代の男女の生の息吹きを伝える。 |
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閑吟集 宗安小歌集 新潮日本古典集成 <書籍>
閑吟集 宗安小歌集 新潮日本古典集成 <書籍> |
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新増犬筑波集.1643
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新増犬筑波集
《新増犬筑波集あぶらかす》秋 うへにかたかた下にかたかた 二階にも宿かり有てうつ衣 大錫を野山の月に分のみて 霧まよりちよつといすかの嘴みえて 紅葉ゝを踏じと人のあしりこき 相撲取二王のやうな手もとして |
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新増犬筑波集 古典籍総合データベース
新増犬筑波集. 下 / [松永貞徳] [撰] シンゾウ イヌ ツクバシュウ 新増犬筑波集.下/[松永貞徳][撰] |
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『新増犬筑波集』における『犬筑波集』の受容と展開 <書籍>
出版者・編者 : 京都大学大学院人間・環境学研究科歴史文化社会論講座 / 京都大学大学院人間・環境学研究科歴史文化社会論講座 編 |
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挙白集.1649
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挙白【キョハク】 デジタル大辞泉の解説
《「白」は、杯の意》杯をあげて酒を飲むこと。また、他人に酒をすすめること。 |
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Yahoo!辞書 - きょはくしゅう〔キヨハクシフ〕【挙白集】
江戸前期の歌文集。10巻8冊。木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)著。慶安2年(1649)刊。清新で奇抜な歌風で注目される。 |
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すみだはら.1694
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炭俵 8巻 (すみだはら)
炭俵_上巻 歌仙[うめがかに:芭蕉] / 炭俵_上巻 歌仙[けんかうも:嵐雪] / 炭俵_上巻 歌仙[そらまめの:孤屋]/ 炭俵_上巻 百韻[こははだか:利牛] / 炭俵_下巻 歌仙[あきのそら:其角] / 炭俵_下巻 歌仙[みちくだり:桃隣] / 炭俵_下巻 歌仙[ふりうりの:芭蕉] / 炭俵_下巻 歌仙[ゆきのまつ:杉風] |
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すみだわら【炭俵】 - Yahoo!辞書
俳諧撰集。二巻。志田野坡(しだやば)・小泉孤屋(こおく)・池田利牛共編。1694 年刊。歌仙・百韻・発句を収める。芭蕉最晩年の「かるみ」の境地をよく表した集。俳諧七部集の一。 |
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和歌
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和歌 (Wikipedia)
和歌(わか)は、上代から日本で行われた定型の歌。 和歌とは漢詩に対する呼称で、やまとうた(大和歌・倭歌)、やまとことば(大和言葉)、あるいは単にうたなどともいう。長歌・短歌・旋頭歌、片歌の総称だが、狭義には31音を定型とする短歌のことを指すため、三十一文字(みそひともじ)とも言う。奈良時代には倭歌(わか)・倭詩(わし)と言った。 |
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和歌
目次 歌集 関連のHP 表紙>和歌目次>五十音順 作者別 |
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和歌人
短歌人会は、2009(平成21)年に創立70周年を迎える短歌結社です。 結社とは古めかしい言葉に聞こえるかもしれません。 短歌における作品発表の場であり、また研鑽のための機関とお考え下さい。 作品発表の場としては、毎月短歌雑誌「短歌人」を編集発行しています。 |
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和歌祭
和歌祭は毎年、5月第2週日曜日に行われる紀州東照宮の大祭の渡御の呼称です。別名、紀州の国祭、天下祭、権現祭とも呼ばれ、親しまれてきたお祭りの行列です。 |
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塔短歌会
塔短歌会は、故高安国世(京都大学教授、ドイツ文学)によって、昭和二九年に創設され、月刊誌「塔」を発行しております。現在は、永田和宏(京都大学教授)を主宰とし、この数年続けて新人賞作家を輩出するなど、活発な活動を展開しております。会員数は750名余、高校生から九十歳近い方まで、また、沖縄から北海道さらに海外まで、年齢的にも地域的にも幅広い会員を擁しております。 |
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やまとうた
WEBサイト「やまとうた」「波流能由伎(はるのゆき)」へようこそおいで下さいました。 これらのサイトは、主に古典和歌に関するデータを提供することを目的として始めたものです。「みそひと文字」からなる、このように簡素で古朴な、同時に極めて洗練された詩形式が、かくも永い歳月を生きてきたこと。そして今なお(呼び名は変わりこそすれ)生命力を保っているとは、なんという驚異、なんという喜びでしょうか。 |
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和歌 わか
「和食」という言い方がいつから始まったのか知らないが、「洋食」という言葉が使われるようになったあと、それに伴って「和食」もできた、ということははっきりしている。それ以前は、日本人がふだん食べてきた「くいもの」「めし」を、事改めて「和食」などと名づける必要はなかったのだ。… 和歌の語源/倭歌の倭を和に取り替えたのが「和歌」である。/和歌の定義 |
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歌集 有情
京に生まれ京に居座る 片雲の風も誘はぬ一世なりけり 個人のホームページ(HP)を拝見しますと作者自身の個性そのものだと感じます。虚飾のない、だれにも犯されない作者の主張が守られていること、そしてそのことこそHPの命なんだと思います。近代的なメデイアを利用させてもらいながら一切の干渉をうけることなく自己主張ができる、そしてそれを人様に見聞して頂けるのなら、とても有難いことです。 |
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短歌と俳句
「短歌」は最初が5音、次が7音、次が5音、そして7音が二回、5、7、5、77。 「俳句」は5音、7音、5音。5、7、5でひとまとめにしている「詩」のようなものです。この短い音のつながりで、いろんな事を表現します。 |
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和歌文学会
「古今集・新古今集の年」とは? 西暦2005年(平成17年)は古今和歌集が作られた905年(延喜5年)から1100年め、新古今和歌集が作られた1205年(元久2年)から800年めに当たります。万葉集と並んで古典和歌を代表するこの二つの歌集の記念の年を祝い、古典和歌に関わる諸企画を集中的に催そうとするプロジェクトです。 |
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うたの歳時記
☆秋あかね群れ飛ぶ里に 「もういいよ」忘れし言葉 つぶやきてみる ☆淡々と夢のきれぎれ 顕ちくるや もみじに 染まるふるさとの道 |
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★人徳の部屋
「二つの美しき名(J)あり、その一つはイエスキリストにして、その二は日本なり」…内村鑑三 一日は貴い一生である、これを空費してはならない。そして有効的にこれを使用するの道は、神の言葉を聴いてこれを始むるにある。一日の成敗は朝の心持いかんによって定まる。 |
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和歌 家族(1)
表紙>和歌目次>家族(1) (2) 作者別 五十音順 おのろけ / 子煩悩 / 更級や / ウィリアム・テル / 妻問婚 / 浮気 |
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日本歌人クラブ
日本歌人クラブは現在、約五千名近い会員を擁し、歌人相互の親睦を計り、歌壇の発展に寄与することを目的とした、日本で最も大きな歌人の団体です。 |
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倚子(いし)の会
5・7・5・7・7、じゃあない短歌......「新短歌」「自由律短歌」「口語短歌」などとも言われることもある。しかし、最近NHKラジオなどで流行し始めた「ケータイ短歌」とは似て非ざるものです。やはり、形は非定型・自由律なのです。 |
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お得区短歌案内
お得区短歌案内 |
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HANI (埴短歌会)
埴は新鮮な現代の詩情をめざし、短歌雑誌「HANI」(隔月刊)を発行している短歌集団で、広く参加者を歓迎する |
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