08 彫刻/版画/オブジェ全般/彫刻美術館/彫刻家
 創作方法も多岐にわたり、美術界でも大きなジャンルを占める彫刻やオブジェの世界。そして木版画は皆さんも一度は制作したことがおありでしょうか。
 ここには、彫刻家・画家・建築家としてあまりにも有名な盛期ルネサンスの三大巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどを掲載いたしました。(「/」は編集中)

彫刻全般 社寺仏像彫刻 仏師系譜・仏師集団 鞍作止利 山口大口費 国中連公麻呂
康尚 定朝.057 康慶 運慶 快慶 湛慶.173
円空.632 木喰.718 高田又四郎.847 松久朋琳.901 長田晴山.920 松本明慶.945
象牙彫刻 彫刻美術館 彫刻家(〜930)/ 現代彫刻家(931〜) 高村光雲.852 山崎朝雲.867
平櫛田中.872. 渡辺長男.874 朝倉文夫.883. 高村光太郎.883 北村西望.884 山田真山.885
木内克.892 淀井敏夫.911 佐藤忠良.912 舟越保武.912 流政之.923 橋本堅太郎.930
オブジェ全般 石材オブジェ 金属オブジェ 現代美術家(931〜) 岡本太郎.911 草間彌生.929
版画 版画美術館・版画展 版画の技法・種類 版画材料・彫刻刀 版画家 棟方志功.903
山本鼎.882 織田一磨.882 永瀬義郎/891 長谷川潔/891 川上澄生/895 畦地梅太郎/902
浜口陽三/909 一原有徳/910 藤牧義夫/911 瑛九/制作中911 萩原英雄/913 浜田知明/917
菅井汲/919 駒井哲郎/920 池田満寿夫/934 ブル・デービッド/951 山本容子.952 佐藤由美子/972
ブルネレスキ.377 ドナテッロ.386 ヴェロッキオ.435 ダ・ヴィンチ.452 ミケランジェロ.475 ラファエロ.483
ロダン.840 ポンポン.855 ブールデル.861 マイヨール.861 ブランクーシ.876 ジャン・アルプ.886
アーキペンコ.887 ザッキン.890 黄土水.895  カルダー.898 ヘンリー・ムーア.898  マリノ・マリーニ.901
ジャコメッティ.901 マンズー.908 ナンドール.922. シーガル.924 ティンゲリー.925 ゴームリー.950
TOP >  b 美術 > 08 彫刻/版画/オブジェ全般/彫刻美術館/彫刻家 >  
       
彫刻全般
  宇部の彫刻   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  風と陽光と   作家名/作品名/素材別/年代別/キーワード/地図検索
 
 
  至高の家紋   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木彫刻山岸では江戸木彫刻による家紋額を製作しています。優れたデザインの美しさをもつ伝統の家紋を、国産の高級杉(スギ)、欅(ケヤキ)を使用し江戸木彫刻の伝統を受け継いだ技術で彫り上げて家紋額に飾り、皆様のもとへお届けいたします。
 
 
  五典の水庭    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  もう10年も前のことになるが、東京・谷中にある台東区立朝倉彫塑館(登録有形文化財)を訪れた。朝倉彫塑館は日本近代彫塑の基礎をつくった朝倉文夫氏(明治16年〜昭和39年)の美術館だが、アトリエであり住居であり、朝倉彫塑塾の教場でもあった。
 
 
  パブリックアート   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  作家の思いを込めた彫刻や 設置される場所を生かした作品。小品から大きな物まで さまざまな素材と手法を駆使して、制作いたします。お気軽にご相談ください。 見積もり無料です。
 
 
  HATORI Makoto   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  芸術作品における創造性には、いくつかの前提条件が必要となり成立する。ものを造り出すこと全て、創造性に結びつくこととはならない。工人の極める技法執念の結実が、しばし、芸術のそれに比較され、創造性あるかのようにいわれる場合があるものの、技巧の限りをいくら駆使したとて、現実の時間性のなかに存在し、現実的価値のなかで有用性の存在を主張するそれらは、創造性ある芸術とよばれることはない。   巻頭 / ステートメント / 略歴、寄稿文 / 出展暦、収蔵作品 / 作家通信 / リンク / コンタクト / ウエブリング美のかたち / ブログ窯ぐれ
 
 
  井波彫刻協同組合   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  欄間:茶の間・客間・仏間・書院等の装飾と品格を保つために使われる。 獅子頭:祭礼等の獅子舞の頭として、床の間の置物として飾られる。 天神様:お正月に学問高揚の象徴として床の間に祭り、室内の品格と調和を保つものとしてる飾られる。 伝統の技を今に伝える現役彫刻師たちが、過去に手がけた傑作品の数々等を紹介しています。
 
 
  シマヅヨウの木彫サイト   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
    その木、捨てちゃうんですか?せっかく育てたそのからだ(木)。ナリが形を作ります。木彫するのに種類は選ばず。柿木、桜にカシ、ケヤキ。それがナリのコンセプト。  行為の集積としての作品は、私の過程であり、痕跡である。 作品は、制作過程から離れたとき素材としての木の時間性とは別の時間を持ち始める。 「作品ファイル」は、過去の作品から何点かをピックアップし年代順に納めたものです。
 
 
  東京藝術大学 美術学部 彫刻科   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  彫刻科の歴史においてその礎となった東京美術学校は岡倉天心及びアーネスト・Fフェノロサらの熱心な芸術教育運動により、明治20年 わが国唯一の官位美術学校として開設されました。 彫刻科では、幅広い造形の研究に重点をおき、過去の美術の歴史を理解し、現在の状況を的確に判断し、将来の美術を展望できるような豊かな感性を持つ人材の養成が重要と考えている。
 
 
  観音様は衆生の苦を救う菩薩様です。   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  青山三郎 略歴/展覧会/作品/仏様/お雛様/干支/Link/お問い合わせ  井波彫刻協同組合のページ
 
 
  松本彫刻店のホームページへようこそ!    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  当店は創業百数十年の豊かな技術をもとに、伝統美から現代アレンジまで幅広く製作しています。  作品集/工房えむず/かんばん工房/自己紹介/インフォメ−ション/リンク
 
 
  鉛筆彫刻   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鉛筆彫刻は、JADプロジェクトの行なう展覧会の「顔」とも言うべき作品で、現在では水田黄昏と加藤邪道が主に制作している。基本的な形状には「二重螺旋」「チェーン」「リング」そして鉛筆の表皮に模様を彫り込んだ「亀甲」の4種類がある。それ以外の「六重螺旋」 「伸縮自在」「三角四角五角六角」などはこれらのバリエーションと見ることができる。
 
 
  社団法人 日本彫刻会    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  彫刻の美しさ 豊な生命感・存在感 そして空間との対話を求めて 具象彫刻を中心に400点の展示 西望賞−外部審査員による選考
 
 
社寺仏像彫刻
  観仏三昧    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  このウェブサイトは、全国の展覧会情報や仏像の公開情報、講演会情報、トピックスと、それらを鑑賞・拝観した日記などから構成されています。学芸員という立場から、広く情報を収集・公開することで、より多くの皆様に「文化財」を身近なものとして親しんでいただきましたら幸いです。
 
 
  社寺仏像工房   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  こだわりの贈り物/プレゼント/期間限定商品/一点もの/純金製品・純金工芸品
 
 
  仏師 安田明玄   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  精魂込めて作り上げた仏像を一冊の写真集のようにまとめてみました どうぞ表紙をめくるように画像をクリックして次のページへとお入りください
 
 
  江場仏像彫刻所   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  インドに起こった仏教は六世紀に我が国に伝来し、仏像も造像されるようになりました。当初は止利仏師による金銅仏であり我が国の木の文化が相まって、木彫仏へと発展し、仏師定朝の時代(平安時代)に日本の仏像彫刻の基礎が出来上がったといわれています。その後、室町、鎌倉期へと入ると運慶、快慶等に代表される仏師を輩出し、現代にも脈々と伝えられた仏師の仕事があります。
 
 
  仏像彫刻ワ-ルド   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏像を見るときは手指の形(印相)に注意。曹洞宗では法界定印(腹部の前で両手を重ねる)が本尊ですが、日蓮宗では合掌印で多宝如来と共に祀られる場合が多い。  伝統的仏像彫刻の世界/御守護神仏像の世界/ア−ト仏像彫刻の世界/仏像彫刻教室のご案内/略歴のご案内 :平成の円空、木喰 仏師、瑞雲の略歴/English Edition
 
 
  彫刻 −三嶋大社−   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  三嶋大社の建造物の中でも、平成12年に重要文化財指定を受けた本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)。他に、舞殿(ぶでん)・神門(しんもん)等に、欅(けやき)材を用いた装飾用の優れた彫刻が施されている。
 
 
  奈良・鎌倉 大仏百科   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本中に大仏がありますが、だいぶつといえば奈良のダイブツと鎌倉のダイブツが思い浮かびませんか?両者は比較されることが多いのですが、このサイトでも徹底的に比較していきたいと思います。  ホーム / 奈良と鎌倉の大仏の違い / 奈良の大仏 / 鎌倉の大仏 / 大仏の雑学
 
 
  仏師 山崎祥琳の部屋   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  プロフィール:新潟県長岡市鳥越の浄覚寺の現住職。京都の大谷大学・大学院時代に、宗学を学ぶ傍ら、京仏師に師事し、修養を積む。帰省後、長岡市・新潟市を中心に仏像彫刻教室を主催。門下生に正統派の仏像彫刻技術を伝授。「新潟仏像美術展」を新潟市で定期開催。日本画においても、穂刈春雄師の薫陶を受け、県の芸術展で奨励賞を受賞。新潟県内の寺院を中心に仏像や仏画を納入。
 
 
  あさば仏教 美術工房    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  最新情報 / 悠々ブログ / 仏像 / 仏画 /その他の作品 /講座案内 / 関連図書
 
 
  松井康琳仏像彫刻工房   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏像を彫るときには、好きな音楽でも聴きながら気持ちを楽にして彫りすすめていくと、求めている仏様は必ず現れて下さるでしょう。… 座禅を組んでも無我の境地に達することは難しいといわれていますが、仏様を彫っている時には誰でも自然に、無理なく無我の境地に入っていくことが出来るようです。 仏様を彫っていると、食事の時間も忘れて夢中になり、心豊かな至福の時が自然に流れてゆきます。仏像彫刻の世界は難しい世界ではなく、誰もが楽しめる不思議な世界だとつくづく感じております。
 
 
  社寺彫刻 井波彫刻太田利治   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  TOP/略歴/社寺彫刻/獅子頭/天神様/家紋/作品紹介
 
 
  100倍楽しくなる!仏像の見方   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  ようこそ諸仏の世界へ。調べてみたい仏像があったらクリックしてみてね!  愛染明王/阿弥陀如来/弁財天/大仏/大日如来/閻魔大王/不動明王/地蔵菩薩/十一面観音/十二神将/吉祥天/日光月光菩薩/仁王/如意輪観音/千手観音/釈迦如来/聖観音/水月観音/薬師如来
 
 
  首都圏仏像彫刻教室のご案内    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「無心に彫る」ということは、心身を若返らせ、心にさとりを、人生に希望を与えてくれます。 仏像彫刻は最も大切な基礎(小刀の使い方)に始まり、仏足、仏手、お顔、仏頭、全身像という具合に進みます。観音、如来不動像など短期間に彫れようになります。
 
 
  週刊 日本の仏像 <書籍>   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  A4変形判 角背(逆中とじ) オールカラー36ページ 毎週木曜日発売 創刊号特別定価290円(税込) 以降各巻定価:580円(税込)  全巻購読をお申込いただきますと、全員にすてきなプレゼントを差し上げます。
 
 
  カラー版 日本仏像史 <書籍>   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  価格:¥ 2,625 (税込) 単行本 ; 219 p ; サイズ : 827(hundredths-inches)  出版社 : 美術出版社   本書は飛鳥から昭和までの日本の仏像を通史で記した一冊です。教科書的な筆致ですが、カラー写真が大きく豊富に掲載されているので、退屈することはありません。持ち運びにも苦にならない大きさですし、実際に持って出かけるのもいいでしょう。     
 
 
  すぐわかる図説 日本の仏像 (単行本)    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏像の種類と意味、見かたについて、わかりやすい文章と書きおこしイラスト図版類260点以上で解説した、簡潔・明解な入門書。仏像に関するエピソードやコラムも楽しく読める。
 
 
  日本の仏像100選―いま、魅力の仏像と出会う (大型本)    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本に仏教が入ってきた6世紀半ば以来、江戸時代までの約1200年の間に造立された仏像はおよそ10数万にも及ぶ。その中から日本を代表するすぐれた100点を厳選し、カラー写真に収める。1996年刊の改訂。
 
 
仏師系譜・仏師集団
  仏師  weblio   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏師(ぶっし)とは、日本における、仏像などの制作を担当する者に対する名称である。 飛鳥時代においては、仏像制作技術を持った血縁集団が存在しており、その長たる者を仏師と称していた。その大多数は、渡来系に属する技術者たちである。鞍作止利(止利仏師)の名が知られる。
 
 
  仏像の基本   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  師たちの夢は、「古佛へのまなざし」の皆さんが執筆されたものを掲載させて頂きます。
 
 
  仏師系譜   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏師系譜
 
 
  仏師系図   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  平安中期〜鎌倉時代の仏師の系図です。仏師は定朝を祖として、三つの派に別れていきます。運慶、快慶を輩出した慶派が有名ですが、平安時代までは院派、円派が貴族階級(平氏)と結びつき、隆盛を極めていました。鎌倉時代になると、貴族の世の中から武士(源氏)の世に移り、慶派の出番が回って来たのです。
 
 
  仏像世界 主な仏師   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本で活躍した主な仏師を紹介します
 
 
  仏師とその時代 国宝を訪ねて   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏教が渡来した後,しばらくは中国,朝鮮等で造られた仏像が日本にもたらされました。その後,国内でも製作が始まりますが,その中心となったのは,やはり渡来系の人々でした。この時代の仏師の代表はなんと言っても鞍作止利(くらつくりのとり)、すなわち止利仏師でしょう。日本書紀には,飛鳥寺の丈六仏の作者として「鞍作鳥」という名ででてきます。
 
 
  現代の名仏師 仏像と仏師の世界   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本の仏教美術を今日に伝える名仏師とその作品 仏像彫刻の鑑賞に役立つ知識情報も満載
 
 
  慶派 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  慶派(けいは)は、平安時代末期から江戸時代の仏師の一派。七条仏所を形成、主流派をなす。 名前の由来 : 名に慶のつく仏師を多数輩出したことから。
 
 
  慶派‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  平安時代中盤に興り鎌倉時代以後には佛師集団を席捲した一派で、名前の一字に慶を用いることが多い。 鎌倉時代に京都七条に工房を持った事から七条佛所とも言はれた。 系譜的には定朝の子覚助(かくじよ)に始まるが早世した為に定朝の弟子で長勢の円派、及び覚助の弟子で院助の院派に活動の場を占められる。
 
 
  「慶派」のおはなし  日仏会研究論文   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「慶派」ってなに?/「慶派」の仏像の特徴は?/有名な「慶派」の仏像と、それが見られる寺はどこ?
 
 
  康 勝 (こうしょう)‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉前期の仏師で運慶の四男。 父運慶や兄湛慶や康弁と共に1198年頃に東寺の仁王・二天像・1208年に興福寺北円堂の四天王のうち広目天像を造る。
 
 
  院派 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  院派(いんぱ)は、平安時代後期から鎌倉時代の仏師の一派。七条大宮仏所、六条万里小路仏所を形成した。祖は、定朝の孫とされる院助。 名前の由来 : 名に院のつく仏師を多数輩出したことから。
 
 
  院派‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  平安時代に於ける佛師集団の最大勢力で初代は院助と言う。 子孫弟子達の名に院の文字を付けた事から院派と呼ばれる。 作行は優雅で穏やかな貴族的なもので、当時皇室や貴族の注文での像造が多く、荘園の知行権を与えられており裕福な集団であった。
 
 
  中世の世界に誘う 仏像  -院派仏師の系譜と造像-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  横浜市金沢区の称名寺には、鎌倉時代末に造立された木造の釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)と金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)があります。…
 
 
  円派 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円派(えんぱ)は、 平安時代中期から鎌倉時代の仏師の一派。祖は定朝の弟子長勢、三条仏所を形成し京都を中心に活躍。明円以降、奈良、鎌倉に主流が移り衰微。 名前の由来 : 円の字をもつ仏師が多いため、後世に名づけられた。
 
 
  円派‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  主に藤原時代の後半に活躍した集団で定朝の高弟である長勢を祖とする。 定朝の様式を正統的に受け継ぐ集団で、円の文字を付けた佛師が多い。 長円・賢円・明円など優れた佛師が活躍し、清水寺に影響力が強く長円は当寺の別当にも就任しているが円派には現存する作品は少ない。
 
 
  康円 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  康円(こうえん、康縁、幸縁、承元元年(1207年) - 没年不詳)は、鎌倉時代の仏師。 湛慶を補佐し、大仏師となる。慶派の流れを汲み、忿怒像を得意とする。
 
 
  明円 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  明円(みょうえん/めいえん、生年不詳 - 正治元年(1199年))は、平安時代末期-鎌倉時代初期の仏師。円派の優美な伝統的彫刻様式を伝える。
 
 
  仏師 善円・善慶・善春 (ぜんえん・ぜんけい・ぜんしゅん)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  特異な煌めきを放つ善派 鎌倉時代の仏像彫刻は、慶派という一工房の様式に席巻された感があるが、慶派以外では、円派から出たと考えられる、善円、善春、善慶などの仏師の作品が知られており、その名に善を用いるところから善派と呼ばれている。善派の仏像は慶派の諸像にみられるような激しさはなく、面相も体つきも衣文もやさしく女性的で、張りつめた体躯の質感を丁寧に表現した像が多い。
 
 
  仏師 院覚(いんかく)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  院覚は定朝の曽孫、覚助の孫、院助の子で、十二世紀前半を代表する正系の仏師である。 院覚が活躍した藤原時代後期は、皇室や藤原家、のちに平家一門の造寺造仏がきわめて盛大に行われた時期にあたるが、今日現存するものは極めて少い。院覚作とみられる仏像は京都花園にある法金剛院に残る丈六の阿弥陀如来像一体が、僅かにその遺作として知られている。
 
 
  定肇(=定朝、?-1020-1054-?) 多武峰略記データべース   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  (康尚之息、)佛師、法眼 1020寛仁四年、與父康尚造法成寺阿彌陀堂九體佛像。 1022治安二年七月十六日、依造佛功任法橋。(佛師、左經記)〜1054天喜二年、造西院邦恒堂阿彌陀如來像。
 
 
  大仏の殿堂    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「全国の大仏・大観音等一覧表」と補完し合うことを目的としたブログです。 一記事につき一体の巨像のデータを掲載していきます。 各像を訪れた方からのトラックバック・コメントお待ちしております。
 
 
  広島ぶらり散歩 (補完版)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  神社仏閣関連神仏豆知識/神社仏閣関連人物豆知識/神社仏閣関連人物編豆知識詳細 : 神社仏閣に関係する天皇、人物を辞書を引いて調べたものをまとめたのがこの頁です。 その人物から関連する神社仏閣をぶらり散歩されてはという発想からの頁です・・・
 
 
  仏像三昧 仏像と文化財の情報ページ   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  このウェブサイトは、全国の展覧会情報や仏像の公開情報、講演会情報、トピックスと、それらを鑑賞・拝観した日記などから構成しています。学芸員という立場から、広く情報を収集・公開することで、より多くの皆様に「文化財」を身近なものとして親しんでいただきましたら幸いです。
 
 
  興福寺国宝展 −鎌倉復興期のみほとけ−   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本を代表する大寺として知られる奈良・興福寺は来たる2010年に、創建1300年を迎えます。現在に伝わる鎌倉復興期の諸尊や寺宝を紹介し、興福寺再興の歴史を検証する展覧会を開催します。
 
 
  木造宝冠釈迦如来坐像 松山市指定有形文化財(彫刻)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  この坐像は、大通寺の本堂正面に安置されている。 頭部の作造の様式が湛慶(たんけい)・唐円(とうえん)・康俊(こうしゅん)このみの風貌であり、衣文(えもん)は康俊作風である。胴体中央支柱造出し等で鎌倉時代末期の手法がうかがえる。建武年間(1334〜1337)寺院交流の中で仏師として大きな比重のあった康俊作の仏像を当寺にもとめたものと思われる。
 
 
  週刊 原寸大 日本の仏像(2) <書籍>   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  三十三間堂 千手観音と風神・雷神/長大な御堂に居並ぶ珠玉の仏像/大仏師・湛慶の世界をさぐる/国宝二十八部衆の魅力にせまる
 
 
鞍作止利
  鞍作止利 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鞍作止利(くらつくりのとり)は、飛鳥時代に活躍した帰化人系の仏師。鞍作鳥、止利仏師とも。法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像(623年)が代表作。渡来人の司馬達等を祖父にもつ。安居院(飛鳥寺)本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)も止利作とされているが、後世の補修が甚だしく、当初の部分は頭部の上半分、左耳、左手の指の一部のみとされている。その他、法隆寺等には、「止利式」と呼ばれる同系統の仏像が現存する。
 
 
  仏師 鞍作止利 (くらつくりのとり)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鞍作止利は、飛鳥時代を代表する仏師で、法隆寺金堂釈迦三尊像をはじめとして、いわゆる止利様式と呼ばれる多くの仏像を残している。
 
 
  鞍作止利・鞍作鳥(くらつくりのとり)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  飛鳥時代を代表する仏師。 本名・司馬鞍作部首止利仏師 (しばのくらつくりべのおびととりぶっし)止利仏師。 生没年不詳。 祖父は朝鮮半島(百済)からの渡来人・司馬達等。 叔母は日本最初の尼僧・善信尼(嶋)。 聖徳太子・蘇我馬子に重用された。
 
 
  鞍作止利の遣隋使同行記 PART-1   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  現代に蘇り、中国旅行に同行することにした理由 : 私の名は、鞍作止利(くらつくりのとり)。明日香村にある飛鳥寺安居院(あんごいん)本堂の飛鳥大仏の製作者だといえば、思い出される方もおられるでしょう。
 
 
  鞍作止利の遣隋使同行記 PART-7   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  帰路、北魏の旧都・平城の郊外で雲崗石窟を見る : 高句麗使節と共に帰国の途につく 開皇20年(600)の2月のはじめ、高句麗の朝賀使節が帰国することになりました。私たちも使節に同行して高句麗の王都・平壌城まで戻ります。
 
 
  鞍作止利(くらつくりのとり)も採用していたクスノキ   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  また、クスノキは飛鳥時代の仏像などによく用いられた。 飛鳥時代は仏像といえば木彫りであった。 法隆寺の百済観音像や四天王立像、釈迦三尊像、薬師如来像の台座などにもクスノキが使われている。
 
 
  止利仏師(鞍作止利)について 飛騨の歴史再発見!   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  皆さん、いかがお過ごしですか? ネコ先生から「止利仏師の伝承は、どこまで信憑性があるのか?」 とのご質問をいただきました。 この時代(飛鳥時代)の出来事というのは、証拠がなく、なかなか伝承の域を出ません。 しかし、飛騨には、数々の伝承が残っていることも事実です。 今回は、この止利仏師について、お知らせしたいと思います。
 
 
  司馬鞍作首止利‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  通常は止利(鳥)仏師と呼ばれている。出目に諸説があり定かでは無いが、百済もしくは南梁からの渡来系の子孫と見られ鞍作止利とも呼ばれており、工芸関係に於ける技術者集団の中心的存在の人物と推定でき、祖父は司馬達で父多須奈は仏師として坂田寺を建立し佛教の伝道に功績があっつたとの伝承もある。
 
 
  主な仏師 仏像世界   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本で活躍した主な仏師を紹介します
 
 
  仏師系譜   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏師系譜
 
 
山口大口費
  山口大口費 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  山口大口費(やまぐちのおおぐちあたい、漢山口直大口(あやのやまぐちのあたいおおぐち)、生没年未詳)は、飛鳥時代の仏師。 650年(白雉元年)10月、日本書紀によれば千仏像を制作。
 
 
  美と歴史 こゆるりと 山口大口費   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  『日本書紀』の白雉元(650)年10月の条に千仏像を制作したとして記録されている彫刻家。正確には、漢山口直大口(あやのやまぐちのあたいおおぐち)であり、応神帝の時代に、後漢霊帝の曾孫である阿知使主(あちのおみ)が一族を率いて来日したことに始まるとの伝承を持つ東漢氏(やまとのあや)の一族。
 
 
  仏師 山口大口費 (やまぐちのおおぐちのあたえ)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  飛鳥時代に、百済からわが国に伝わった仏教文化は、聖徳太子や朝廷と深いかかわりをもった蘇我氏の庇護(ひご)を受けて隆盛し、蘇我氏の氏寺である元興寺がわが国最初の本格的寺院として建立されたのを始め、造寺造仏が盛んに行われた。
 
 
  国宝 四天王像(してんのうぞう) 4躯   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  金堂須弥壇上四隅に安置される、日本最古の四天王像。クスノキを用いた木彫で、宝冠や光背の縁などに金銅製の透彫金具をつける。広目天像と多聞天像の光背裏面に作者の名が刻まれている。そのうちの一人、山口大口費(やまぐちのおおぐちのあたい)・・・
 
 
  国宝 法隆寺金堂展 奈良国立博物館    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  国宝 四天王像 4躯/国宝 毘沙門天・吉祥天像 2躯
 
 
国中連公麻呂
  国中連公麻呂 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  国中連公麻呂 (くになかのむらじきみまろ、? - 宝亀5年(774年))は、造東大寺司次官、仏師。百済渡来人完了(徳率)国骨富の孫とされる。
 
 
  仏師 国中連公麻呂 (くになかのむらじきみまろ)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  天平時代最大の事業であった東大寺の建立は、疫病の流行と政治の乱れに焦慮した聖武天皇が華厳経の教えを広く天下に及ぼし、国土の平安を求めるために、天平十五年(743)、大仏建立の詔を発したことに始まる。当時は、官寺建立の際に、それを統括する造寺司(ぞうじし)という臨時の役所が設けられたことが知られている。
 
 
  国中公麻呂くになかのきみまろ 大和の歴史   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  生没年 ?〜774(宝亀5年)/官 職 奈良時代の仏師/家 系 百済の完了(徳率)国骨富の孫/名 国君麻呂・国中連公麻呂・公万呂
 
 
康尚
  康尚 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  康尚(こうしょう、生没年未詳)は、平安時代中期の仏師。「仏師職の祖」と称される。定朝の父。 定朝をはじめ、多くの弟子を抱え仏所を形成。皇室、摂関家などの造寺発願や、高野山、比叡山などで造仏に従事した。
 
 
  康尚(?-991-1020-?) 多武峰略記データべース   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  (定肇之父、)佛師、土佐講師  991正暦二年、造祇陀林寺丈六釋迦如來像。  998長徳四年三月十四日、造同等身不動明王像。佛師。(權記)〜1020寛仁四年、與息子定朝造法成寺阿彌陀堂九體佛像
 
 
定朝.057
  定朝 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  定朝(じょうちょう、生年不明 - 天喜5年8月1日(1057年9月2日))は平安時代後期に活躍した仏師で、寄木造技法の完成者とされる。康尚の子。 彫りが浅く平行して流れる衣文、瞑想的な表情など、定朝の平明で優雅な仏像は平安貴族の好尚に合致し、その作風は「仏の本様」と称せられた。
 
 
  定朝‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  11世紀前半に活躍した大仏師で日本彫刻史上屈指の名匠とされる。仏師僧康尚(こうじよう)の子とされ1020年康尚と共に藤原道長発願の無量寿院(法成寺阿弥陀堂)の9体の丈六阿弥陀像を制作、特に藤原一門の造仏に多く関与した。 1022年法成寺造仏の功により仏師としてはじめて僧綱位の法橋を受ける。 1048年には興福寺造仏の功労で法眼に昇進している。
 
 
  仏師 定朝 (じょうちょう)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  定朝は平安後期の藤原彫刻を代表する一代の名匠である。定朝の確実な遺品は、宇治平等院鳳鳳堂の阿弥陀如来坐像のみであるが、文書等により数多くの造仏を行ったことが知られており、その中で築き上げた「定朝様式」が、日本人の志向に合致し、その後の仏像彫刻の上に決定的な影響を及ぼした。
 
 
  定朝と七条仏所跡   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  定朝といえば、平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像と雲中供養菩薩像が思い浮かびます。では定朝の活動場所はどういった所だったのでしょうか。下京区の七条仏所跡をたずねてみました。
 
 
  定朝 - MIHO MUSEUM   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  定朝(?ー1057) 平安時代を代表する仏師。生年は不明。康尚の子。仏像の躯幹部を複数の材で構成する寄木造(よせぎづくり)の完成者ともいわれ、その円満優雅な作風は宮廷や藤原氏の人々の賞賛するところとなり、特に彼が造った阿弥陀如来像は「弥陀の本様」として、後世の造仏の規範となった。
 
 
  「定朝と運慶」 興福寺文化講座   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  こんにちはみなさん、彫刻家の籔内佐斗司でございます。 ただいまご紹介にありましたとおり、私は二十代の後半に仏像の修復作業に携わっていたことがあります。平安時代の末から鎌倉時代にかけて作られたたくさんの仏像に直接触れることで、当時の仏師たちの息遣いまでが伝わって来るのがわかりました。そしてそのときの貴重な経験から、私なりの彫刻技法を確立して今にいたっています。
 
 
  定朝 - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  ?〜1057 平安後期の仏師。仏師康尚(こうじょう)の子とつたえられる。1022年(治安2)に藤原道長が建立した法成(ほうじょう)寺の造像や、48年(永承3)の興福寺復興造像にたずさわり、仏師としてはじめて法橋(ほっきょう)、法眼(ほうげん)の位についた。
 
 
  定朝 (じょうちょう)  京都市観光文化情報システム   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  平安中期の仏師。寄木造を完成し、優美で均整ある和洋彫刻を生み出し、定朝様と称された。宮廷や藤原一門の造仏を手がけ、法成寺諸堂の造仏に尽力。仏師として初めて法橋・法眼の位を得た。
 
 
  9.普門山観音寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸末期のたたずまいを残し、妻入り商家が建ち並ぶ河原町の通りを200メートルほど行くと、いかにも禅寺らしい観音寺(本篠山バス停より徒歩約5分)がある。本尊は、仏師春日または定朝の作という釈迦牟尼如来であり、丹波西国観音巡拝第十六番札所となっている。
 
 
  勝楽寺(しょうらくじ) 社寺仏閣    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  平安時代の末、平惟仲が建立した浄土宗西山派の名刹。国の重要文化財の仏像8体があり、木造阿弥陀如来坐像は藤原時代後期の作品でいわゆる定朝様式の典型作である。
 
 
  台東区橋場 福寿院 台東区有形文化財〔彫刻〕   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  橋場福寿院の観音菩薩像頭部は平安時代後期の作で、「定朝<じょうちょう>様式」という仏像彫刻の特徴をそなえています。 定朝とは、11世紀初め頃の京都の仏像彫刻師(仏師といいます)です。代表作は、宇治平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像。
 
 
  札所十五番 母巣山 少林寺 (ははそざん しょうりんじ)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  昔、近江の商人が東国へ行く途中、湯尾峠へさしかかると「近江の国に疫病をはやらせようと思ったが、定朝が観音像を作った為、その霊験で思うような事ができず、近江に見切りを付けて、東国へとゆくとしよう」と話している不思議な声を聞いた。商人は、たいそうおどろき、定朝にこの話をした。・・・
 
 
康慶
  康慶 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  康慶(こうけい、生没年不詳)は、平安時代末期 - 鎌倉時代初期の仏師。慶派の基礎を築く。 興福寺を中心に活動した仏師で、奈良仏師の系譜に属する。康助または康朝の弟子とされる。平重衡の南都焼き討ち(治承4年・1180年)後の復興造仏の中心人物として活躍した。しかし、詳しい経歴には不明の部分が多い。
 
 
  仏師 康慶(こうけい)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  康慶は、巨匠運慶の父として、藤原時代末葉から前代の初頭にかけて活躍した仏師で、鎌倉時代の造仏の主流となった慶派と呼ばれる仏師集団の事実上の創始者である。 藤原時代に一世を風靡した定朝のあとには、その子覚助と弟子長勢とがあるが、長勢はその子円勢に引きつがれ、いわゆる後に円派と呼ばれる京都を中心に活躍する一派をなした。
 
 
  康慶‐古寺散策   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉初期頃に活躍した慶派の棟梁仏師で指導力を発揮して、貴族の信任を得て勢力を誇る院派や円派を鎌倉武士の支援を受け両派を駆逐し慶派による制覇の基礎を築いた。大仏師定朝から五代目の康朝の弟子と考えられ運慶の父であり快慶の師に当たる。 東大寺・興福寺の復興に当たっては運慶や快慶らと共に活躍する。
 
 
  錦綾山 聖光寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  浄土宗第2組ゆかりの名刹・・・ 仏師康慶を訪ねて京に上り、康慶宅に起居しながら当時高名となっていた法然上人に会い、その学識や人柄に敬服、浄土宗に帰依して法然上人の弟子となった。
 
 
  興福寺国宝展 -鎌倉復興期のみほとけ- Fuji-tv ART NET   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  ・・・なかでも壊滅的な被害を受けた平安末の戦乱後、鎌倉期の復興造像には康慶、運慶などの優れた仏師が参加し、日本仏教美術のルネサンスとも言うべき成果をあげました。また絵画でも、この頃には成立していたと思われる南都絵所の絵師たちがすぐれた仏画・垂迹画・絵巻などを制作しています。
 
 
  法眼康慶(?-1195-?) 多武峰略記データべース   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  1195建久六年六月十四日、平等院後壁板畫六地藏。願主。
 
 
運慶
  運慶 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶(うんけい、- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。 運慶は、奈良市・興福寺を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子である。長男湛慶が承安3年(1173年)生まれであることが、京都市・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の台座銘から知られ、運慶は12世紀半ば頃の生まれと推測される。
 
 
  神像 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  神像(しんぞう)は、信仰の対象となるカミをかたどった彫像、画像である。 日本では、神道のカミをかたどった像が多く、道教由来の神の像も見られる。 神道においては古くは、カミの依り代(よりしろ)である鏡、玉、剣が崇敬されてきた。
 
 
  運慶コース   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶(?〜1223) 鎌倉初期に活躍した京都の彫刻家。 それまでの定型化した彫刻手法を打ち破り、写実的で豪快な作風で鎌倉彫刻といわれる様式を確立させた第一人者です。 代表作に円成寺の「大日如来像」、門弟快慶との合作による東大寺南大門の「金剛力士像」などがあります。
 
 
  運慶 - 日記   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  ニューヨークのオークションで、運慶の作品が落札された。 「ZAKZAK」2008年02月12日配信「運慶の如来像が米で競売へ…文化財指定に至らず」によると
 
 
  運慶  weblio   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶(うんけい、- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。 運慶は、奈良市・興福寺を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子である。長男湛慶が承安3年(1173年)生まれであることが、京都市・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の台座銘から知られ、運慶は12世紀半ば頃の生まれと推測される。
 
 
  「定朝と運慶」   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  こんにちはみなさん、彫刻家の籔内佐斗司でございます。 ただいまご紹介にありましたとおり、私は二十代の後半に仏像の修復作業に携わっていたことがあります。平安時代の末から鎌倉時代にかけて作られたたくさんの仏像に直接触れることで、当時の仏師たちの息遣いまでが伝わって来るのがわかりました。そしてそのときの貴重な経験から、私なりの彫刻技法を確立して今にいたっています。
 
 
  運慶について   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の仏師運慶についてこのページで書いていこうと思います。まずは運慶関連の年表を作りました。
 
 
  運慶をめぐる冒険   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  基本事項 : このサイトの…趣旨は、「運慶を見に行くための手引き」を目指しています。  運慶の作品リスト/運慶について語るところ/運慶訪問に役立つリンク集/運慶についてわかる本の紹介/運慶 ☆ ランキング/このサイトの説明
 
 
  仏師運慶自筆置文   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶は平安末から鎌倉前期にかけて活躍した仏師で、それまでの様式とは異なる、力強い鎌倉彫刻の根幹を形づくった人として良く知られている。
 
 
  威光寺 御寺 泉涌寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  本尊・釈迦如来立像(重文)は一丈六尺を越え(約5.4m)総高約10mの大像で、運慶湛慶父子の合作である。本像を始め光背・台座も同時代のもので、蒔絵彩色も良く残り、宋風の類稀な鎌倉時代彫像である。
 
 
  仏師 運慶 (うんけい)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶は鎌倉時代の初頭、南都復興造営に際して多くの優作を造り、鎌倉彫刻といえば直ちに、運慶を思い起させる程の名声を得ている。父康慶によって始められた鎌倉彫刻の新様式を、その様式・手法ともほぼ完全なる形式に造り上げ、完成したといえる。
 
 
  運慶 大日如来像が14億   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代初期の仏師 運慶 大日如来像が、競売会社クリスティーズがニューヨークで開いたオークションで、1437万7000ドル(約14億円、手数料込み)で落札されたよ。もう4日も前のことだけど、今日知ったので^^;
 
 
  仏師 「運慶」 -鎌倉雑学-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶は、鎌倉時代に活躍した奈良の仏師。父は、師でもあった康慶。白鳳、天平時代の仏像を研究し独自の作風を切り開いた。運慶が属する仏師集団は、その多くが名前に「慶」の字を用いるところから「慶派」と呼ばれ、奈良興福寺を拠点に活動していた。
 
 
  《地蔵菩薩》 魅惑の佛像4.   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  六波羅蜜寺 : 空也上人立像」がある寺として有名。他に、運慶坐像・湛慶坐像・平清盛坐像がある。 「地蔵菩薩坐像」(重要文化財)倉時代 運慶作。運慶の一族の菩提寺十輪寺本尊。「夢見地蔵」の異名あり
 
 
  特報 運慶作の仏像を発見   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶の仏像を発見〜県立金沢文庫にて〜 県立金沢文庫において保管する大威徳明王坐像(だいいとくみょうおうざぞう/称名寺光明院所蔵)を解体修理したところ、像内納入文書が発見され、本像が運慶の作品であることが判明しました。
 
 
  夏目漱石「夢十夜」 第六夜   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
 
 
  新発見の大日如来像と運慶   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶作品と評価した足利市・光得寺像によく似た像容/樺崎寺赤御堂の後身樺崎八幡宮に祀られていた光得寺像/横須賀市浄楽寺像と同時期の製作/X線写真によって光得寺像の前段階の像内納入品を確認/運慶と東国との関係が一門の東大寺再興造像独占の布石
 
 
  重用文化財一覧 六波羅蜜寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  たび重なる兵火をのがれ、六波羅蜜寺には平安・鎌倉期の木像彫刻を代表とする名宝が数多く安置されています。  空也上人立像/平清盛坐像/地蔵菩薩立像/地蔵菩薩坐像/湛慶坐像/運慶坐像
 
 
  運慶の真作 半世紀ぶりに確認   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本の彫刻の歴史で、最高峰の仏師と言われる運慶。現存する作品は5件しか確認されていないが、9年前に称名寺で発見された仏像が真作であることが、このほど県立金沢文庫の調査で判明した。
 
 
  仁王門・龍華橋 須磨寺 境内案内   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仁王門は、源三位頼政の再建、仁王力士は運慶及び湛慶の作と伝えられています。
 
 
  眼は口以上にものを言う(運慶の玉眼)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  先日図書館から運慶に関する本を借りてきました。 その中で、慶派の仏像の「玉眼」の解説のところで西村公朝仏師の解説とその仏像の写真を見て釘付けになりました。
 
 
  本尊丈六釈迦如来像(重文) 丈六 戒光寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作。宋風をおびた極彩色の木像・寄木造で重要文化財に指定されています。身の丈は約5.4メートル、台座から後背部を入れると約10メートルにもなり、長い爪や流麗な衣など仏画から抜け出してきたような大仏様です。
 
 
  運慶 - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  〜1223 平安〜鎌倉初期の慶派の仏師。仏師康慶の子とつたえられる。1176年(安元2)、現存する最初の作品として奈良・円成寺の大日如来像をつくり、その後は静岡・願成就院像や神奈川・浄楽寺像など、関東の武士たちのために造像にたずさわった。さらに、東大寺や興福寺、東寺の復興造像を通じて、奈良時代以降の仏像の技法や表現法をまなびとり、写実的で力強い新様式を生みだした。
 
 
  運慶と快慶 ライバルであり友でもあった二人の縁   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  魔よけの力があるといわれ、古くから神社の鳥居脇や社殿の前などにおかれる一対の獅子(しし)、または犬をかたどった像を「狛犬(こまいぬ)」という。地主神社の本殿の前にも、厄や魔を寄せ付けないたくましさを感じる狛犬の姿ある。
 
 
  運慶と東国 『日本彫刻史基礎資料集成』刊行にちなんで   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代造像銘記篇』が刊行/運慶作と銘札から判明した願成就院、浄楽寺の諸像/運慶様式の形成に東国武士が大きな役割を果たす/東国に住みついた宗慶・実慶などの慶派仏師
 
 
  運慶流鎌倉  南北朝の仏像と蒙古襲来  山口県立美術館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶流鎌倉  南北朝の仏像と蒙古襲来  山口県立美術館
 
 
  運慶の仏像、三越が14億円で落札 ニューヨーク asahi.com   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
   鎌倉時代初期の仏師・運慶の作とみられる「大日如来像」が18日(日本時間19日未明)、競売会社クリスティーズがニューヨークで開いたオークションで、1437万7000ドル(約14億円、手数料込み)で、日本の顧客を代行した百貨店・三越によって落札された。
 
 
  二体の大日如来像と運慶様(うんけいよう)の彫刻 東京国立博物館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した仏師で、日本彫刻史上最も重要な仏師の一人です。天平彫刻が残る奈良の地で活躍した、いま慶派と呼んでいる仏師集団に所属しました。古典を学んで写実的で運動感に富む新鮮な作風を創造しました。
 
 
  Books 運慶関連 <書籍>   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  『運慶とバロックの巨匠たち』 田中英道・著/『運慶の挑戦』 上横手雅敬、松島健、根立研介・共著/
 
 
  運慶の数珠 <書籍> 文芸社   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代に活躍した仏師・運慶は、円成寺の大日如来坐像を造像して華々しくデビューする。このとき運慶29歳。しかし、それ以前とその後の運慶願経までの7年間はまったくの謎に包まれている。その運慶が17歳のころ、仏師修行のため京の都に滞在していたという痕跡が、三十三間堂(蓮華王院)に残されている!?
 
 
  運慶論 <書籍> 岡本謙次郎著 冬樹社   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  歴史上の仏師の中でも一、二を争うほどその名が知れた運慶。この本では美術評論家岡本謙次郎が、「無著・世親像」を皮切りとして、運慶の関わった作品と、その時代を論じています。運慶を通して、日本美術と美術批評について深く思索した、情熱的な1冊です。
 
 
  運慶にであう <書籍> 山本勉/著 小学館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  国宝指定の名作から新発見の大日如来像まで運慶作品31体のすべてを完全収録。
 
 
  運慶の旅 (単行本) 栗原 照久 (著)  Amazon.co.jp   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶の数珠/運慶の挑戦−中世の幕開けを演出した天才仏師/快慶−運慶を超えた男/運慶 仏像彫刻の革命/運慶と快慶
 
 
  運慶仏像彫刻の革命 <書籍> 西村公朝 熊田由美子【著】 小学館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  南都炎上、世は末法―平安から鎌倉へ、あらゆる価値観が崩壊し、新しく生まれようという時、日本彫刻界に一大革命をもたらした天才・運慶。 人生の節目節目で重なる不思議な縁をもつ著者が同じ仏師の立場から人間・運慶を縦横に語る。
 
 
  後世に伝えたい文化遺産 珠玉の仏教美術(5) 運慶と快慶[鎌倉時代] <書籍関連>   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  六世紀の中頃に伝来して以来、長きに渡り日本人の拠り所として今に至る仏教。知れば知るほどにその豊かな信仰の世界や永劫とも思える歴史の重みを感じ、信心と共により深く知りたいと思う気持ちが湧いてきます。本映像集では、古代から近世まで、各時代を代表する国宝・重要文化財を美しい映像とやさしい解説で紹介。
 
 
  快慶(伝)《不動明王坐像》 ニューヨーク・バーク・コレクション展   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  世界有数の日本美術収集家として知られる、メアリー・バーク夫人が半世紀にわたって収集した珠玉の日本美術コレクションがニューヨークから「里帰り」しました。
 
 
快慶
  快慶 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  快慶(かいけい、生没年未詳)は、鎌倉時代に活動した仏師。運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師の一人である。この流派の仏師は多く名前に慶の字を用いるところから慶派と呼ばれる。快慶は安阿弥陀仏とも称し、その理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれる。三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多く、在銘の現存作も多い。
 
 
  東大寺 その2   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  東大寺の国宝「南大門」/国宝「仁王(二王、金剛力士像)」/浮雲園地の南を流れる「吉城川」/「三社池」から「若草山」を望む/奈良公園シルクロード交流館/県新公会堂/東大寺の境内を流れる「白蛇川」/東大寺境内の「五百立(いおたち)神社」/「鏡池」越しに「大仏殿」を望む/東大寺鏡池東側の「イヌマキ」/兜跋毘沙門天の足元の「地天女」/東大寺の国宝「大仏殿(金堂)」
 
 
  快慶はスゴイ!!   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  以前、高野山の宝物を紹介した番組でこの仏像を見て「すごいっ!!仏様が孔雀に乗ってられる。…
 
 
  仏師 快慶 (かいけい)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  快慶は生没年とも不明であるが、寿永二年(1183)に運慶が自ら発願し写経をした法華経(運慶願経)の結縁者(けちえんしゃ)の一人として快慶の名が見える。また、運慶が没した貞応二年(1223)十二月に醍醐寺閻魔堂(えんまどう)の諸像の制作に従事していることから、ほぼ運慶と同年代に活躍した仏師で、運慶の父康慶の弟子と考えられている。
 
 
  東京都指定文化財情報   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木造大日如来(胎蔵界)坐像 : 宗福寺に現存する最古の仏像で、檜材を用いた寄木造、像高は62.0cm、膝張は45.2cmあります。
 
 
  運慶と快慶 教えて!goo   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  東大寺南大門金剛力士像は運慶と快慶の共作といわれていますが、どういう共作なのですか。
 
 
  重源と快慶  -こころの杖-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  奈良の高名なY寺の執事長さんから大変興味ある話を聞いた。 或る時石灯籠屋さんがやってきて、貴寺のあの灯籠は奈良時代を代表する大変立派なものであるから是非私に修理させて欲しい。…
 
 
  快慶 仏像案内/寺院案内   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉初期に活躍した慶派仏師  康慶の弟子と思われ運慶と共に鎌倉時代に於ける代表的佛師。運慶と同世代と考えられ康慶工房の中心的存在であり、浄土寺・阿弥陀三尊、阿弥陀如来立像等、東大寺再興を目的として作られた各別所に於ける像造に起用され重源に最も重要視されたと思われる。
 
 
  私が尊敬する仏師 : 快 慶   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代(12世紀後半〜13世紀前半)に活躍した康慶の弟子(慶派)を代表する仏師快慶の彫刻作品は私の感性に最も大きな刺激を与え、かつ技術面、作風において最も親近感を抱くことができます。
 
 
  第四章 伊丹城の城主 伊丹氏   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  この阿弥陀如来立像は、高さ八十二・四センチの半等身像で、来迎印を結び、わずかに左足を踏み出して、衆生に向かって来迎するありさまをあらわしています。
 
 
  快慶 学習百科事典 キッズネット   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  生没(せいぼつ)年不詳(ふしょう)。鎌倉(かまくら)時代初期の仏像(ぶつぞう)彫刻(ちょうこく)家。康慶(こうけい)の弟子で運慶(うんけい)(康慶(こうけい)の子)と同時代に活躍(かつやく)。
 
 
  【快慶 地蔵菩薩立像】 藤田美術館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  飛び来る雲に乗った、来迎相(らいごうそう)の地蔵菩薩。地蔵は錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)を持ち、透かし彫りの舟形光背を負う。彩色された着衣の切金文様も美しく、全てが製作当初のものである。
 
 
  快慶作 阿弥陀如来立像 -八葉蓮華寺-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  小さくてひっそりとしたお寺の中に、国の重要文化財に指定された阿弥陀如来立像がある。 名匠として知られる鎌倉時代の仏師・快慶の作で、檜(ひのき)を用いた82.4センチの半等身像。
 
 
  安養寺の快慶仏:国指定文化財 田原本町   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木造阿弥陀如来立像は、大字八尾の安養寺に安置されている。像は、玉眼・粉溜塗の特徴をもつ。粉溜とは、白土を下地にその上に金泥を塗ったものである。快慶が好んで用いた手法。
 
 
  浄土寺 木造阿弥陀如来立像(国宝) 小野市   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  現在、収蔵庫に安置されているが、本来は浄土堂の阿弥陀三尊像の北側に安置されていたもので、その上半身が裸形であることから「裸阿弥陀」とも呼ばれている。
 
 
  俊乗坊重源の寺・浄土寺の阿弥陀三尊像(国宝)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  造東大寺大勧進職・俊乗坊重源/国宝 阿弥陀如来及び両脇侍立像/真言宗の浄土寺/ご参考
 
 
  金剛院の執金剛神と深沙大将 名仏師・快慶の作   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  金剛院(鹿原)には、運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師・快慶が作った「執金剛神(しゅこんごうしん)立像」と「深沙大将(じんじゃたいしょう)立像」があります。
 
 
  新発見の知恩寺蔵 快慶作 木造阿弥陀如来立像   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  【仏師快慶】生没年?〜? 生没年は不詳であるが、記録上では寿永二年(1183)の運慶願経の結縁者の一人として名を連ねることから、貞応二年(1223)醍醐寺閻魔堂諸像の造立までの約40年間の事跡が知られている。
 
 
  「木造十一面観音像」  快慶高弟長快の二例目の作品と判明   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  (財)岡田文化財団パラミタミュージアム(三重県菰野町)は四日、今年度収蔵の「木造十一面観音像」が調査で、仏像と台座を接合する「ほぞ」から「巧匠 定阿弥陀佛 長快」の墨書銘が見つかり、鎌倉時代の著名な仏師・快慶の高弟、長快の作で、奈良・長谷寺本尊の模像であることが判明した、と発表した。
 
 
  仏師快慶の晩年にあらわれる阿弥陀来迎の歩行表現について   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  師快慶の晩年やその頃(1210年から20年代)の弟子たちの作とされる三尺(約90センチ)の阿弥陀立像や他の尊像の立像などをよくみていると、ある一つの表現の特色というか癖が目に付きます。
 
 
  運慶と快慶 <書籍> 日本美術全集   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  平家に焼かれた南都の復興により建築・彫刻界にも新しい時代が。武士の時代にふさわしい力強さを持ち、宋の様式や新興仏教などの影響を受け多様に展開した鎌倉の造形を一望する。
 
 
湛慶.173
  湛慶 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  湛慶(たんけい、 承安3年(1173年) - 建長8年5月19日(1256年6月13日))は、鎌倉時代の仏師。 運慶のもうけた男子は皆、仏師になったが、なかでも嫡男の湛慶は、運慶、快慶とならぶ大家として知られる。京都・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の千手観音の巨像は、銘文から、湛慶最晩年の82歳の時に完成したことが知られる。
 
 
  善照寺・寺宝展   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸名所図絵/聖観音像/閻魔(焔王)像 : 江戸名所図絵に記載されている焔王像。湛慶(鎌倉時代の仏師、運慶の子供)作といわれる。1998年に修復。/法然上人像/千手観音像/大涅槃図/観経曼陀羅/利剣名号/祐天上人名号/二十五菩薩来迎図
 
 
  願成寺  湘南みどころ   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  海南市役所>プレイスポット>森林公園雨の森>願成寺湛慶上人が、久安元年(1145)待賢門院の冥福を祈るために建立した。 本尊は千手眼観音菩薩で国の重要文化財に指定されている。
 
 
  仏師 湛慶 (たんけい)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  湛慶(1173-1256)は、鎌倉時代を代表する仏師、運慶の長子である。 運慶によって確立された慶派仏師の名声は又その長男湛慶に承け継がれて、鎌倉時代の前半はさながら運慶湛慶の父子によって代表された観があり、湛慶の活躍にも極めて著しいものが見られる。
 
 
  薬師市 千葉県佐原市   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  御本尊は薬師如来像で、後鳥羽上皇の守本尊です。元暦元年(西暦1184年)に仏師湛慶が彫刻したものです。
 
 
  破戒僧綺談(巻31.03)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  今は昔、文徳天皇の御代に湛慶阿闍梨という僧がいた。慈覚大師の弟子であった。密教の真言を窮め、仏の教え、唐の諸書にも通じていた。さらには諸芸にも通暁しているのだった。
 
 
  横蔵寺 -ぽけっとなび-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏です。播磨西国三十三ヵ所観世音霊場めぐりの第29番札所です。十一面千手千眼観音は、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶父子の合作と言われている秘仏で、25年毎の開帳です。
 
 
  京都入門 名刹を訪ねて   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  金閣寺 / 清水寺/龍安寺 /伏見稲荷大社 / 銀閣寺/西芳寺(苔寺) / 南禅寺 /天龍寺 / 平等院 / 三十三間堂  本堂の国宝・千手観音坐像は、鎌倉時代の仏師・湛慶による
 
 
  石山寺 西国第13番札所   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  聖武天皇の勅願により良弁僧正が開基。 アクセス:京阪石山寺駅より徒歩15分、JR石山駅より京阪バスで石山寺山門前下  山 門(東大門)(重要文化財)
 
 
  閻魔大王像 浄土宗善照寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  湛慶(鎌倉時代の仏師、運慶の子ども)の作といわれる。
 
 
  第三十三番 高福山 雪蹊寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  延歴年間(708〜806)弘法大師が開基し、当時は少林山・高福寺と号し真言宗でした。その後鎌倉時代に運慶(うんけい)とその子湛慶(たんけい)が訪れ、本尊薬師如来、脇士の月光菩薩、日光菩薩を刻み慶雲寺と改めました。
 
 
  第二十番札所 高福山 雪蹊寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  本堂は改築中で観音堂が仮本堂と設える 鎌倉期の佛師 運慶 湛慶親子が訪れて本尊薬師如来 脇侍 日光 月光菩薩はじめ幾多の佛像を残したと云い 今も多くの佛像が寺院に傳わると云う
 
 
  毘沙門天像 湛慶作 重要文化財 雪蹊寺蔵   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  すっくと立った毘沙門天(びしゃもんてん)は、北方守護神らしく憤怒の形相で前方を見据え、迫力をみなぎらせている。
 
 
  高知県の古仏  -あとんを探す-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  今朝 高知新聞に高知県須崎市上分という集落の小さなお堂(地元の人は大日如来堂と呼んでいたらしい)に安置されていた “大日如来像” が湛慶(たんけい)によって彫られたものであることが断定されたというニュースを読んで、もう少し詳しく知りたいと思い調べてみました。
 
 
  滝山寺(愛知県岡崎市) 滝山東照宮   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  運慶・湛慶が作った仏像3体があるお寺 明治時代までは滝山寺に所属していたが、明治政府の神仏分離令により独立 本殿、拝殿など重要文化財
 
 
  千手観音坐像 三十三間堂 asahi.com   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  京都・東山の蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)と説明するより、通し矢の行われる三十三間堂と言った方が話は早い。お堂に入り、金色のさざ波のような千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)の群像に心地よい疲れを感じるころ、中央に安置される本尊の千手観音坐像(ざぞう)に出あう。
 
 
  国宝 千手観音坐像 蓮華王院 三十三間堂   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  左右、計千体の等身漢音立像に囲まれて、お堂中央に安置されるのが丈六の坐像で「中尊・ちゅうそん」と呼びます。
 
 
  僧湛慶山地譲状 (願成寺蔵、久寿2年(1155)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  現在の海南市北部にあたる三上荘を開発した湛慶上人が、開発した山地を弟子に譲り渡した時の証文です。はじめ、「深山」を切り開いて願成寺を建立し、その周辺の山地を開発していったと記されています。
 
 
  蓮華王院(三十三間堂) No.4  京都の日本建築   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉時代の1254年(建長6)、湛慶82歳の時の作。像高3.35m。像内の銘記から、1251年(建長3)に白河法勝寺で造立を着手、3年後に完成したことが知られる。運慶の長男の湛慶が小仏師康円と康清を率いた。
 
 
  仏像は湛慶工房作 須崎市のお堂 -高知新聞-   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  須崎市上分の大日如来堂にある大日如来像が鎌倉時代の仏師・運慶の長男・湛慶=たんけい=(一一七三―一二五六年)の工房で作られたものであることが、二十五日までに元高知女子大学助教授の青木淳・多摩美術大学准教授による調査研究で判明した。
 
 
  湛 慶 (たんけい)  1173〜1256 仏像案内/寺院案内   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  鎌倉初期の慶派の仏師で運慶の長男で七条仏所を統括して活躍した。 彼の作品は運慶の豪快さとは作風が違い洗練された優雅な表現力を用い貴重な存在である。 若年の頃から運慶と共に興福寺や東大寺の復興造像に従事する。
 
 
  【願成寺の千手観音】 和歌山県海南市/海南郵便局   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  願成寺は湛慶上人(たんけいしょうにん)が1145年に待賢門院の冥福を祈るために建立したもので、本尊の木造千手観音坐像は国の重要文化財に指定されている。
 
 
  運慶の長男・湛慶作の大日如来像が見つかる、高知 asahi.com   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  高知県須崎市の集落のお堂にあった仏像が、鎌倉時代の仏師、運慶の長男の湛慶(たんけい)(1173〜1256)の工房が制作した大日如来像と、専門家によって確認された。湛慶の現存する作品は少なく、貴重な史料という。
 
 
  木喰上人の遺品 木喰の里微笑館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  第3期の廻国(かいこく)から丸畑に戻り、永寿庵(えいじゅあん)の五智如来(ごちにょらい)像や、四国堂(しこくどう)と八十八体仏の制作を終えた木喰上人のその後のことは、ほとんど知られていません。 木喰さんがいつ、どこで亡(な)くなったかは「永遠のナゾ」といったところですが、現在ここまで私たちが木喰さんの足跡(そくせき)をたどることができるのは、木喰さんの遺(のこ)した貴重(きちょう)な資料(しりょう)のおかげです。
 
 
円空.632
  円空 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の天台宗の僧であり、「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った仏教彫刻で知られる。 生涯に12万体の仏像を彫ったといわれ、飛騨、美濃地方の各地に円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。うち岐阜県内にあるものだけで1,000体を数える。多作だが、雑なものはなく、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。
 
 
  円空   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空は旅の中で、驚くほどたくさんの像を彫ってきたことが分かりました。取材をする中でその像を何体も見ていき、今でも人々の心を打つ、魅力的な像であると感じました。そのように感じるのはナタで荒く削ったのに優しい雰囲気のある像だからだと思いした。ます。・・・  トップ / はじめに / 寺 / 神社 / 円空川祭り / 関市にある円空仏数 / 円空さんの生い立ち / 円空仏づくり / 円空クイズ / いろいろな円空 / 仏像の種類 / リンク / 制作スタッフ / 感想
 
 
  三重の円空   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  1632年(寛永9)、美濃国現在の岐阜県にうまれた円空は、23歳の年、某寺を出奔したのち、64歳で生涯をとじるまで、その大半を造仏のための行脚に費やしたという。・・・
 
 
  円空仏寺宝館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  生涯12万体の仏像を刻んだといわれる円空が、晩年千光寺をたずね、しばらく滞った。そして、千光寺を拠点に飛騨各地を巡った。その折りに刻んだ円空仏63体と寺の宝が展示されている。
 
 
  円空仏を訪れて   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空(1632-1695)の刻んだ、み仏が1240体もある名古屋市内の荒子観音寺に拝観しました。円空45才の頃このお寺に招かれて仏像を造ったとのこと。  荒子観音寺/龍泉寺/鉈薬師/宝昌寺
 
 
  円空  ENKU WEB   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「慈愛の微笑み」。 円空さんの作品に見られる、高雅でありながら、すべてのものを包み込んでくれるような微笑みのことをいいます。  円空さん/円空さんの歩いた跡/円空年譜  円空さんと岐阜県/ギャラリー/円空大賞
 
 
  歴史散歩 三井寺   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  発願十二万体。円空は旅とともに、今も生きる。 放浪の出家僧、円空の出生も謎である。 三井寺を旅した人―――謎の造仏聖(ひじり)、円空もまた、三井寺とは縁の深い人物であった。
 
 
  中観音堂の円空仏   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  新幹線羽島駅から県道大垣羽島線を羽島市に向かい、狐穴の信号交差点を南に折れると名神高速道路を潜る。すこし行って東に入り名鉄羽島線の踏切を越す。中区駅の脇に中観音堂と羽島円空資料館がある。 ここが円空の出生地といわれ、小さな堂宇を20年前に再建し、17体の円空仏が安置されている。
 
 
  円空さんを訪ねる旅   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  私が円空さんを訪ねるという時、「円空仏を拝観する」、「円空さんのことを知る」、「円空仏を彫る」とう3つぐらいの意味が含まれている。このページは円空ファンの私が円空さんを追いかける記録である。
 
 
  円空 美並観光協会   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空は寛永9年(1632)美濃国郡上郡(ぐじょうぐん)の南部、瓢ヶ岳(ふくべがたけ)山麓(美並村)で木地師の子として生まれたと推定されています。  円空略年譜/伝承・遺跡/円空ふるさと館/円空研究センター
 
 
  菅江真澄のみた円空   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  菅江真澄(すがえますみ)の名を知る人は,民俗学に造詣の深い人や江戸時代の紀行文学に関心を持つ人を除くと現在,かならずしも多くはない。しかし,彼の遺した紀行文の数々は、かの膨大な『日本随筆大成』ですら汲み尽すことのできなかった,それこそ星の数ほど書かれた江戸随筆のなかでも,一際,輝く存在であるといわなければならない。
 
 
  円空 羽島商工会議所   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  HASHIMAは円空上人の生誕地として、全国的に有名です。 円空さんは、江戸時代初期の寛永9年(1632)ここHASHIMA(現在の羽島市上中町)に生まれました。(本当のところはまだまだわからないが)。 生涯になんと120,.000体の仏像を彫ったといわれ、ここHASHIMAには、生誕地の中観音堂本尊をはじめ、長間薬師寺や民家などに円空さんが彫った鉈ばつり円空仏が約40体残されています。
 
 
  円空 円空微笑み物語   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空について、まず、誰もが驚くのは、生涯で12万体あまりの仏像を作ったということでしょう。64年間の生涯で単純計算しても、年間で1800体以上の仏像を製作していたことになります。・・・ 生涯で12万体というのが通説になっています。  円空の魅力/円空の年表/市町村ごとに捜す/芸術家・円空
 
 
  安房山清峯寺と円空仏   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  荒城川に懸かる鶴巣橋を渡るとすぐ右手に案内看板があり、坂を登った山懐にそれとわかる堂宇が目指す「清峯寺」である。 円空上人の傑作と称せられる仏像三体が安置されていることで知られているが訪れる人は少ない。
 
 
  高賀癒しの郷 知の癒し   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空の初期の仏像が郡上市美並町に残されていますが、その像は高賀神社の神像とよく似ていて、円空はかなり早い時期に高賀神社を訪れているのではと言われています。つまり円空仏が作り出された最初の土壌に、高賀山信仰があったことは間違いないと言えます。
 
 
  関市円空館 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  関市円空館(せきしえんくうかん、Enku Museum)は、岐阜県関市にある円空に関する博物館である。円空館と呼ばれる場合の方が多い。
 
 
  円空と木喰 -壱のツボ-    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  もっともなじみ深い仏像といえば、豪華な装飾に厳かな顔。これが古くから守られてきた仏像造りの基本でした。一方円空仏には派手な装飾はありません。江戸時代の僧、円空が彫った荒削りで素朴な仏です。
 
 
  音楽寺と円空仏 江南市   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「琴聲山音楽寺」は、円空仏で有名な十二神将像がある西山浄土宗の寺で村久野町にあります。・・・ 古刹と呼ぶにふさわしく、寺域内からは奈良時代末期から平安初期にかけての布目瓦などが出土しています。
 
 
  太平寺(伊吹町)の円空仏   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  伊吹町春照(大平町)の円空作「十一面観音」を見ることができました。地元の方が管理しておられ、頼めば鍵を開けていただけます。拝観料などは特に要りません。触ることもできます。特に痛い所をなでると病気がよくなると、地元の方はおっしゃっています。
 
 
  円空(木っ端仏の聖)との旅   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  日本各地に円空仏と言われるおびただしい数の自在な木彫りの像を残した円空も、旅を通じて同時代の仏師たちの作風とはまったく違った自己流の制作と人々との交わりのスタイルをつくりだしていった人だ。・・・
 
 
  法円山 禅通寺 国民宿舎 円空庵   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  通寺の歴史は、遠く貞観年間にさかのぼり、行基菩薩の伝承もあります。・・・ 元禄三年(1690年)、円空上人が訪れ、智賢和尚と意気投合し、湯治をしながら約一年間逗留しました。
 
 
  円空さん 慈愛の仏像を掘り続けて   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  12万体の仏像を彫った像僧  島市民が親しみを込めて「円空さん」、と呼 ぶ人物がいます。皆さんご存知の、円空上人です。 円空は江戸時代初期(1632年)に美濃国(現:岐阜県)に生まれ、日本全国を遊行しながら様々な木彫りの仏像をノミで彫り上げ、64年の生涯に約12万体の仏像を作った、と言い伝えられている僧侶です。
 
 
  円空 『洞戸 三尊像』 美の巨人たち   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代の初め、旅の僧そして、希代の芸術家として知られた円空。円空の仏像は、木の中から生まれ出たような姿、荒々しい造形。木材の節目すら祈りの形となる大胆さと、繊細さ。そして、現代彫刻のような造形の奔放さを兼ね備えています。
 
 
  円空仏/十一面観音立像/阿弥陀如来像   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  寛文5年(1665)頃に北海道に渡った遊行僧円空(美濃の国出身)は、松前・蝦夷地を巡錫し、布教を行った。 鉈(なた)一挺をもって仏像を刻むのに妙を得ていた円空は木端仏と呼ばれる仏像などをたくさん残したが、その仏像は慈悲に満ちた微笑みをたたえ、人々の心を和ませ信仰に導いたという。
 
 
  関市トップ>観光・文化>関エリア>円空館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代(1632年)に岐阜県で生まれた僧、「円空」は、近畿地方から北海道の各地を遊行し、おびただしい数の円空仏を人々の幸を願い彫りつづけました。これらの円空仏は、全国に約5,000体残っており、円空の自刻像と対面すると、その微笑の中に、漂泊の生涯を送りながらも慈愛を施し続けた彼の人柄が感じられる気がします。
 
 
  円空仏を作る 荒削りで癒し系の仏師・円空   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  円空は、教科書や図表、用語集にもほんのわずかですが登場します。例えば「幼少で出家し各地を遍歴。布教のかたわら、鉈一丁をたずさえ仏像12万体を彫刻。作品は岐阜・愛知・三重・北海道に多い。・・・
 
 
  北海道の円空仏 〜桧山地域を中心とする〜   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  寛文5年(1665)頃に北海道に渡った遊行僧円空(美濃の国出身)は、松前・蝦夷地を巡錫し、布教を行った。 鉈(なた)一挺をもって仏像を刻むのに妙を得ていた円空は木端仏と呼ばれる仏像などをたくさん残したが、その仏像は慈悲に満ちた微笑みをたたえ、人々の心を和ませ信仰に導いたという。
 
 
  第六節 円空の巡錫と貞伝 第三編 近世の福島   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  近世の我が国を代表する仏教彫刻家に円空がある。この円空の作像は近世の蝦夷地の神道および仏教の展開に大きな役割を果 たした。 円空は寛永九年(一六三二)美濃国(現在の岐阜県羽島市上中島)に生れた。・・・
 
 
  円空さん ほとけさま、笑った」よ。 北海道立近代美術館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  さわやかな初夏の6月、にっこり笑うほとけさまがキンビに集まります。江戸時代に作られ、今も全国に5000体以上がのこる「円空さん」。その魅力とは!?   アートにQ
 
 
  仏像 十一面観音菩薩立像・善女龍王立像・善財童子立像   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代・17世紀/像高中尊221.2cm、善女龍王立像175.6cm、善財童子立像174.6cm  岐阜・高賀神社蔵 岐阜県関市洞戸の高賀山は、古来信仰の対象として崇められ、高賀神社には平安から南北朝時代に至る神像、仏像、懸仏など多数の品々がのこっている。
 
 
  入定310年~庶民の信仰・慈愛の微笑み~円空展 富山県水墨美術館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代初期、庶民の中を巡りながら、膨大な神仏像を彫った円空。名古屋市・荒子観音所蔵の『浄海雑記』には、「佛像十二萬躰ヲ刻セリ」と記されています。 実数はともかく夥しい数の像を彫ったことが想定され、現在、全国で確認されている円空仏は5,200余体ですが、現存数だけでもこれほど多くの神仏像を彫ったのは、歴史上において円空だけといえます。
 
 
  歓喜する円空 <書籍> 梅原猛/著 新潮社   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  われ生きるにあらず、円空わが内にありて生きるなり――。渾身の意欲作!
 
 
木喰.718
  木喰 (Wikipedia)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年(文化7年)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家。 本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。
 
 
  木喰仏   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木喰上人および上人の残した仏像に関するページです。  木喰仏を訪ねて/木喰上人参考文献一覧/木喰関連リンク集/わたしが墓について知っている幾つかの事柄
 
 
  木喰上人   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木喰上人[もくじきしょうにん]は江戸時代中頃の僧で、全国をまわっていたのですが、61歳の時に木彫りの仏像をつくりはじめます。1000体の仏像をほるために全国をまわりますが、その際に防府にも訪れています。 木喰上人の移動経路
 
 
  猪名川町の木喰仏   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  兵庫県川辺郡猪名川町には26体の木喰仏が遺されているそうです。 東光寺には自刻像と閻魔大王などの十王像・葬頭河婆・白鬼・立木子安観音など。 天乳寺には自刻像と観音・勢至菩薩像があります。 他にも毘沙門堂というところにあるそうです。
 
 
  木喰展 福岡市博物館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木喰は、江戸時代の後半に、既成の作風にとらわれない個性的な仏像を数多く彫りながら全国を遍歴しました。 彼が生み出したやさしく丸みを帯びた仏像は、「微笑仏」という言葉で評されるように、深くやわらかな笑みをたたえた独特のものでした。
 
 
  十王堂木喰 仏像 12体   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  廻国納経(かいこくのうきょう) ・千体物の造刻を 誓願(せいがん) して諸国を行脚する木喰五行上人(1718〜1810)は87才の時に2度目の越後入りをした。 柏崎西ノ入での第1作には文化元年9月8日・柏崎での最後作には文化2年6月21日と銘がある。この9ヵ月間に72体もの仏像をのこしている。
 
 
  木喰仏の世界へようこそ!    前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「木喰仏」は、木喰上人が残した木彫りの仏像のことで、大正十二年(1923年)民芸運動の提唱者である柳宗悦が木喰仏を発見し、世に紹介したことが切っ掛けで、広く知られるようになりました。その後、地元の郷土史家などが協力して、調査研究が進められ、柏崎地方では約90体の仏像が刻まれ、多くの作品が残っていることが確認されました。
 
 
  丹波清源寺木喰十六羅漢   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「十六羅漢由来記」は清源寺13世仏海禅師の古記録で、原文は漢文です。この古記録に興味を覚えました。お寺でいただいたパンフ(読み下し文)から私なりに読みとった清源寺木喰十六羅漢誕生の顛末記をまとめてみます。
 
 
  木喰仏(もくじきぼとけ)  美シリーズ(3)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  芸術の分野に、宗教芸術がある。 宗教のついての知識がなくても、信仰法心を持っていなくても、彫刻・絵画・建築物として観賞できる。 法隆寺などの、寺院としては超ブランドクラスの仏像を観賞するときは、知的な理解にたよったり、概念に左右されて、純粋な美的感受性は曇らされてしまう。 ところが、そんな心配の一切無用の彫刻がある。 「木喰仏(もくじきぼとけ)」と呼ばれている仏像たち。
 
 
  生誕290年 木喰展 山梨県立博物館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木喰は、享保3年(1718)、甲斐国丸畑(現山梨県南巨摩郡身延町)に生まれました。22歳で出家し、56歳にして廻国修行を志し、北海道から九州まで全国を巡りました。仏像を彫り始めたのは、60歳を迎えてからのこと。93歳で亡くなるまで数々の仏を生み出し、現在残されている数は600体を越えます。
 
 
  8 木喰仏  自刻像  木喰明満 (1718-1810)   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  木喰仏とは、木喰上人(1718年〜1810年)の作った 木彫の仏像のことです。 微小仏とも呼ばれ、その不思議な微笑みに特徴があります。 木喰上人は、日本全国の遍路の際、各地で供養仏を彫りました。 このため、木喰仏は日本中にあります。
 
 
  仏像 三十三観音菩薩像および行基菩薩・大黒天像   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代・1803年/像高 如意輪観音244.0cm、他各75.0cm前後、行基菩薩・大黒天像各120.0cm 新潟・小栗山木喰観音堂蔵 木喰は、享和元年(1801)に日本廻国成就の後、同3年(1803)から2年半、越後に滞在して230体ほどの像を造った。
 
 
  生誕290年 木喰展 -庶民の信仰・微笑仏- そごう美術館   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  「円空」から約一世紀。ひとりの僧侶が、仏像彫りの旅に出る。 一生涯を捧げた全国行脚を終えて彼が振り返った時、そこにあったのは庶民の熱狂と、満面の笑みをたたえた千体の仏像群だった。
 
 
  木造十王坐像・木造葬頭河婆半跏像 木喰五行作 浜松市   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  堀谷徳泉寺には、11体の木喰仏が残されています。この木喰仏を製作した、木喰五行上人は、江戸時代中期の享保3年(1718)、山梨県西八千代郡下部町で誕生しました。22歳の時に出家し、45歳の時、茨城県の羅漢寺住職木喰観海上人から、木喰戒(五穀を口にせず、木の実やそばの実を食べ修行を行いました。)を受け、厳しい修行を行いました。
 
 
  生誕290年 木喰展 −庶民の信仰・微笑仏− Fuji-tv ART NET   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  江戸時代後期、日本全国を行脚して、各地でさまざまな仏を彫り続けた木喰上人。享保3(1718)年、甲斐国(現在の山梨県)の山村に生まれた木喰は、22歳で出家し、56歳のとき諸国巡礼の旅に出て、その後60歳を過ぎてから仏像作りを始めます。木喰が訪ねた地域は、北海道から九州・四国・佐渡島に及び、生涯に1000体を超える像を遺したといわれています。
 
 
高田又四郎.847
  ふくおかの文化財展10 最後の博多仏師―高田又四郎―   前画面に戻る次画面に進むTOPページ一覧表ジャンルページ画面上段画面下段
  仏像の制作や修理を専門におこなう職人を仏師(ぶっし)と呼びます。ここで取り上げる高田文四郎(たかだまたしろう)(1847〜1915)は、明治期の福岡・博多で活躍した代表的な仏師dす。
 
 
  大仏JAPAN  仏師列伝   前画面に戻る次画面に進む